SCEAN7

家族の会話は、無機質で無気力。
朝の清水家の食卓は、ホームドラマのワンシーンの様に、嘘と演技で塗り固められていた。
「梨沙子。この間の塾のテストはどうだった?」
清水の言葉に梨沙子は取り繕ったような笑顔でニコリと答える。
「うん。数学が一番良かったかな。98点だった」
「おー!惜しかったな。あとちょっとで100点じゃないか」
「歴史だけちょっと悪くて87点だったけど。今度挽回するよ・・・」
「ハハハ、頼もしいなぁ〜。なぁ、母さん」
清水が問うと、茉麻は梨沙子と同じようにニコリと微笑み、頷いた。
「梨沙子は手の掛からない子で助かるわ〜」
「今度のテストで全教科90点以上だったら、なんでも好きなモノ買ってやるぞ!!頑張れよ、梨沙子!!」
「・・・・・・うん」
軽く頷いた後、梨沙子は無言のままクリームスープを口にする。
茉麻は黙ったままパンにバターを塗る。
清水はコーヒーを飲みながら、英字新聞を読む。
家族間に家族らしい会話なんて何もなかった。口を開けば勉強の事や仕事の話ばっかり。
そして勉強や仕事の話が終われば、黙り込む。そして、また勉強や仕事の話を始める。その繰り返し。
家族の事になんて、父も母も全く興味なんてないんだ。
自分達の娘が毎晩の様に夜遊びしてる事も、彼らは知らない。このウチは狂っている・・・。
「ごちそうさま・・・」
フォークをテーブルに置き、立ち上がる梨沙子。
「あら、もう行くの?梨沙子」「うん」「今日は遅いの?梨沙子?」
茉麻の問い。梨沙子はしばし考えたあと、コクリと頷く。
「塾が終わった後、またみんなでファミレスで勉強会すると思う」
「あら、毎晩大変ねー」
そう答える茉麻。だが『大変ね』といいつつも、心配してる様子なんて微塵もなかった。
むしろ、娘が遅いお陰で、また遊びに行けるとすら思っているハズだ。父も今日、明日と名古屋に出張。きっと今晩も母は帰らないだろう・・・。
もっとも、そんなのは別に構わない。だったら自分も帰らなければいいんだ。勉強会なんて嘘。どーせ嘘で塗り固められた家族だ。自分も徹底的に嘘つきになってしまえばいい・・・。
一方。
そんな母子の会話には全く興味無さ気の様子で、コーヒーを飲んでいる清水。
だが、ふと清水は思い出したようにコーヒーをテーブルに置くと、メイドのえりかの方を振り返った。
「そうだ、梅さん。結婚式用の黒スーツはクリーニングから戻ってきてるかな?」
「はい、旦那様。昨日戻って参りました」
「そうか。今週末使うから、準備しといてくれよ」
2人の会話を聞き、「どなたかご結婚なさるの?」と問いかける茉麻。
清水はコーヒーを口にしながら、コクリと頷いた。
「あぁ、ウチの社員がな・・・。最近結婚式が多くて目出度いことだよ」
「お葬式が続くよりもお目出度いですものね」
そう言って笑う茉麻。だが、2人の会話は続かずにすぐに途切れる。
梨沙子は無機質な表情で2人の『夫婦ごっこ』を見届けた後、「行って来ます・・・」と呟き、清水家を後にした。
リビングからは「いってらっしゃい」と言う、2人の感情の薄い声だけが聞こえてきた。




