SCEAN10



土曜日の朝。
だが、土曜日とは思えぬほどに、朝の清水家はドタバタと足音が鳴り響き、喧騒としていた。
「そろそろ東京へ行かないとな。おい、梅さん。ネクタイ取ってくれ!!」
「はい、ご主人様!!」
ネクタイを手に清水の元へと駆けつける梅さん。
大安吉日。
今日は、元部下の飯田圭織の結婚式がホテルニューオータニで行われる事になっていた。
ここ神奈川からは一時間ほどかかる道のり。
清水がバタバタと準備を繰り広げていると、そんな清水の後をゴルフバックを背負った梨沙子が通りかかる。
「おはよう、パパ」「お!梨沙子、おはよう。今日はゴルフ部の練習か?」「うん。愛理と待ち合わせ」
高校ではゴルフ部とパソコン部に所属している梨沙子。
今日は同じ最寄り駅に住む同窓生の愛理と、ゴルフ部の練習に赴く約束をしていたのだった。
清水は愛理の名前を聞くと嬉しそうにうんうんと頷いた。
「愛理ちゃんか。あの子は家柄もいいし、頭もいい、しっかりした子だ。あぁ言う友達は大切にしなくちゃなぁ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「それに比べ、最近の若者はチャラチャラと遊んでばっかりで、嘆かわしい!!」
清水が吐き捨てるように愚痴ると、廊下から茉麻が清水のスーツを手に、クスクスと笑いながら現われる。
「ちょっと、おとーさん。なんだかオジサン臭いわよ、そんな事いってると〜」
「ハハハ!それもそうだな。ワシもすっかりオッサンだなぁ〜」
そう言うと清水は梨沙子を見て、楽しそうに笑顔をこぼした。
「まぁ、梨沙子には縁遠い話だよな」「・・・・・・・・・・」「チャラチャラした、ホストの様な男など」
その言葉に、清水の背後でドキリと目を見開く茉麻。
だが、清水はそんな茉麻の様子にも気づかず、楽しそうに笑っているだけ。
そう・・・父は何も知らない。
母の男遊びも、娘がどーしようもない男に恋してしまった事も・・・。
梨沙子は冷めた目で2人をじっと見つめている。
すると、「梨沙子お嬢様。お弁当をお作りしましたよ」と言って、梅さんが梨沙子の元へとやってきた。
その手には大きなランチバックが抱えられていた。
「今日はステーキおにぎりですよ。召し上がって下さいね」
「うん、ありがと、梅さん」
ランチバックを受け取る梨沙子。
そして「じゃ、行ってきます」と言って、リビングを出ようとすると・・・ネクタイを結んでいた清水が、慌てた様子で梨沙子を静止したのであった。
「あぁ、待て待て、梨沙子!ワシも一緒に駅まで行こう。せっかくだしな」
「・・・・・・・・・・・」
「駅までぐらい、たまには親子水入らずもいいだろう」
そう言って嬉しそうに笑っている清水。
梨沙子は無表情のまま清水を見つめた後、コクリと頷いたのであった。


   ×           ×           ×


駅までの道すがらは退屈だった。
今日、父は部下の結婚式に行くらしい。
その部下のお相手が高給取りのエリート商社マンである事や、部下の女性もやり手のOLであった事。
そんなくだらない自慢話ばかり、延々としていた。
「梨沙子も、あぁ言う立派な男と結ばれるんだぞ」そんなつまらない会話ばかりを聞かされ続けた。
父は仕事の事しか興味がないくだらない人間。
そんな父親が、梨沙子は大っ嫌いだった・・・。

「あ!りーちゃん!!」
駅に着くと、愛理が柱にゴルフバックを立てかけて、佇んでいた。
梨沙子の顔を見て嬉しそうに手を振るが、その隣りに父親が一緒にいることに気づき、愛理はペコリと頭を下げる。
「あ、おじさん。お久しぶりです」
「あぁ、久しぶりだな。愛理ちゃん。相変わらず、礼儀正しくてしっかりしているなぁ〜」
そう言って満足そうに頷く清水。
「また今度、ウチに遊びに来なさい」
「はい。ありがとう御座います」
昔から、父は愛理を気に入っていた。
家柄もしっかりしていて礼儀正しく頭のいい愛理。だから父は、愛理を気に入っている。
勿論、梨沙子自身も愛理の事は大好きだった。
だけど梨沙子は、愛理の性格とか、趣味が合う所とか、そう言うのが大好きで付き合っているんだ。別に家柄とかはカンケーない。
だから、家柄とかそう言うのでしか愛理を判断してくれない父が嫌で嫌で仕方なかった。
「行こう、愛理・・・」
これ以上父親と一緒にいるのが嫌で、先を促す梨沙子。
礼儀正しい愛理は「うん」と言った後に、清水に深々と頭を下げた。「行ってきます、おじさん」
そんな愛理に満足したのか、清水は極めて上機嫌で「気をつけて行くんだぞ」と手を振って、東京行きの総武横須賀線のホームへと向かって行った。
階段を登っていく清水の背中をボーッと見送っている2人。
すると、愛理が不意に、隣りでポツリと呟いた。
「いいな、りーちゃんは」「え?」「優しいパパで」
だが、梨沙子は首を縦には振らない。
ゴルフバックを背負い、無言のまま横須賀線の久里浜方面へと歩き出す梨沙子。
愛理は不思議そうに首をかしげながら、同じように梨沙子の隣りを歩いた。
すると、不意に梨沙子がその口を開き、ポツリと呟いたのだった。
「パパなんて大っ嫌い」「・・・・・・・・・・・・」「パパもママも、みんな大嫌い」
梨沙子の呟きに、愛理は思わずフッと頬を緩める。
そんな突然笑みをこぼした愛理を、不思議そうに梨沙子が見つめると、愛理は「ごめんごめん」と呟いた後、その独特なホワホワとした口調で答えたのだった。
「そっか、どこもそーなんだね・・・」
「え?」
じっと愛理を見つめる梨沙子。
そして、伺うように愛理の顔を覗きこむと、梨沙子はゆっくりと問いかけた。
「愛理・・・も?」
「あたしが好きな家族は、お兄ちゃんだけ・・・」
「お兄ちゃん?」
その言葉に、不思議そうに目を丸くする梨沙子。

(あれ?愛理っておにいちゃん、いたっけ?)

