第8章 最上の天国






チャイムが鳴る。
放課後の校庭に『夕焼け小焼け』のメロディが響き渡る。
「バイバーイ」「明日ねー」と、生徒達の明るい声が所々から聞こえてきた。
そんな中を、梨沙子はぼんやりと1人で歩く。
周りの友達たちも一瞬梨沙子に気づくが、しかし、梨沙子の虚ろな眼差しに戸惑い、声を掛けづらくて「サヨナラ」を言えない。
そういえば最近、千奈美や友理奈ともあまりしゃべっていない気がした。雅とも・・・。
でも、そんなのはどうでもいい気がした。家に帰れば桃子がいる。
桃子とオシャベリをしよう。桃子と話していると元気になる。自分には桃子がいるから構わない。
早く桃子に会おう。早くウチに帰ろうと、俄かに足取りも早くなる。
だが。校門をすぐ出たところで、不意に梨沙子は声を掛けられた。どうやら自分を待っていたらしく、振り返ると雅が校門に寄りかかって笑っていた。

「みや・・・」
「ねぇ、一緒に帰らない?」
「・・・・・・・」

一瞬躊躇うが、梨沙子は無言のまま頷く。
雅は嬉しそうに笑うと、梨沙子の隣りに肩を並べた。
そして2人は夕暮れの街並みを、ゆっくりとした足取りで帰路についた。




          ×          ×          ×





大通りを歩く。
夕暮れの商店街は、夕飯の買い物客で、活気に満ち溢れていた。
だが、梨沙子と雅は何も喋らない。人々の喧騒が、2人の間を虚しく素通りしてゆくだけ。
ぼんやりと虚空を見上げる梨沙子。カラスが西の方へと、空を横切っていった。
目を細め、梨沙子がカラスの軌道を目で追っていると、隣りで雅がポツリと呟いた。

「ねぇ。最近、梨沙子・・・元気がないよ」
「そんなことないよ」
「熊井ちゃんやちぃも、心配してたよ?」

雅が心配そうな表情で梨沙子の顔を覗きこむと、梨沙子は何も言わずに俯いた。
透き通った雅の目に覗き込まれると、心の中まで覗き込まれそうでイヤだった。

「まだ、ももの事考えてるの?」
「・・・・・・・・・」
「ももはもう・・・いないん・・・だよ?」

途切れ途切れの雅の言葉。
だが、そんな雅の言葉に、梨沙子は俄かにカッとした表情で振り返る。

「なに?!いなければ考えなくてもいいの?!死んだらどうでもいいの?!」
「違う。そんなワケじゃないよ・・・」
「死んだ人間の事なんて、考える必要ないって事?!」
「そんな事言ってないでしょ?!!」

真っ直ぐな目で雅は梨沙子を見つめる。
意思の強い眼差し。
例えば学校の授業とかでもそう。伝えたくて伝わらなくて、そんなまどろっこしい時、雅はいつもこう言う目をした。
そして梨沙子は、そんな雅の目が好きだった。

「ただ・・・。他の事にも、少しは目を向けて欲しいだけ・・・」

雅の両目が揺れる。
その瞳に胸の奥が鷲づかみにされた様な、切ない気持ちを覚える。
梨沙子は頼りない表情で俯くと、ポツリと一言、呟くように答えるしかなかった。

「ほっといてよ・・・」
「ほっとけないよ。梨沙子の事好きだもん。ほっとけないよ」

好きと言う言葉に胸が締め付けられる。
だけど、その言葉はきっとウソ。意味なんて持たない。
だって知っている。雅が好きなのは自分じゃない。雅が好きなのは・・・。

「ウソツキ・・・。みやが好きなのはももでしょ?!」
「ももの事は好き。ももの事は大好きだよ?だけど・・・」
「なに?死んだらもう、ももの事は好きじゃないの??」
「違う・・・」
「死んだ人間なんてもう、好きの対象じゃないんだ?!」
「違う!!!」