       ×           ×            ×




朝の清水商事、庶務課。
いつもどおり、顧客会社への送付用の書類をコピーしている桃子と、雑用をしているOL達。
そんな中、中澤課長は一生懸命に唸りながら赤ペンを耳にかけて考え込んでいた。
考えこみながらうなっている中澤に、あっきゃんがお茶を持ってきがてら声をかける。
「どーしたんですか?課長。唸ってますけど。競馬ですか?」「ちゃうわ!・・・結婚式のスピーチ。どーしょーかと思ってな」「あぁ、飯田さんのですねー」
飯田圭織。
つい3ヶ月ほど前まで庶務課の部長を務めていた女性。
今は出世して他の課に移動になったが、庶務課にいた時期の方が圧倒的に長く、スピーチを中澤がすることになっていた。
礼儀正しくて優しい圭織は庶務課の人気者で、はぐれ者の桃子にすら、優しく接してくれたのだった。
「今週末、みんな行くやろ?」
「勿論行きますよー」
「社長も来るらしいからな。粗相のないようにな」
そう言って桃子の方をギロッと睨みつける中澤。「特に嗣永!!今度は失礼するんやないぞ!!」
「は、はい・・・。申しわけありません」
先日、清水社長が庶務課に来た際に、お茶を盛大に零してしまった事を思い出し、改めて凹んでしまう桃子。
あの後、秘書の能登に中澤は再三注意を受けたらしく、桃子に対して(イヤラシイ気持ちだが)比較的優しかった中澤にまで、あれ以来、目を付けられてしまったのであった。
桃子が中澤に注意を受けているのを見ながら、クスクス笑っているあっきゃんとはしもん。
そんな居心地の悪い思いを感じながら、桃子は黙々と発送用の書類を封筒に詰める地味な作業を行っていた。
書類の計算をして、エクセルでまとめて、コピーをして、発送して・・・。なんとも退屈な作業。
こんな毎日を、居心地の悪い思いをしながら地味に繰り返している自分に、いい加減辟易してくる。
自分は毎日、何をやっているのだろうか?どこか違う世界に行きたい・・・。ここではない。もっと違う世界に。
黙々と仕事をしながら考え込んでいる桃子。
その後方で、あっきゃんとはしもんが、羨ましそうに「いいなぁ〜飯田先輩は」と、言葉を交わしていた。
「飯田さんのお相手、カッコイイんだってさー!!あっきゃん」
「羨ましい〜。あたしたちも寿退社したいよねー!!はしもん」
「こんなツマンナイ会社辞めてさ、ワイドショー見ながら旦那の帰りを待って暮らしたいよねー」
「あーあ!清水社長みたいな、金持ちで敏腕でちっちゃくてやり手のカッコイイ社長と結婚してー!!」
そんな事を話していて、中澤に「ヲイヲイ、不倫はアカンやろー」と怒られるはしもん。
「はーいスミマセーン」とおちゃらけるはしもん。3人はケタケタと笑いながら、雑談に花を咲かせていた。
桃子は1人で黙々と作業をしながら、そんな3人の話を耳にしつつ、ふと熊井の事を思い出していた。

(結婚かぁー。もしも熊井さんみたいな人と結婚出来たらステキだろーな・・・)

あの日。
週2回、図書館で2人で会う約束をしてから・・・桃子はもう、5・6回、熊井と会っていた。
とはいっても、自分が職場を終え、熊井が出勤するまでの短い時間。1時間にも満たない間だけど、それは夢の様なひとときだった。
2人で好きな本の話をして、時々会社の愚痴を聞いてもらって、熊井が優しい笑顔でうんうんと頷いてくれて。
勿論、2人は恋人とかそんなカンケーではないけれど・・・熊井と2人でいる間は、このつまらない日常から逃げ出すことの出来る、夢の様な時間だった。

(あんなカッコイイ、ステキな人と、恋人になんてなれるわけないけどね・・・)

熊井といると、幼馴染を思い出す。
カッコよくてスポーツ少年で誰よりも優しかった幼馴染。
幼少の頃から暗くて1人遊びが好きでちっとも目立てなかった自分とは比べ物にならないぐらい、明るく人気者だった彼。
そんなカッコイイ彼が、どうしていつも自分と一緒に居てくれたのかは解らない。
桃子はずーっと幼馴染の彼のことが好きだったけど、人気者の彼に自分なんてつり合わない事は十分解っていた。
それでも・・・彼と一緒にいた思い出は、夢の様に幸せな思い出。
「みーやん。また会いたいな・・・」
でも、彼から連絡が来る事は、もうなかった。
きっと自分の事なんて、忘れてる。彼に釣り合う恋人を見つけて、きっと幸せに暮らしているんだろう・・・。

そんな事を考えながらボーっと作業をしていると、不意に職場の時計が鳴り響いた。
終業30分前を知らせるチャイム。
「あっ、いけない!!早くしなきゃ!!」桃子はハッとして、封筒を閉じる作業の速度を速めた。
ボーっとしてちゃいけない。夢に浸ってる場合じゃない。早く仕事をしなきゃ。
どーせこのつまらない現実からは、逃げる事が出来なのだから・・・。