しばし記憶を辿るように黙り込む梨沙子。
前に愛理の家に泊まった時も、お兄ちゃんなんていなかった。
ううん。それに・・・愛理のお父さんもお母さんも、愛理が子供達の中で一番年上だというような事を言ってたハズだ。
なのに、どう言うことなのだろうか?

不思議そうに愛理を見つめている梨沙子。
そして、梨沙子が『愛理にお兄ちゃんがいる事』について、聞こうとした同じタイミングで、愛理がホワホワした口調で呟いたのだった。
「あ、なんかいいニオイするね」「へ?」「それ・・・お弁当?」
そう言って愛理が指をさしたのは、梅さんが作ってくれたお弁当が入ったランチバックだった。
梨沙子はコクリと頷き答える。
「うん、梅さんが作ってくれたの」「へー。お弁当、なに?」「ステーキおにぎり」「うわー!おいしそーーー!!」
そう言ってニコニコと笑顔を零している愛理に、なんとなくお兄ちゃんの事を聞きそびれてしまった感じがした。
梨沙子は仕方なく、そのままお弁当の話題で話を続ける。
「ねぇ。愛理は今日のお弁当はなに?」
「ウチは天麩羅専門店の天丼」
「わぁ、おいしそー!」
「じゃぁさ、お昼ごはん。半分づつ交換っこしよーよ、りーちゃん」
「うん!いいよー。しよーーー!!!!」
和やかな会話。
2人でニコニコと笑いあいながら、横須賀線へと乗り込む2人。
だが、一見何事もない平和な光景の中にも、必ず闇は潜んでいる。
2人はなんとなく感じていたのかもしれない。互いが似た境遇であることを。だから2人は仲良くなった。
(あたしが好きな家族は、お兄ちゃんだけ・・・)
先ほどの愛理の言葉を思い出しながら、梨沙子はなんとなく、そう感じていたのであった。





SCEAN11



「えー。し、新婦の圭織君は実に気立ての良い女性であり、また新郎の・・・」

中澤が緊張の面持ちで祝辞を読み上げている。
ここニューオータニの結婚式会場では、かつて清水商事庶務課に配属していた、飯田圭織の結婚式が行われていた。
いつもの流暢な関西弁はウソの様なガチガチの標準語で、必死になって祝辞を読み上げる中澤。
その正面で、あっきゃんとはしもんが顔を寄せて緊張しまくりの中澤をクスクスと笑いあい、中澤は祝辞を読み上げながらもギロっと2人を睨みつける。
そんな感じで、どうにかこうにかスピーチも終わり、やがて純白のウエディングドレスをまっとった圭織がキャンドルサービスで各テーブルを回り始める。
結婚式は華々しく、そして賑やかしいままに、進行されていた。
「ねぇねぇ、はしもん。飯田さん、チョー綺麗だね!!」
「ね!ヤバイ綺麗だよね!!!]
「あたしもあんなウエディングドレス着て、盛大な結婚式をしてみたいなぁ〜」
「ま、あっきゃんは盛大以前に、庶務課の人間ぐらいしか集まらないと思うけどー」
「なによー!!!」
結婚式の会場は庶務課のメンバーは全員同じテーブルに集められているらしく、相変わらずはしもんとあっきゃんは賑やかしく雑談を交わしていた。
そして、やっぱり相変わらずに・・・
「でも、あたしが結婚しても。アイツだけは招待しないけどー」
「キャハハ。誰よ、あっきゃ〜ん、それ〜〜!!」
「決まってるじゃーん。なんか、あたしのダンナにもぶりっ子して誘惑しそうで、絶対ヤダ〜」
あからさまに桃子に向けられる2人の目線。
そんな2人の視線を避けるように、桃子は居心地悪そうにその場に俯くしかなかった。
仕方ないといえば仕方ないが、せっかくの飯田先輩の結婚式まで庶務課のメンバーで分けられてしまってる事が残念で仕方がなかった。