顔を真っ赤にして怒鳴りつける雅。
その剣幕具合に、梨沙子は思わず黙り込む。
雅の肩が震え、両目が揺れる。そして、雅の両目からボロボロと涙が零れ落ちる。

「なんで、そんな事言うの?ヘンだよ・・・梨沙子。ねぇ、どうしちゃったの?」

雅は手を伸ばすと、ゆっくりと梨沙子の背中に腕を回し、その体を抱きしめた。
背中をさする優しい手。頬っぺたに、涙に濡れた雅の頬が触れる。
抱き返すことも押し返すことも、何も出来ないまま。梨沙子はその場に立ち止まるしかなかった。
触れた体から、暖かな熱だけが伝わってきた。

「ねぇ・・・正気に戻ってよ、梨沙子。もう、ももはいないんだよ?」

耳元から聞こえる、雅の言葉。
だが梨沙子はキュッと唇を噛み締めると、震える声で、だけどハッキリと、雅の言葉を否定した。

「違う。いなくなんかないもん。ももはすぐ、側にいる・・・」
「梨沙子・・・」

僅かに体を離す雅。
雅の真っ赤に腫れた目がじっと梨沙子の顔を見つめた。
視線が涙で揺れている。雅の目を直視できなくて、梨沙子は目線を伏せたままに答えた。

「みやたちにはわからないだけ・・・。ももは今でも、あたしたちの側にいるもん・・・」

やがて、梨沙子はゆっくりと雅の体を押し離す。
離れていく熱。離れていく心。
そして、梨沙子は逃げるように夕暮れの街を駆け出して行った。








桃子が交差点から梨沙子の部屋に戻ると、梨沙子はすでにベッドの中にもぐりこんでいた。
微かな寝息。もう寝てる様だし、話しかけないでおく。静かな部屋の中に、ステレオからCDのメロディだけが流れる。
ぼんやりと天井を見上げる桃子。
静まり返る部屋。



あれから、交差点では石川による除霊の儀が行われた。



だけど、結局それにイミなんてなかった。今も桃子はここにいるし、茉麻は今も交差点にいる。
除霊の儀が終わった後、しばらくの間、桃子は茉麻と一緒にいた。
あのあと、茉麻は悲しそうな顔でずっと俯いていた。桃子は悔しくて悔しくて仕方なかった。
こんなに側にいるのに、どうして柴田には気持ちが伝わらない?!!
怒りと悔しさで泣きじゃくり、1人震える桃子の肩を抱き、茉麻はそっと呟いた。

「もう。帰って平気だよ?もも。まぁ、1人でいるから・・・」
「・・・・・・・・・」
「1人にして――」





部屋でため息をつくと、梨沙子が不意に起きたらしい。
ベッドがもぞもぞと動き、ホンの僅かに顔を上げた梨沙子が、桃子の事を眠気まなこで見つめていた。
「もも・・・?」
眠そうな声が聞こえ、桃子はそっと微笑む。「ごめん。起しちゃった?」
梨沙子はベッドからゆっくりと体を起すと、ううんとかぶりを振った。
そしてゴシゴシと両目を擦ったあと、不安げな声でポツリと呟いたのだった。

「何処・・・行ってたの?」
「うん。ちょっと・・・」
「ヤダ。1人にしないでよ」
「ごめんね」

ポップな洋楽が流れる。
会話にかき消されるぐらいの小さな音だけど、静まり帰った部屋にはくっきりと響いた。
心地よいメロディ。
しばらく2人で見つめ合ったままでいると、やがて、梨沙子がポツリと呟いた。

「ねぇ、もも・・・。側にいるんだよね?」
「え?うん。いるよ?ここに」
「じゃぁ、手ぇ握って」
「え?」
「頭撫でて・・・」

どうすることなど出来ない。無理な話。
何故梨沙子は突然そんな事を言い出したのか?無理な事だと解っているハズなのに・・・。
何もする事など出来ない。ただ困って俯くだけの桃子に、梨沙子は涙をボロボロと零した。
そして、呟いた。