       ×           ×            ×







新宿。
出勤前。熊井は自室のベッドに潜り込み、夢中で本を読んでいた。
本のタイトルは『サクラ色の約束』。桃子に薦められた本。
熊井は本に目を通しながら、桃子が図書館で話していた言葉を思い出していた。

「そーだなぁ。恋愛小説だったら、これがいいですよ。あたしこの本好きで、良く読むんです」
「へー。どんな感じの小説なの?」
「うーーん。なんだろ?一言で言うと、好きな子と『また会おうね』って約束するお話なんですけど・・・」
「けど?」
「何年経っても好きな子からは連絡が来ない。女の子はずーっと待ちぼうけなんです」
「そうなんだ・・・」
「なんか、待ちぼうけな女の子の気持ちを考えると切なくて・・・」

そう呟いた時の、桃子の表情が忘れられなかった。
切ない横顔。どこか幼い顔立ちの彼女だけど、その瞬間の横顔は驚くほど大人っぽかった。
「ねぇ、この小説・・・。最後は女の子は好きな人に会えるの?」
「それは・・・」
熊井の問いに、言葉を濁して俯く桃子。
そしてちょっとだけ頬っぺたを桜色に染め、答えるのだった。
「読んでからのお楽しみです!」



かなり長い恋愛小説で、読むのはかなり大変だったけど・・・。
どーしても結果が気になって、熊井は今朝方から一気に読み上げていた。
ストーリーが気になると言うよりも、桃子にこんな表情をさせるこの小説が、どんなモノなのか溜まらなく気になってしかたがなかった。
あの時の桃子の横顔を見た瞬間。自分でも驚くほどに胸が高鳴っていた。

(何故、桃子ちゃんはあんな表情をしたのだろう?)
(桃子ちゃん。ひょっとして好きな人、いるのかな・・・)

初めて彼女に会ってから数週間、桃子の事を考えてばっかりだった。
女になんか、とうの昔に慣れているハズだったのに・・・すっかりハマッている自分に気づいていた。
ベッドに仰向けになり、天井を見上げる熊井。
本を顔の上にパサッと伏せて置き、
「週2回しか会えないのヤダなぁ〜。毎日って言うとしつこいから、3回ぐらいにしてもらおっかな〜」
と呟き、思わず自分で笑ってしまう。
ホストと言う家業。女に恋をさせるのは得意だった。だけど、自分から恋に落ちるなんて思ってもいなかった。
自分に会いに来る客は、こう言う気持ちなのだろうか?
千奈美さんも茉麻さんも、みんなこんな気持ちで自分に会いに来てくれてるのだろうか・・・?

「・・・・と。そうだ、そろそろ店に行かなきゃヤバイよな」

ベッドから起き上がり、身支度をする熊井。
スーツを着て髪の毛を整えて、いつものホストの格好へと着替える。
そんな、いつもどおりの格好になって行く自分を見ながら、熊井はぼんやりと考えた。


(もしも、自分がホストである事が桃子ちゃんにバレたら、一体どうなるんだろうか?)


過ぎる不安。
だが、大丈夫。きっとバレやしない!!!
自分に言い聞かせるように呟き、熊井は急いで店へと向かって行ったのであった。





SCEAN8


ホストクラブ『Berryz』。
ブルゴーニュのワインを口にしながら、熊井に寄り添い、ほろ酔い気分の茉麻。
その一方で、熊井は黙々とグラスを口にしながら、どこか上の空な様子で何かを考え込んでいる様子だった。
そんな熊井を、茉麻が不満気に顔を覗きこんでくる。
「なにを考えてらっしゃるの?熊井さん」「え?」「私と一緒の時は、他の事を考えない約束でしょ?」
茉麻の言葉に、熊井はフッと表情を緩め、答える。
「だから。あなたの事だけを考えていたんですよ・・・」
予想外の返答に、思わず顔を赤らめてしまう茉麻。
どーせ、言いくるめられているだけなのは解っているが、そう言われては悪い気はしない。
茉麻は熊井の肩に頭を凭れ掛けると、
「ねぇ。今日の夜・・・またヒマなのよ」「・・・・・」「いいでしょ?熊井さん・・・」
茉麻のいつもの誘い。
一瞬躊躇いを見せるが、すぐに笑顔を作り優しくうなずく熊井。