やがて。
キャンドルサービスが終わり、自由な食事の時間となる。
桃子は居心地の悪さから逃れるように席を立つと、会場を離れて結婚式場の化粧室へと向かった。
洗面台。鏡に向かいながら化粧直しをする桃子。
そして、桃子は鏡に向かったまま、大きなため息を1つ吐いた。
「はぁ・・・。飯田先輩には悪いけど、二次会は遠慮させてもらおうかな・・・」
庶務課時代。
圭織は不思議なぐらい、桃子に優しくしてくれた。
読書が好きな桃子と、昔、童話作家に憧れていたという圭織は、なんとなく気が合っていたんだと思う。
よく圭織は、桃子をお昼ご飯に連れに行ってくれたりもした。
あれだけ優しくしてくれた先輩の結婚式だ。二次会にも参加しないといけないって言うのは解かっているが、やっぱりこの居心地の悪さにだけは耐えられない。
(飯田先輩には悪いけど、急用が出来た事にして二次会はご遠慮させてもらお・・・)
そんな事を思いながら、桃子がハンカチを化粧ポーチに戻した、その瞬間だった。
「桃子ちゃん」
不意に背後から聞こえた声。
桃子がハッとして顔を上げると、鏡には圭織の姿が映りこんでいた。
ビックリしてガバッと後を顧みる桃子。
「い、飯田先輩」「フフ。今日は着てくれてありがとうね」「い、いえ。こちらこそ、誘っていただいてありがとう御座います!」
先ほどは純白のウエディングドレスだったが、今は衣装直しをして真っ赤な軽装のドレスに身を包んでいる圭織。
桃子はそんな圭織を見て、ホゥとため息をつく。
「わぁ・・・そのドレスも綺麗ですねぇ、先輩」「ありがと、桃子ちゃん」
背が高くスラッとした美人の圭織に、真っ赤なドレスはとてもよく似合っていた。
ちっちゃくて童顔な自分では絶対着こなせないなぁ〜なんて思いながら、桃子は目をキラキラ輝かせながら圭織のドレス姿を上から下まで見てゆく。
すると、じっと桃子を見つめていた圭織が、くすっと微笑んでその肩をすくめた。
「でも、桃子ちゃんも随分綺麗になったわよね」「え・・・?」「前にあたしが庶務課にいた時より、ずっと大人っぽく綺麗になってる」
そして圭織は桃子の顔を覗きこむと、イタズラっぽい笑みを浮かべながら、こう問いかけた。
「もしかして。好きな人でも出来たんじゃない?」
「あ・・・・・」
圭織の問いかけに誤魔化しもきかないままにフリーズしてしまう桃子。圭織は楽しそうにクスクスと声を上げた。
「やっぱりぃ〜!!!・・・何?恋人出来た?付き合ってるの?」
「ち、違います!!付き合ってるワケじゃないけど・・・」
「でも、好きな人はいるんでしょ?」
「そ、それは、その・・・。好きって言うか・・・き、気になってるだけですけど・・・」
そこまで言って、桃子の頭の中に浮かんだのは2人。
熊井と雅。
優しくてカッコ良くって、自分なんかとは絶対につり合わない2人。
「でも。あたしなんかと釣り合う人たちじゃないですから・・・」
思わずそう呟く桃子。
すると、圭織は意外そうな、それでいて興味津々の面持ちで問いかける。
「え?釣り合う人たちじゃないって・・・複数なんだぁ?」「あ・・・・」「なによなによぉ。やるじゃない、ももちゃーん」「も、もう。せんぱーい!!」
ツンツンと突っついてくる圭織に、もはや苦笑いで誤魔化すしかない桃子。
そんな感じで桃子と圭織の2人で喋っていると、女子トイレにあまりに圭織が戻ってくるのが遅いためか、圭織の母親が様子を覗きに来たのであった。
「ちょっと、圭織!!いつまでトイレにいるのよ」「あ。お母さん」「社長さんがあなたと話したいらしく、お探しよ!!」「あ、いっけなーい」
急いで会場へと戻ろうとする圭織。
だが、戻る寸前に圭織はその足を止めると、もう一度桃子の方を振り返り、上品な笑顔で笑いかけた。
「ね。さっきの話の続き。二次会で聞かせてね!!」
「え・・・あ・・・・」
「じゃぁ、またあとでねー」
そう言ってそそくさと会場に戻ってしまう圭織。
「二次会は急用が出来たので」と言う間もなく去っていってしまい、桃子は思わず肩を落とした。
こうなった以上、今更断る事も出来なそうだ・・・。
桃子は鏡の中を覗き込み、今一度深くため息をつくしかなかった。






       ×           ×          × 






夕暮れ時。
ゴルフバックを電車の鉄パイプに立てかけ、梨沙子と愛理は電車に揺られながらシートに腰掛けていた。
横須賀線から見える車窓の景色は、すでにオレンジ色に染まっていた。
窓の外には大船観音が顔を覗かせていた。
「あ、あたし次で降りなきゃ」
そう言って立ち上がり、ゴルフバックを持ち上げる梨沙子。
「え?なんで大船で乗り換えるの?」
愛理が不思議そうに梨沙子を下から見あげると、梨沙子はフッと笑みを零し、愛理を見て答えた。
「湘南新宿ラインに乗り換え」「え?新宿ライン?」「ちょっと・・・池袋に用があって」
そう言ったきり、その場に黙り込んでしまう梨沙子。
だが、付き合いの長い愛理は、なんとなく感じてはいた。梨沙子が池袋へ向かう意味。
愛理はゆっくりと電車のシートからたちあがると、梨沙子と同じくゴルフバックを肩に担ぎ上げた。
「愛理・・・」「あたしも一緒に降りるね」

5番線から2番線へ。
重いゴルフバックを背負いながら階段を上る2人。
5番ホームへ付くと、愛理は「よいしょ」と呟きながらゴルフバックをホームへと置き、梨沙子へと笑いかけた。
「これ池袋で持ち歩くの大変じゃない?」
「それはそうなんだけど」
「それでも会いたいんだ?好きな人と」
「あ・・・・・」
図星な言葉に思わず黙り込んでしまう梨沙子。
雅との事は、まだ親友の愛理にすら教えたことはなかった。
だが、愛理はなんとなく気づいていた。最近の梨沙子の様子を見て、きっと恋人が出来たに違いないと・・・。
「教えてくれればいいのに。水臭いなぁ、りーちゃん」
「ゴメン」
「なに?カッコイイの?その人」
「あ・・・うん。すっごいカッコイイ」
「あはは!すっごい顔がにやけてるよ!!!」
「そ、そんな事ないもん!!」
夕暮れ時のホームに響き渡る2人の笑い声。
やがて、そんな声を掻き消すかのように、列車のけたたましい音がホームの中にこだまする。
オレンジと緑のラインの描かれた列車。湘南新宿ライン。
愛理はその列車を見つめながら、何かをふいに、思い出したように呟いた。
「ねぇ、りーちゃん。確か赤羽行くよね?この列車」
「え・・・。あ、うん。行くと思うけど」
「じゃぁあたしも。行こうかな、東京に・・・」
「へ?なんで?」
思わず素っ頓狂な声で問いかけてしまう梨沙子。
だが、愛理は何も言わない。
たた一言。クスクスっと笑いながら、こう答えたのであった。
「あたしも。好きな人に会いに行く為・・・」
2人で列車に乗り込む。
窓の外に見える大船観音は、夕暮れのライトアップに照らされてオレンジ色に光り輝いていた。