「側にいるのに・・・どうして触ってくれないの?」

帰り道、雅はハッキリと梨沙子に言った。「ももはいない」と。
でも、桃子はすぐ側にいる。それは、手の届きそうなぐらい、すぐ側。
梨沙子はゆっくりと手を伸ばす。桃子も釣られて手を伸ばす。重なるが決して触れる事のない2人の手。

「なんで・・・」
「・・・・・・・・」
「こんなにもも、側にいるじゃん・・・」

涙がボロボロと零れる。胃が痛む。胃がキリキリと締め付けられ、吐きそうになる。
マクラに伏して痛みと悲しみで泣いている梨沙子。
桃子はどうする事も出来ない。
梨沙子の背中をさすってやる事すら出来ない。ただ、呆然と梨沙子を見つめているだけだった。




やがて――。
梨沙子は泣いて泣いて泣きつかれたのだろうか・・・マクラに伏したまま、ゆっくりと寝息を立て始めた。
「梨沙子・・・」
桃子はそっと寝顔を覗き込む。
頬に涙の跡がクッキリと残っている。だが苦痛は治まったらしく、その柔らかなカワイイ寝顔にホッとする。
桃子は安心した様子でベッド脇に座ると、天井を見上げ、深いため息を吐いた。


(やっぱり。ここにいちゃダメなんだね、もも――。)


一緒にいると、梨沙子をダメにする。
解っているけど、どうしても離れる事など出来なかった。
だって、梨沙子の側を離れたら、自分は何処に行けばいいんだろう?
何処を彷徨えばいいんだろう?
行き場などない。どうしていいのか解らない。天国に行けない自分は、いったい何処にいればいい?
もしも梨沙子の側を離れれば、自分は1人ぼっちになってしまうじゃないか!?
梨沙子の側を離れれば、1人に――。



「・・・・・・・そっか。」



ポツリと呟く桃子。 ゆっくりと立ち上がり、低い天井を見上げた。
その目はハッキリと、何かを指し示していた。
どうすればいいのかは解らない。自分は何をすればいいのか知らない。だけど。何かが解った気がした・・・。

「そっか。まぁも、きっと・・・そうなんだ」

振り返る。
ベッドの上で梨沙子が寝ているのを確認し、桃子はゆっくりと部屋を離れた。
CDの静かなメロディーが、やがて最後の曲を奏でて消えた。






月を見上げる茉麻。
足元ではフリージアが夜風に揺れる。
何度月は空に昇ったろう?今日で379回・・・だったかな?
結局、除霊なんて無駄だった。今も茉麻はこの交差点に取り残されている。

「まぁ・・・」
「もも?」

振り返ると、桃子が立っていた。
1人にしてと言って帰って貰ったのに、また戻ってきたのだろうか?自分を憐れに思って、引き返してくれたのか?

「なに?慰めに来てくれたの?」
「・・・・・・・・・・・」
「ありがとう。でも、今日は1人でいたいんだ・・・」

車がひと気のない道路を、遠くから猛スピードで走ってくる。
すると。まるで1年前を再現するかのように、茉麻は道路へと飛び出した。
だが、車はブレーキを踏む事すらなく猛スピードで加速し、そして、何事もなかったかの様に茉麻の体を素通りしていく。
桃子は黙ったままじっと、そんな茉麻の横顔をみつめていた。

「柴田さんが笑ってくれたら、この場所を離れられる様な気がしてた」
「・・・・・・・・・・」
「でも柴田さんは、まぁがこの場所にいる限り、笑顔を取り戻せないと言った」
「・・・・・・・・・・」
「もう、どうする事も出来ないね。まぁ・・・」

自嘲気味に笑う茉麻。
だが、桃子は笑わない。
真剣な目で茉麻を見つめたまま、ゆっくりとかぶりを振り、答えた。

「違うよ」
「え?」
「まぁをこの場所に縛り付けているのは、柴田さんの凍りついた笑顔でもない。枯れないフリージアでもない」
「・・・・・・・・」
「まぁ自身の気持ちが、まぁをこの場所に縛り付けている・・・。そうでしょ?」