そして、そんな2人を隣のテーブルから切なげに見つめているのは千奈美。
大きくため息をつき、気落ちした様子の千奈美に、いつもどおり舞美が極めて明るく接してあげる。
「ホラホラ、飲もうぜ!!千奈美。遠慮すんなよ!!」
「・・・・遠慮もなにも、あたしのオーダーしたお酒だし」
「細かいこと言うなよ、飲もうぜ飲もうぜ!!」
そう言って千奈美のグラスに注いであげる舞美。
だが、千奈美の顔を見てクッチャべりながら注いでる為、案の定、ワインをグラスに入れすぎてテーブルに派手に零しまくる。
「うわっ!!!」
「ちょ!!なにやってんの?舞美?!!」
「ごめ、入れすぎた!!」
アワアワしている舞美を見ながら、千奈美が「しょーがないなー」と呟き、おしぼりを持って立ち上がる。
そしてテーブルと床に零れたワインを拭いてあげようとするが、「あ、いいよ!お前は客なんだし。オレやるよ!」と言って、千奈美の変わりに床を拭こうとする舞美。
しかし。慌てて床を拭こうとした為、今度はテーブルにケツドンしてしまい、テーブルの上のワインが注がれたグラスの方が派手に倒壊してしまう。
「あーーーー!!!」
「もぉ!なにやってんの、バカ舞美!!」
見ていられなくなり、やっぱり千奈美が拭いてあげようとするが、そんな千奈美を見て今度は慌ててマスターの吉澤が駆けつけてくる。
「あ!いいですよ、千奈美さん!!」
そして、吉澤は急いで手際よく床とテーブルの上にぶちまけられたワインを片付けると、隣りでボーッと立っている舞美の頭をグーで小突いたのだった。
「このバカ!!」「す、すんませーん!!」
とりあえず謝るしかない舞美に、千奈美は呆れた様子でため息をつき、肩を落とした。
「もー!相変わらずドジだよね、舞美は〜!!」
「うっせーなぁ!」
思わず口答えする舞美に「お客様にそんな口の聞き方するなバカ!」と、もう一回後ろから小突く吉澤。
「す、すんません!」後ろからまた小突かれ、シュンとなってしまう舞美を見ながら、向こうの方で茉麻が「あらあら」と楽しそうに笑っているのであった。
「へー。意外ねー。矢島さんって、顔はカッコイイのにおバカさんなのねー」
すると吉澤が汚れたおしぼりを片付けながら、呆れ顔で答える。
「そうなんスよ。顔だけなら一級なんだけど、なんせ頭がバカで・・・」
そう言って舞美の頭をグリグリと撫でる吉澤。
「だからいつまで経っても、雅の代わりにNO2になれないんスよ。コイツは・・・」
「・・・・・・・・・・」
本人は至って頑張ってはいるのだが。
どーしてもバカでやらかしてしまう性質の為、NO3から抜け出せない舞美。
最近、サボってばっかりで全く店にすら来ない雅の代わりに、NO2になろうと努力はしているのだけど・・・。
あっけらかんな性格とは言え、さすがにちょっとだけ凹んできた舞美。
すると、千奈美が舞美の気持ちを汲んだのか「でも、舞美はおっちょこちょいだから、一緒に話してると癒されるんだけどねー」とフォローを入れる。
それを聞き吉澤も「そうそう。確かにコイツのこのドジっぷりがカワイイって、指名してくれるお客さんもいらっしゃいますよー」と相槌を打つ。
茉麻もそれに同調し「そうねー。確かにダメな子ほどカワイイって部分はあるわよねー」と納得の様子。
そんなこんなで、千奈美の一言でなんとか肩身の狭い空気から逃れられた舞美。
ホッとした様子で千奈美の隣りに座ると「ありがとな・・・」とボソッと呟く。
それを聞き、クスクスと笑っている千奈美。
「なに、素直じゃん」「うっさいな・・・」「じゃぁ。このお礼は、シャトー・ル・パンで・・・」「む、無茶言うなー!100万するぞー!!」
さっきまで気落ちしてた様子は何処へやら・・・。
「これでガマンしろ」と文句言いながら、安いメルシャンのワインを奢ってあげる舞美と、
「ヤダー!こないだの格付けチェックでやってたの。シャトー・ル・パンが飲みたい〜!!」とブーブー言っている千奈美。
そんな2人の漫才の様なやり取りをみながら、茉麻は羨ましそうに目を細めると、ポツリと呟いたのだった。
「なんかお2人、凄くお似合いね〜」
「え?」
茉麻にいきなりそんな事を言われ、思わず凍りつく千奈美。
すると、そんな千奈美に追い討ちを駆ける様に、熊井が笑いながら茉麻に同調をしたのだった。
「ホントですよね。ツーカーの仲って感じで。いい感じですよね、千奈美さんと舞美」
「え・・・・」
まさか、大好きな熊井に『舞美といい感じ』と言われてしまうとは・・・。
目に見えて深く落ち込む千奈美の隣りで、「あっちゃー」って表情で舞美は頭を抱えてしまう。
すると、茉麻の言葉を聞き、マスターの吉澤が2人の代わりに「そーなんですよ。この2人は学生時代からの同級生らしいんですよ」と言葉を添える。
それを聞き、思わず目を輝かせてしまう茉麻。「あら、ステキねー!古い仲なのねー」
そして、茉麻は舞美の方を振り向き「じゃぁ、2人は幼馴染ってヤツなのかしら?」と問いかける。
舞美は難しい表情でクビをひねりながら
「いや・・・幼馴染ではないですね。中高が一緒だっただけなんで・・・」と答える。
しかし、ただの同級生にしては息がピッタリと合いすぎな2人。
「それじゃぁ。もしかして2人は昔、付き合ってたとか?」
尚も興味津々で憶測をぶつける茉麻に、千奈美はカチンとした表情で「付き合ってません!」と声を荒げ即答した。
自分が好きな熊井を取られ、さらには抜け抜けと「舞美とお似合い」とか言い放つ茉麻に苛立ちを覚える千奈美。
自分が熊井を目当てでBerryzに通ってる事を知ってるクセに、平然とそう言う事を言ってのける茉麻が許しがたかった。
そんな感じで、ピリピリムードの漂う店内。
だが、熊井は2人の一触即発の空気もそ知らぬ様子で、1人黙々とワインを飲み続けていた。