SCEAN12


「いやー!!実に素晴らしい結婚式だったなぁ〜!!!」
ホテルニューオータニ。
結婚式も無事に終了し、清水商事の一同はほろ酔い気分でホテルのロビーを歩いていた。
そしてロビーの前で清水と圭織が談笑をしていると、ニューオータニの支配人の大谷雅恵が、ニコヤカな笑顔で社長の清水の元へ挨拶に訪れる。
「この度は、素晴らしい式を当ホテルで行っていただき、まことにありがとう御座いました」
「いやいやいや。ウチの会社とは懇意にしておりますからなぁ〜。こちらのホテルは」
「また何か御座いましたら、是非とも、当ホテルをよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げる大谷に満足そうに頷く清水。
ひとしきり支配人の大谷と喋った後、「では、そろそろ二次会の会場に向かおうじゃないか!」と言って、一同はホテルを後にするのであった。
そして、ニューオータニを後にした一同が向かう先は、池袋にあるオシャレなショットバー。
圭織お気に入りのショットバーらしく、今日の日の為にお店を夕方から貸し切りにしていたのであった。
にぎやかな雰囲気のまま池袋の東口を抜けショットバーへと向かう一同。
だが、その道すがら・・・。
「ん?」ふと立ち止まる清水。
「どうされました?社長?」能登が問いかけるが、清水は不思議そうに眉間に皺を寄せ、遠くを見つめるばかり。
その清水の目線の先には、意外な人物の姿があったのであった・・・。
「あれは、梨沙子・・・?!」
「え?梨沙子お嬢様ですか?」
「あの・・・・一緒にいる連中は、一体なんなんだ?」
目線の先にはゴルフバックを背負った梨沙子の姿。
その隣りにはダボダボの服を着た色黒の背の低い少年と、露出の派手な洋服を着たハーフ顔の少女。
そしてそのほかにも何人もの、決してガラの良いとは言えない少年少女たちの姿。
そんな連中と一緒にたむろして歩く梨沙子の姿に、状況が理解できぬまま、思わず呆然と立ち尽くしてしまう清水。
「り、梨沙子・・・?」
俄かに頭の中がカッーっと高揚してくる。
ゴルフバックを背負ったあの姿は間違いなく梨沙子の姿。
そして、そんな愛娘の梨沙子が、あんなガラの悪い連中と池袋の街でつるんでいる。
理解しがたいその状況。受け入れたくない現状。
気づけば、清水は顔を真っ赤に高潮させたまま、若者の群れの中へと怒鳴り込みに行っていたのであった。

「り、梨沙子ーーーー!!!」

そんな突然に聞こえた怒鳴り声に、思わず振り返った梨沙子は、清水の顔を見た瞬間、時が止まったかの様に凍りつく。
「パ・・・パパ?」
何故、こんな所に父親がいるのか・・・?
愕然とした表情で固まっている梨沙子に、ズカズカとにじり寄っていく清水。
清水は梨沙子の両肩を掴むと、大声で梨沙子を怒鳴りつけるのであった。
「お、お前!!なんでこんな所に・・・こんな連中と!!」「あ・・・・」「こんなチンピラどもと、なにしているんだ?!!」
街中に響き渡る怒鳴り声。
通りすがりの若者達が、訝しげな表情で2人の様子をチラリと垣間見て行く。
もはやワケが解からない様子で、清水に肩を揺さぶられたまま、何も言えないままに凍りついている梨沙子。
すると、千聖がクチャクチャとガムを噛みながら、梨沙子の肩を掴んでいる清水の手を解き、2人の間に割って入ったのであった。
「んだよ、オッサン。うっせーなぁ〜!!」
「な・・・なんて口の聞き方だ!貴様!!」
「それはこっちのセリフだよ、ちっさいオッサンよぉ!!」
目を見開き、清水の顔を睨みつけ怒鳴りつける千聖。
その様子を見て、状況が解からぬまま立ち尽くしていた清水商事の社員達が、一斉に清水の元へと駆けつけてくる。
「な・・・チンピラども!!社長になんて口の聞き方だ、おまえら!!」
「あん?社長?こんなちんちくりんなおっさんがか?」
千聖の言葉を聞き、ロビンを始め、若者達が一斉に笑い声を上げる。
そのガラの悪い雰囲気に、どことなく気後れしている社員達。
千聖はガムをクチャクチャと噛みながら、清水や社員たちを一瞥したあと、「なるほどねぇ〜」となにやら満足げな表情で頷きながら、梨沙子の方へと振り返った。
「へー。そっかぁ。つまり、お前って社長令嬢だったんだ」
「・・・・・・・・」
俯きがちな視線。
キュッと口を真一文字に噤んだまま何も言わない梨沙子。
ロビンも「あ!そーゆーことねぇ」と笑いながら、梨沙子の背中越しに腕を回すと、梨沙子の体に抱きついた。
そして梨沙子の肩にアゴを乗せると、その耳元でクスクスと笑う。
「そっかぁ。どーもお嬢っぽいと思ったら、社長令嬢なのねー、あんた。そりゃ雅もあんたの事、大切に扱うわよね〜」
そう言ったあと、ロビンが「金で雅と繋がってるんじゃ、勝てるはずないよねぇ」と嫌味ったらしく笑うと、千聖たちもケタケタと下卑た笑い声をあげた。
「アハハ!社長令嬢を落とすなんざ、やっぱ雅のアニキはイケメンだよなー!!!」
そんななんとも言えない居心地の悪い空気の中、一番知られたくなかった『社長令嬢』と言う事実をロビンたちに知られてしまった梨沙子は、もはや何も言えず立ち尽くすしかなかった。
すると――。
目の前で起きている会話のやり取りにしばし目をパチクリとさせていた清水は、ロビンの言ってる事の事実に動揺を隠せぬまま、唇を小刻みに震わせ梨沙子を見た。
「ど、どう言うことだ?梨沙子。その・・・雅ってのは、誰だ?」
すっかりと青ざめた表情の清水。
梨沙子は唇を噛み締めると、何も言いたくない意思を表すかのように、目線を遥か遠くの街並みへと向ける。
高架の上に山手線がゴトゴトと通り抜けていく姿が見えた。
目線すら合わせる意思のない梨沙子。
そんな梨沙子の態度に、清水は頭の中がカッと熱くなる。
気づくと清水は、 「何か言え!!!梨沙子!!!」と高らかに怒鳴りつけ、右手の手のひらでバシッと梨沙子の左頬を叩いていた。
「その雅って言うのは誰だ?!!!」
「・・・・・・・・・」
「か、金で繋がってるって言うのはどう言う・・・」
「ちがう!!みやとは、お金なんかで繋がってるんじゃないもん!!!」
清水の言葉に、怒りで顔を真っ赤にしながら怒鳴り返す梨沙子。
いつもの梨沙子からは考えつかない反抗的なその態度に、清水は気後れした様子で僅かに後ずさった。
「り、梨沙子・・・」
「パパなんて、あたしの事、何も興味がないくせに・・・。こんな時だけ、父親ヅラしないでよ・・・」
「な!?」
「あたしが誰と付き合おうと、パパにはカンケーないでしょ!!」
冷たく突き放すような梨沙子の言葉に、愕然と表情を凍りつかせる清水。
ソレを見ていた千聖たちはゲラゲラと下品な笑い声をあげながら、清水の足元にガムを吐き捨てた。「へっ。そーゆーことだよ、オッサン!!」
そして「じゃ、雅のアニキのトコへ行こうぜ、梨沙子」と言って千聖は梨沙子の肩に腕を回す。
何も言わないまま、コクリとだけ頷く梨沙子。そんな娘にかける言葉が見つからぬまま、唇を震わせているだけの清水。
やがて梨沙子は、千聖とロビンたちに連れられたまま、池袋の街の喧騒の中へと消えていったのであった。





   ×            ×              ×





BAR 『風のうわさ』。
圭織の結婚式の二次会が行われている店内は、すっかりと賑やかな雰囲気に包まれていた。
みんなで笑い声をあげながらゲーム大会を行ったり、圭織オリジナルレシピのカクテルが参加者に振舞われたりの、二次会らしい気軽で楽しい空間。
だがそんな中。やっぱりどことなく、みんなの明るい空気に馴染めないままの桃子。
庶務課のOLたちがワイワイとマティーニを飲みまくっている所から離れると、店の隅っこの方に移動し、ちょびちょびとカルアミルクを飲んでいた。
そもそも、あまりお酒が強くない桃子は甘口のカクテルしか飲むことが出来ない。
大勢の中にいるとどーしても上司に強めのカクテルなどを勧められてしまうこともあり、出来る限り人目につかないように店の端っこでチビチビと飲んでいたかった。
すると・・・。
同じように、店の隅の方で壁によっかかり、カクテルを1人飲んでいた清水と俄かに目が合う。
清水は桃子と目があった瞬間、おやっ?と言った表情をうかがわせる。
「あれ?君は確か・・・」
一瞬、誰だか解からない様子でキョトンとした顔を見せる桃子。
あれ・・・この人だれだっけ?と頭の中でアレコレと考えているウチに、俄かに思い出し、桃子のなかで戦慄が走る。
「あ!!し、清水社長!!?」
正直なところ、庶務課のOLは社長の顔を見ることなんて殆どない。
だからすぐには思い出せなかったが、特徴のある背のちっちゃさから気づき、動揺を隠せぬままに桃子はペコペコと頭を下げた。
「あ、あの!こ、こんばんわ!!」
「えーと、確か。嗣永君だったっけ?庶務課の・・・」
「は、はい!!嗣永桃子です!!」
「やっぱりそっか。久しぶりだねぇ・・・」
そう言って笑う清水。
だが、その笑顔にはイマイチ覇気がない。せっかくの部下の結婚式だというのに・・・。
そもそも、会社の社長である清水が、誰とも一緒におらず、1人で店の隅っこで酒を飲んでいる時点で何か妙な感じがする。
桃子が不思議そうに清水の顔を見つめていると、桃子が考えている事を察したのか、清水が苦虫を噛み潰したかの様な笑顔で呟いたのだった。
「せっかくの結婚式なのにスマンなぁ。ちょっと、家の事で困った事があってね・・・。誰とも話したくなくて1人でいるんだ」
「え・・・?」
「フフ。『子はかすがい』なんて言うが、だからこそトンカチで叩きたくなるぐらいに、憎いときもあるもんだなぁ〜」
そう言って自嘲的に笑う清水。
そんな清水の呟きを聞き、桃子は思わず「なんか。落語の『子別れ』みたいですね」と答えてしまう。
すると、桃子の回答を聞き、清水は至極意外そうな表情で桃子の顔を見たのであった。
「おや?落語なんて知ってるのかい?君?」
「あ、はい。落語好きなんです。まぁ、でも、どちらかと言うと本読むほうが好きなんですけど・・・」
「へー。本読むの好きなのかい?最近の子にしては珍しいね。私も本読むのも好きだし、落語も好きなんだよな〜」
そして、なんとなく2人で好きな本や、好きな落語の話などをしだす。
純文学から最近のミステリーまで、幅広く知識のある桃子。
「嗣永君は、ドストエフスキーとかそー言うのも読むのかい?」
「あ、はい。地下室の手記と、白痴は読んだかな?」
「へー。白痴って長いでしょ?そう言えば白痴って、日本映画になってるよね〜」
「あ!確か、黒澤明ですよね」
そんな感じで、本の事を語り合う2人。
自分も本好きでそうとう本を読むほうではあるが、そんな自分以上に本の知識に富んでいる桃子に、清水は驚きを隠せない。
周りの部下達の中に、純文学などに詳しい人間はいなかっただけに、なんとなく嬉しくて夢中になって2人で本の話を語り合う。
気づけば、2人で話だして30分ほどの時間が流れていた・・・。
「いやーーー。スマンね。すっかり話し込んでしまったなぁ〜!!」
そう言って頭をかく清水。
桃子は笑いながら「いえ。あたしこそ、なんか色々話し込んじゃって・・・すみません」と、答える。
だが、部下の結婚式の二次会で、まさか文学の話でここまで盛り上がれると思って居なかった清水は実に満足げな様子。
「いやはや。実に楽しかったよ、嗣永君。また今度一緒に飲もうじゃないか!」
「あ、はい!!是非・・・」
「さて。それではそろそろ、みんなの所へ戻るかなぁ〜」
さっきまでの清水の、どこか落ち込んでいた雰囲気もすっかり回復し、ご機嫌な様子。
清水は笑顔のまま部下達のところへ戻っていくと、周りも清水の機嫌が回復したのに気づいたのか、おべっか笑いを使いながらも会場は再び盛り上がりを見せる。
そして清水がいなくなり1人になった桃子は、今度は圭織に捕まり、先ほどトイレで話した「好きな人たち」の事についてマンツーマンで取調べを受ける事になるのであった。
こうして・・・圭織の結婚式の二次会の夜は賑やかしく過ぎてゆく・・・。