――幼馴染・・・。


茉麻が千奈美と舞美に言ったその言葉が、熊井の頭の中で繰り返し響いていた。
桃子から借りた本。「サクラ色の約束」。
そのストーリーを思い出す。

幼馴染同士、少年と少女はサクラの木の下で約束を交わした。
「またいつか会おうね・・・」
でも、彼は来なかった。
それでも、毎年同じサクラの木の下で待ち続ける女の子。
いつか・・・幼馴染と会えることを夢見て。


(なんか。待ちぼうけな女の子気持ちを考えると、切なくて・・・)


忘れられない。桃子の言葉。その表情。


もしかしたら、桃子ちゃんもそう言う恋をしたのだろうか?
それとも、今もしているのだろうか?
オレの知らない、誰かとの恋を・・・・。

桃子に好きな人がいると思うと、胸がキリキリと痛んだ。
自分は桃子の事を何も知らないのが悔しい。
そして桃子も、自分の事を何も知らないんだ・・・。

オレがホストであることも。
こんなに、君の事を好きになってしまっている事も・・・。





    ×           ×              ×





池袋東口。
週末の先輩の結婚式で履く靴や洋服をそろえるため、 帰宅途中に桃子は池袋に立ち寄ったのであった。
そして、立ち寄りがてらに行きつけの洋服屋さんで部屋着なども一緒に購入したりで・・・。
気づけば、時刻は21時すぎになっていた。
「あーあ。なんか余計なモノ、いっぱい買っちゃったなぁ〜」
桃子の両手にいっぱいのビニール袋。
それはデパ地下で購入したお惣菜やおかず。1人暮らしだと、ついつい出来合いの余計な食料をいっぱい買い込んでしまうのであった。
「こんないっぱい買っても腐らせちゃうだけなんだけどなー」と、無駄に大量購入してしまった自分を悔やみつつ、そろそろ帰宅すべく駅へと向かう桃子。
チラっと時計を見ると、21時20分を回っていた。
「どーしよ。もう、こんな時間だよ・・・」
仕方がない。22時からの毎週見ている連続ドラマまでにはどーしても間に合いたいので、桃子は普段は絶対に通らない物騒な感じの裏路地を近道で通り抜けようとする。
だが、裏路地を通り抜けようとする桃子に、予想外の出来事が待っていた。