   ×            ×              ×






池袋東口のゲームセンター。
大音量の機械音が響き渡る室内。
雅はタバコを咥えたままゲームセンターの外に出ると、ポケットから1枚の紙切れを取り出す。
それは先日、桃子から貰った名刺。
名刺にはケータイアドレスとケータイ番号が記されている。
雅がぼんやりとその名刺をみつめていると、「みや・・・」ふと後から声をかけられ、雅は思わずその名刺を隠すようにポケットにしまいこむ。
そして、振り返ると・・・「んだよ。梨沙子かよ」そう呟くと、軽く舌打ちをしながら、咥えていたタバコを地面へと投げ捨てた。
俯いたまま、ゲームセンターの外壁に寄りかかる雅。
梨沙子はゴルフバックを壁に立てかけると、雅の隣りに立ち、壁に寄りかかる雅の肩に頭をもたれかけた。
2人の間に、しばしの沈黙が流れる。
ゲームセンターからは、電子音に混じってバラードナンバーが聞こえてきた。
抱き寄せるでもなく、拒むでもなく・・・肩に凭れる梨沙子の髪をそっと撫でる雅。じっと、目を閉じる梨沙子。
やがて、梨沙子は目を開くと、ポツリと呟くように言った。
「さっき。パパに見つかっちゃったの」「らしいな・・・千聖に聞いた」「すっごい怒ってた」
雅はフッと自嘲的に笑うと、肩に凭れる梨沙子を振り払うように、壁からゆっくりと体を起こした。
凭れる場所を失い、ゆっくりと顔をあげる梨沙子。
瞬間、寂しそうな雅の横顔が梨沙子の目に止まり、心がキュッと痛んだ。
「ハッ。そりゃ怒るだろ。社長令嬢のおじょーさまが、こんなチンピラと一緒につるんでりゃな〜」
「・・・・・・・・・みや」
「もう、帰った方がいいんじゃねーのか?パパの元へさ・・・」
「や、ヤダ!!帰りたくない!!」
思わず声を荒げて否定する梨沙子。
すると、ゲームセンターの自動ドアが開き、2人の耳に大音量の機械音が流れ込んで来て、2人はそちらの方向を見やった。
視界には、クスクスと楽しそうに笑い声をあげながら、2人の元へと近寄ってくるロビンの姿が見えた。
そしてロビンは、楽しそうに2人の間に割って入ると、自分の腕を雅の腕に絡め、雅の頬へ唇をそっと押し付けた。
それを見て、思わず凍りつく梨沙子。
そんな梨沙子の反応を面白がっているのか、ロビンは梨沙子を見ながらクスクスと声をあげると、どこか挑発的な眼差しで梨沙子を睨みつけた。
「フフフ。まだいたの?あんた?」
「・・・・・・・・・・」
「お嬢はさっさとパパと一緒におうちに帰りなよ。雅にはアタシが一晩中ついてるからだいじょーぶ」
「・・・・・・・・・・」
「ねっ、雅〜。アタシがいるから、女には困ってないもんねー」
そう言って雅に凭れかかり猫撫で声をあげるロビンに、フンッと鼻で笑ってしまう雅。
凍り付いている梨沙子をチラッと一瞥すると、「そうだな・・・」と呟き、自分の体に凭れるロビンの肩を抱きしめ、その首筋にキスを落とした。
大きく見開かれる梨沙子の目。心臓の辺りがどーしよーもないぐらいにキリキリと痛み出す。
そして、そんな切り裂かれるような痛みに追い討ちをかけるよう告げられる「さっさと帰れよ・・・梨沙子」と言う、冷たい一言。
梨沙子はギュッと両目を閉じる。両の目からポロポロと零れ落ちる、冷たい雫。
壁に立てかけていたゴルフバックを背負うと、梨沙子はまるで逃げ出すように、池袋の街を駆け抜けて行った。






SCEAN13


気がつくと、夜の繁華街に雨が降り出していた。
ホストクラブ『Berryz』。
土曜日の夜なだけあって、店内は遅い時間まで夢を求める奥様方で賑わっていた。
「ねぇ、熊井さんはまだ?」
「すみません。熊井は先客が来てまして・・・」
「えーなんでよーー!!」
熊井目当てに来ていた篠田の奥様の不満気な声が聞こえる。
人気NO1だけあって、やはり熊井目当てのお客は後を絶たない。
ましてや篠田も、来るのは月イチ程度とは言え、羽振りの良い上客。
吉澤は「とりあえず、挨拶に来させますから。少々お待ち下さい」と言って、席を離れる。そして、熊井のいる席へと向かった。
そこでは熊井が、相変わらず通い詰めている茉麻と、賑やかに会話をしている姿があった。
吉澤は2人の邪魔にならないように会話が途切れるのを見計らったあと、後からそっと熊井の耳元に耳打ちをする。
「おい。ちょっとだけ席を外せ。篠田の奥様がおこしだ・・・」
「・・・・・・解かりました。今、行きます」吉澤を見て、コクリと頷く熊井。
そして、熊井は不思議そうにこちらを見ている茉麻と目を合わせると、「すいません。少しだけ席を外させていただきます」と言って立ち上がる。
だが、茉麻はそれを許そうとはしない。
「なに?他のお客さん?今日は私があなたを貸切のハズでしょ?」と言って、熊井の腕を掴み、キツく目を細めた。
茉麻は他のお客の数倍の金額を支払う事で、熊井を独占できる権利を持っていた。
元々そんなルールがあるワケではないが、それは暗黙の了解的にホストクラブ『Berryz』で行われているやりとり。
そんな茉麻に困った様子で眉を寄せている熊井。
「すぐに戻りますから、茉麻さん・・・」と答えるが、茉麻は首を縦には振らない。
困った熊井がチラッと吉澤の方に目線を向けると、吉澤もこちらの状況が読めたのか、苦虫を噛み潰したような表情で腕を組んだ。
しばし、どうすることも出来ないまま目線を合わせる、熊井と吉澤。
やがて。吉澤は何かを大きく口パクで伝えると、力強く相槌を打った。それは、こう言う状況になったときのいつもの合図でもあった。
(やっぱ、こーなるのか・・・)
熊井はやりきれない様子で顔を顰めた後、何か意を決するかのように息を吐いた。そして・・・
「茉麻さん・・・」
「なにかしら?」
「ちょっとだけ、席を外させていただきます」
「な・・・!だから、今日はわたくしが!!!!」
その瞬間。茉麻の頬に唇を寄せる熊井。
わずか一瞬のキス。だが、その一瞬に茉麻の体が刹那に硬直し、その頬は真っ赤に染まっていった。
「あ・・・・・・」
潤んだ目で見つめる茉麻に、そっと笑いかける熊井。
大きな手が、茉麻の右手をギュッと包み込んだ。
「今日の僕は、茉麻さんの貸切ですよ」
「え?」
「他の誰に会おうとも、心はあなたの側にしかいません」
「・・・・・・・・・・・・・」
熊井の言葉に、顔を真っ赤にして俯く茉麻。
いつもの口説き文句。お客とホスト。こんなセリフ、口先だけで喋っているのは解かっている。
だけど、それでも・・・例え嘘だと解かっていても、その言葉に心ときめかないオンナなんて居るのだろうか・・・?
「じゃぁ・・・すぐに戻りますから」
そう言って立ち上がる熊井を、もはや引き止める事は出来ない茉麻。
「早く戻ってらして・・・」名残惜しそうに、うっとりと熊井の腕から離れる茉麻の指先。
そして。
そんな2人の様子を見て、「よしよし」と安心した様子で頷いている吉澤。どうにか茉麻にも篠田にも面目が立つことが出来て一安心。
だが、一難去ってまた一難とはこの事であろう・・・。
そんな満員御礼なホストクラブ『Berryz』の中に、別の奥様の声が響き渡っていた。
「ねぇ、ちょっとぉ〜!!矢島さんが中々戻ってこないんだけど、どーなってるのぉ?!」
それは月2回ぐらいの割合で来る常連、矢口真里の声だった。
そんな声を聞き、吉澤は(また熊井ご指名か・・・)とため息をつくが、すぐに「・・・・・え?!矢島??」と素っ頓狂な声をあげた。
「え?え?え?舞美のヤツ、いないですか?矢口さん!!」
「店の奥へ行ったきり戻らないわよ、10分ぐらい」
「えー!!何やってんだ、アイツ?!!」
急いで店の奥へと駆け出して行く吉澤。
今日のBerryzは、雨が降っているとは思えぬ程に理不尽な賑わいをかもしていた。