「ねぇねぇ、お姉さん。お買い物してたの?」
「え・・・・」

思わず立ち止まり、不安げに後ろを振り返る桃子。
そこには色黒の背の低い高校生ぐらいの男の子が、やっぱり2・3人の若い男の子を引き連れて路地に座り込んでいる姿があった・・・。
値踏みするようにニヤニヤと桃子の全身を上から下へと見下ろしている色黒の男の子。
桃子はキケンを察知し、そ知らぬ顔でそのまま路地裏を抜けようとするが、男の子が立ち上がり、逃げようとする桃子の前に回りこむ。
「待ってよ、お姉さん」
「あ、あの・・・」
「ねぇねぇ、一緒にきらりんレボリューションのアーケード版、やらね?」
「あ、あたし、今、忙しいから・・・」
「んな冷たい事言わないでさぁ、いいじゃん。小指立ってるお姉さ〜ん」
そう言って桃子の腕を掴んで放さない色黒の男の子。
桃子はなんとか手を振りほどこうとするが、強く握られているためほどく事が出来ない。
恐怖で目尻に涙が溜まって来る桃子。「け、警察呼びますよ!!」と威嚇するが、男の子は全く気にしてない様子。
「呼べるもんなら呼びなよ、お姉さん」
と言ってケラケラと笑っている。
なんかもう、どうしていいかわからずに、桃子がなんとか振りほどきたくて身じろぎしていると・・・。
「オイ、千聖・・・。何やってんだ?お前?」
「あ!雅のアニキ!!!」
パッと桃子の腕を放し、雅の元へペコペコしながら駆けていく千聖と呼ばれた少年。
「いや〜。カワイイお姉さんがいたからつい・・・」
「ったく、テメーも好きだなぁ〜」
そう言って雅が桃子の方を振り向いた瞬間だった。
2人の目が合った刹那、2人はまるで時が止まったかの様に凍りついたのであった。
目を丸くして雅の顔をみつめる桃子と、愕然とした面持ちで桃子を見つめる雅。
そう・・・。
目の前にいるのは、遠い金沢の街。
幼馴染として、一緒に幼い時代を過ごしてきた懐かしき顔・・・。
「・・・もも」「みぃ・・・やん?」
震える声。
それは偶然か、神様のイタズラか。
幼馴染の2人は東京の地で再び、めぐり合う事になったのであった。




SCEAN9


「なんか。久しぶりだね、みーやん」
「うん・・・」

ざわめく喧騒。
コーヒー店の店内は、池袋に遊びに来た若者たちの笑い声で賑わっていた。
店の奥、テーブルを挟んでブレンドコーヒーを口にする桃子と雅。
だが。この騒がしい店内には似つかわしくないぐらい、会話のない2人。
桃子は少し困った様子で、目の前にいる雅を見つめた。雅は目を伏せたまま、黙々とコーヒーカップに口をつけているだけだった。

(みーやん・・・。何もしゃべってくんない。どーしたんだろ?)

桃子の記憶の中にある雅は、とってもオシャベリでとっても明るい男の子だった。
いっつも桃子の側でニコニコと爽やかな笑顔を覗かせていた。
だが、今目の前にいる雅は居心地悪そうに俯き、コーヒーを口にするだけ。
久々に会った幼馴染。話したいことは沢山あるのに・・・。

桃子が伺うように雅を見つめていると、雅はチラッとだけ桃子を見て、すぐに目線を逸らした。
そして、その目線はそのまま、桃子の隣の席に置かれていた、大量の買い物袋へと移る。
1人暮らしとは思えぬ食物の量。(もしかして、彼氏と住んでるのかな・・・)ふと過ぎる疑問。
雅が訝しげに荷物を見つめていると、その目線に気づいた桃子がクスリと微笑んだ。

「アハッ。凄い量でしょ?」
「え・・・」
「1人で食べれないって解ってるのに、ついつい買っちゃうの」
「・・・・・・・・・・」
「知ってる?池袋のデパ地下って凄いんだよ。おいしそーなのがいっぱいあるの!」

結局1人で食べ切れなくて残しちゃうんだけどね・・・。
そんなことを呟きながら恥ずかしそうに笑っている桃子。そして桃子は買い物袋のなかから、お惣菜の1つを取り出して、雅に手渡す。
「そうだ。買いすぎちゃったから、みーやんにあげるね」
「え・・・いいよ」
「良くないよ。だって、みーやん。すっごい痩せちゃったじゃん。ちゃんとした食事、とってないんでしょ?」
「・・・・・・・・・・」
確かに、桃子の言うとおりではあった。
スポーツ少年だった雅は、当時から細身ではあったが、もうちょっとガッシリした体格をしていた。
だが、東京に来て1人暮らしを初めてからは、夜遊びばっかりで不摂生な毎日。痩せていく一方ではあった。
それでも。最初は雅も受け取るのは遠慮していたが、「ね、みーやん。持ってってよ」と言ってお惣菜を押し付ける桃子にいい加減観念したのか、
「・・・・・解ったよ。ありがと」
そう言ってお惣菜の入った袋を素直に受け取る雅。
すると桃子は、嬉しそうに笑顔をこぼし、頷いた。
「うん!ちゃんと食べなきゃダメだよ、みーやん」

クシャっとした笑顔。
おせっかいな程の優しさ。
数年前と何ひとつ代わらぬ幼馴染。

ふと沸いてくる懐かしさと、幼い頃の恋心。
それまで笑顔1つ見せなかった雅だが、なんだか不意にくすぐったい気持ちになり、雅はふと口角を上げ微笑んだ。
「相変わらずだね、もも」
「え?なにが・・・?」
「相変わらず、くいしんぼーでおせっかい」
「なに、それぇ。ひどーい」
拗ねたような顔を覗かせながら、クスクスと笑う桃子。
雅もそんな桃子に釣られて、ケタケタと声をあげて笑ってしまう。
それは、幼い頃と変わらぬ2人の時間の様に思え、楽しそうに笑う雅を見つめながら、桃子はホッと息を吐いた。
「よかった・・・」
「ん?」
「みーやんこそ、昔とちっとも変わってない」
「・・・・・・・・・」
その言葉に、何も言えなくなる雅。
変わってない。
そう思えるのは、きっと、もも自身が変わってないからだ。

また、気まずそうに目線を逸らしてしまう雅に、戸惑いをみせる桃子。
せっかく笑ってくれたのに。何か雅の気に障ることを言ってしまったのだろうか・・・?
話題を変えるべく、桃子は笑顔を取り繕うと、思い出したように言葉を続けた。
「あ、あのね、みーやん。あたし、今ね、新橋の商社に勤めてるんだ」
「・・・そう」
「うん、OLさん。まぁ・・・お茶汲みとコピーばっかで、つまらない仕事なんだけどね」
「・・・・・・・・」
「学生時代は楽しかったよね〜。一日中、みんなで笑って遊んでさ・・・」
「・・・うん」
それは、たった一言だけの相槌。
相変わらず俯いたままの雅に、桃子も段々バツが悪くなってくる。
あんなに楽しそうに笑ってくれたのに、なんでまた、黙り込んでしまったのだろうか?
ひょっとして、自分の事ばっかり喋ってるから、さっきから雅は居心地悪そうに俯いてるだけなのだろうか?
桃子は柔らかい笑みを浮かべると「ねぇ、みーやん。サッカー・・・まだ、やってる?」と問いかけた。
その言葉に、雅は思わず顔をあげて桃子を見つめた。
ようやく目線を合わせてくれた雅に、桃子は嬉しそうに微笑みかける。
「ほら。みーやん、サッカー、チョー上手かったじゃん」「・・・・・・・」「他の学校からも、ファンの子とか応援に来ててさ・・・すっごいカッコ良かった」
全国大会に出場した事や、準決勝のPK戦で負けてしまい学校中のみんなで大泣きしたこと。
そんな、当時の思い出を懐かしそうに目を細めながら話し続ける桃子。
どれもキラキラとした輝かしい思い出。
だが、楽しそうな桃子とは裏腹に、話を聞きながら次第に表情が険しくなってくる雅。
そして――。
「もう、いいから・・・」
「え?」
「オレ、用あるから。帰るよ・・・」
「あ・・・・・」
唐突にとぎられる会話。
桃子が戸惑いを露わにしていると、雅は席を立ち、無表情なままにレシートを手に取る。
それを見て、桃子も急いで財布を取り出そうとするが、雅がそれを静止する。
「いいよ。オレが出すから」「で。でも・・・」「いいから!!」
思わず声を荒げてしまう雅。桃子はビクッとして目を丸くした。
そして、不機嫌そうに眉を顰める雅を見て、桃子はシュンと肩を落とす。
「あ、あの・・・ごめんね」
「・・・・・・・・・・・」
何も言わないまま、席を離れレジでお会計をする雅に、桃子が後から頼りない声で呟く。
「ありがとう・・・みーやん」
「いいよ、別に・・・」
素っ気無い返答。
桃子の方へ振り返る事無く店を出て行く雅の後を、桃子はとぼとぼとついて行く。
久々に会った幼馴染。
沢山話したいことがあったのに、なんでこんな事になってしまったのだろうか・・・。