       ×          ×          ×




ホストクラブ『Berryz』の裏口。
舞美はゴミ箱の上に座りながら、千奈美と会話を交わしていた。
どこか気落ちしてる様子の千奈美。自分達の上にある屋根から、ポタポタと零れていく雨音が聞こえた。
「今日は寄んねーの?千奈美」
腰掛けたまま、立っている千奈美の顔を見上げる舞美。すると、千奈美は乾いた笑顔を浮かべながら、首を横に振った。
「しばらく寄れそうもないの・・・」
「え?なんでだよ?!」
「貯金が底ついちゃった」
そう言ってクスクスと笑う千奈美。
店の壁に背を凭れさすと、屋根から落ちた冷たい雫が、ポタリと千奈美の頬っぺたを濡らした。
「あたしはただのOLだからね。茉麻さんと違って・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
何も言えなくなる舞美に、千奈美は笑いながらバンバンとその肩を叩いた。
「ちょっとぉ!暗い顔しないでよ、舞美〜!!!」「ちょ!痛て!叩くな!!」「給料日後とか、また来るからだいじょーぶ!」
ゆっくりと虚空を見上げる千奈美。
元々細い目をギュッと細め、笑顔を零した。
「熊井さん好きなのは変わらないもん。またしつこく来ちゃうから!!」
そう言って、あははと楽しそうに笑っている千奈美だが、付き合いの長い舞美にはそれが空元気なのが目に見えて解かり、胸が痛む。
舞美が無言のまま千奈美の顔を見つめていると、舞美には本心が見透かされているであろう事に気づいたのか、千奈美は舞美に苦笑いで微笑むとキュッと唇を噛み締めた。
しばらく何も言えず見つめ合ったままの2人。
舞美は腰掛けたままコツンと壁に頭を凭れさせると、千奈美を見上げたままにポツリと呟いた。
「ムリすんなよな、千奈美・・・」
「解かってるよ・・・バカ」
雨音がアスファルトを叩く。
雨脚が少しづつ強まっていくのが解かった。
「茉麻さん。今日も来てるの?」
誰に聞くでもなく、まるで独り言のように呟く千奈美。
舞美は言うべきか言わないべきか3秒ほど沈黙するが、「あぁ。来てるよ・・・」と素直に答えた。
ここでウソついて「来てない」と答えたところで、たいして意味なんてないような気がした・・・。
舞美の答えを聞き「やっぱりね」そう言って肩をすくめる千奈美。
最初から来てることぐらい把握していたのか、意外な程アッサリとした反応であった。
「あの人には、やっぱ勝てないよね〜。あたしなんかじゃ・・・」
「そんな事ねーよ・・・」
「ま。熊井さんへの愛の強さじゃ負けない自信はあるけどね!!」
そう言って笑う千奈美に、「確かにな・・・」思わず釣られて笑ってしまう舞美。
「ここまでホストに尽くすバカ、見たことねーよ・・・」と言って笑うと、千奈美は「うるさいなー」と言って、座っている舞美の脚にガシガシと蹴りを入れた。
なんとなくいつもの元気さが戻った様子の千奈美に、なんだかホッとしてしまう舞美。
2人でしばらく、いつもの調子でコントの様なやりとりを交わすが、ふと、千奈美は思い出したように店の方を振り返った。
「ってゆっかさ。そろそろ店に戻らないと、ヤバくないの?舞美??」
「え?なにが?」
「仕事中でしょ?」
「あん?」
思わず舞美は素っ頓狂な声をあげる
だが、そのポカンとした表情は、次第に青ざめて強張り始めてくる・・・。
「あ・・・あぁ!!!ヤベ!!!常連の矢口さん、放置プレーしてる、オレ!!!」
「はぁ?!!マジで?!!なにやってんのよ、あんたー!!!」
あばあばしている舞美に、思わずガックシと肩を落とす千奈美。
まぁ、自分が舞美を尋ねて来たのが悪いといえば悪いのだが、まさか常連客を放置して来てくれてたとは思わなかった。
相変わらずの舞美のダメさに頭が痛いが、逆に、常連の客を放置してまで友人に会いに来てくれた舞美の優しさを考えると、ちょっと感動を覚える。
千奈美は壁に立てかけていた自分の傘を手に取ると、舞美にニッコリと笑いかけた。
「あたし戻るね。今日はありがとう、舞美」
「あ、あぁ・・・ゴメンな。今度ゆっくり話そうな!」
そう言って爽やかな笑顔で手を振る舞美。
自分は急いでるくせに、千奈美がいなくなるまでちゃんと見送ってしまうあたりが、なんだかんだでホストの習性。
そして、千奈美が駅の方へと戻ろう歩き出したのを見て、舞美が店へ戻ろうとした、その時だった。