店を出て10歩ほど歩いたのち、雅はようやく桃子の方へと振り返った。
その表情に笑顔はない。
だが、先ほどまでの不機嫌そうな顔とも違う気がした。
どこか申しわけなさそうな表情で唇を噛んでいる雅。その眼差しは、バツが悪そうに伏せられたままだった。
「あの・・・みーや・・・」
「これ、ありがとな。もも」
桃子の言葉を遮る様に雅から発せられた言葉。
雅の右手には、桃子が先ほど手渡したお惣菜の袋が握られていた。
ふと顔を上げ、桃子の顔を見つめる雅。心が締め付けられるような寂しい笑顔で、雅はそっと右手をあげた。
「じゃぁ、な。もも・・・」
「・・・みーやん」
「元気で・・・」
そう言うと。雅は踵を返し、振り返る事もないままに立ち去っていった。
寂しい背中。
ゆっくりとした足取りで、夜の人ごみへと消えていく幼馴染。

なんとなく――。
桃子は、このままだと雅とは二度と会えない様な気がした。
この広い東京で、再び巡り合った幼馴染。
なのに、このまままた離れ離れになってしまうのだろうか?もう二度と会えないのだろうか?
そんなのは絶対にイヤだ!!

「ま、待ってよ!みーやん」
「!?」
突然聞こえた桃子の呼び声に、思わず振り返ってしまう雅。
すると、桃子があちらから小走りで雅の元へと駆けつけてきたのだった。
不思議そうに桃子を見つめている雅に、桃子はフッと笑いかけると、「これ、もらって」と言って、財布から小さな紙切れを取り出し、手渡した。
それは、真ん中のあたりに『清水商事 嗣永桃子』と、少し大き目の文字で書かれた、1枚の名刺だった。
「これに、あたしのアドレスとかケータイ番号とか、全部書いてあるから」
「・・・・・・・・・・・・・」
「連絡して。ね、また会おうよ、みーやん。あたし、連絡待ってるから!!」
そう言って、雅に一方的に名刺を押し付けると「またね、みーやん!!」と笑顔を残し、立ち去っていく桃子。
雅は戸惑った様子で去っていく桃子の背中を見送ったあと、ふと目線を名刺に落とした。
そこに書かれているのは、清水商事の所在地と、桃子のアドレスとケータイ番号。
(またね、みーやん・・・か)
なんだかおかしくなって、雅は桃子の名刺を見つめながらクスリと微笑んだ。
もう二度と会うつもりはなかったから、雅は「じゃぁな」だけを言って、あえて「また」と言わなかった。
なのに。
「こんなの貰ったら、また会いたくなっちゃうじゃんか・・・バカ」

久々に会った幼馴染。
あの頃と変わらない、キミ。
だけど、オレはもう、何もかも変わってしまった。
あの頃のオレとは違う・・・。
だから、もう二度と会わないほうがいいと思った。
キミに幻滅されるぐらいなら、あの頃のオレの思い出のままで、キミの心に残しておきたいと思ったんだ。
だけど・・・。

都会の風が、冷たく頬をなぞる。
雅は桃子から貰った名刺を見つめたまま、立ち尽くしていた。
こんな名刺、破り捨ててしまえばいい。自分から連絡さえ取らなければ、桃子からは連絡が取れないままなのだから。
何も問題ないはずだった・・・。
でも、雅にはどうしても、この名刺を破り捨てる事は出来ない。
破れるハズなんて・・・なかった。

ずっとずっと、ずーっと好きだった幼馴染。

胸が痛む。心臓が鷲づかみにされたかの様な感覚。
雅は大きく息を吐くと、桃子から手渡された名刺をそっとポケットの中へとしまいこんだ。
この想いも、一緒にしまい込んでしまえればどれだけ楽だろう・・・。
そんな事を心の中で呟きながら。


つづけ