「あ・・・あれ?!」
突然背後から聞こえた、千奈美の不思議そうな声。
それを聞き、店に戻ろうとしていた舞美は、「え?!どーした?!」と言って思わず後を振り向く。
すると・・・そこに見えたのは。
傘を差したまま立ち尽くす千奈美の背中と、その向こう・・・。
雨の中、何もささずに、ゴルフバックを背負ったまま立ち尽くす少女の姿があった。
千奈美がなにやらその少女と会話をしているが、千奈美の傘で相手の顔が見えず、舞美には誰なのかがわからない。
「どした?千奈美。知り合いか?」
不思議そうに声をかける舞美。
すると千奈美は満面の笑顔で後ろを振り返ると、「うん・・・舞美にお客さん!!」と言って、そのまま右に2歩ほどずれた。
そして、傘がどいた瞬間に見えた、その人物は・・・。
「あ、愛理?!!」
「お兄ちゃん・・・」
そこにはニコニコと、八重歯を見えて笑う愛理。
紛れもなく、横浜の鈴木家に住んでいる、妹の愛理の姿がそこにあったのだった。
「ちょ、おま!なんでここに・・・」
とりあえず愛理の元へ駆けつけ、愛理を建物の屋根側に入れてあげる。
突然振り出した雨ですっかりビショビショらしく、愛理は寒そうに少しだけ肩を震わせていた。
「お前・・・なんでここに」
「いいでしょ?お兄ちゃんに会いに来たって」
「よくねーよ!!オレに会いにきたこと、オヤジや貴子さんにバレたらヤバいだろ?!」
「カンケーないよ。お父さんもお母さんも・・・」
そう言って俯く愛理。
すると、びしょ濡れの前髪から、頬へと水が流れ落ちた。
舞美が困ったように愛理を見ていると、千奈美はポケットからハンカチを取り出すと、愛理の顔をポンポンと拭いてあげた。
中高と舞美と同級生だった千奈美は、愛理とも勿論面識はあった。
舞美と愛理の複雑な家庭事情も承知していたし、愛理が家族の中で舞美にだけ心を開く気持ちも、なんとなく解かってはいた。
だからか、千奈美はいつもお姉ちゃんのような気持ちで愛理に接していたし、愛理も自分にはすごく懐いてくれていた。
「久しぶりだね、愛理ちゃん」そう千奈美が笑いかけると、
「うん。千奈美さんもお久しぶりです」
ペコリと頭を下げる、相変わらず礼儀ただしい愛理。
家柄の良い鈴木家で育てられた愛理は、昔から礼儀がしっかりしていて、とてもいい加減な舞美と兄妹には思えない。
「ホント、愛理ちゃんは礼儀正しいし、賢いし。お馬鹿な舞美と大違いだよね〜」と笑う。
それを聞き「うっせーなー!!」とブーたれる舞美。
そんな舞美の隣りで、愛理は嬉しそうに2人のやりとりを見ながらクスクスと笑っていた。
相変わらず舞美の側に来ると幸せそうな愛理。
昔から自分の前だと、愛理は良く笑った。鈴木家の人間とは、上手くいってない事は知っていた。
舞美は愛理を見ると、ちょっと困ったように眉間に皺を寄せ、その頭をポンポンと優しく叩いた。
「あのさ愛理。オレはまだお仕事中だから・・・せっかく会いに来てくれたけど、今日は話してるヒマないんだ。ごめんな」
「・・・・・・・・・・・」
「また今度さ、ゆっくり会おうぜ。愛理」
舞美が柔らかい口調で言いながら頭を撫でると、愛理は何も言わないままその場にうつむいた。
愛理はワガママは言わない子だった。勿論、舞美にも滅多にワガママは言わない。
だけど、舞美と別れるときはいつも寂しそうな目で縋るように舞美を見る。何も言わない愛理だが、その目が「家に帰りたくない」と語っていた。
でも。どうしようもないことだってある・・・。このまま愛理を、家に帰さないワケにもいかない。
舞美がどうしたものかと言った表情で愛理を見ていると、千奈美が横からニコニコとした笑顔で愛理の顔を覗きこみ、その背中を撫でた。
「ね、愛理ちゃん。ちぃと一緒に帰ろっか・・・」
「・・・・・・・・」
「お兄ちゃんはまだお仕事だし。このまま、お兄ちゃんに迷惑かけるのは愛理ちゃんだってヤでしょ?」
優しく問いかけると、愛理は口をへの字に曲げたまま、コクリと頷いた。
大好きな舞美の側にはいたいが、大好きな舞美に迷惑をかけるワケにはいかない。
素直に頷く愛理に、千奈美は「じゃ、一緒に帰ろっ」と言ってその手をそっと握り締める。その手は、雨の寒さですっかりと冷え切っていたのが解かった。
「ゴメンな、千奈美」舞美が言うと、「気にしないでよ。どーせ駅に帰るつもりだったし」と言って千奈美はかぶりを振った。
千奈美の隣りでは、愛理が名残惜しそうな表情を浮かべじっと舞美を見つめた後、千奈美に手を引かれて『Berryz』を後にした。
夜の闇に揺れる傘。激しい雨音。
舞美はじっと傘が消えていくのを見送った後、再び店の奥へと戻っていった。
店の中では店長の吉澤が血相を変えて自分の事を探していたらしく、舞美は吉澤や常連の矢口に、頭ごなしに叱られるハメになってしまったのだった。


(つづけ!!)