何も言えない茉麻に、桃子はそっと手を伸ばした。
目を見開き桃子を見つめる茉麻に、桃子はゆっくりとした口調で、ハッキリと答えた。

「大丈夫。まぁは1人じゃないよ?」
「え・・・・」
「ももが一緒にいるから、大丈夫だよ?」

星が輝く。風が凪ぐ。
フリージアは夜風に震える。
凍りついた表情で佇む茉麻に、桃子は心とろかす優しい笑顔で笑いかけた。

「ほら。2人一緒なら怖くないよ、まぁ。勇気を出して・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「そして、この場所を離れよ?ももと一緒に」

震える手。茉麻はゆっくりと手を伸ばすと、桃子の小さな右手をキュッと握り締めた。
小さな手に、不思議と温かさを感じた。
そして・・・桃子はニコッと微笑むと、茉麻の手を引き、ゆっくりと交差点を離れた。
誰もいない交差点に、フリージアだけが静かに揺れる。







「うわーーー!!すっごい景色!!!」

東京タワーの展望台のさらに上。
生きてる人間だったら絶対に登らせて貰えない様なトコロ。2人はタワーの骨組みの上に立ち、目を細めて夜空を見上げた。
空には満天の星空。そして眼下には、星をちりばめたようなネオンの海。
世界は天上も地上も、光に包まれていた。
零れんばかりの笑顔で周囲を見渡す、桃子と茉麻。2人の手はしっかりと、握られたままだった。

「ねぇ、もも。この星空の向こうに、天国はあるのかな?」
そして茉麻は、笑いながら言葉を続けた。

「だとしたら、きっと天国は素敵なトコロだね!!」

そう。満天の星空の向こうにある天国は、きっと宝石箱のようにキラキラとした世界なのだろう。
そんな茉麻の言葉を聞きながら、桃子も嬉しそうに笑った。

「でもさ、地上も・・・星を散りばめたみたいにキレイじゃない?」

そこは一面のネオンの海。
真夜中なのに、不思議なぐらいに街は、光で溢れかえっていた。
この世界に、きっと暗闇なんてない。

「この星空の向こうに天国があるならさ・・・きっと、この星の海の中にも、天国があるんだと思うよ」と、桃子は笑う。

光に包まれた世界。この光のひとつひとつが、人々の命の輝き。
きっと、この世界こそが、最上の天国。

「そうかも・・・しれないね」

茉麻は桃子の言葉に、目を細めて頷いた。



やがて、東京タワーに強風が吹き抜ける。
でも、風を感じる事のない霊体の自分達には、風など無意味。
肩を並べて2人は、光の世界をただじっと見つめていた。そして・・・

「ももね。死んで初めて解った気がするんだ」
「え?」
「太陽は眩しくて、風は心地よくって、雨は冷たくて、人の手は暖かくて」
「・・・・・・・・・・」
「幸せって、そーゆーことなのかなぁ?って思った」

桃子の言葉。不意に茉麻の握る手が強まった。
幽霊の体に体温なんて感じない。
だけど、不思議と2人の手が温かく感じるのは、きっと生きてる頃の記憶があるから。
人の手の暖かさを知ってるから。

「ももはこの世界が好き。辛い事とか悲しい事とかいっぱいあるけど・・・やっぱりこの世界が一番好き」
「・・・・・・・・・・・」
「みんな悲しくて辛くてどーしようもなくって、だけどみんなには、この世界で幸せになって欲しい」

東京タワーから街を見下ろす。
梨沙子や雅の家はどこだろうか?
場所は解らないが、この星の海の光の欠片のどれかひとつが、きっとそう――。


「柴田さんの家は、何処にあるんだろう?」

茉麻はポツリと呟いた。
桃子は茉麻を見つめ、黙ったまま、その言葉の続きを聞いていた。

「まぁはね、柴田さんに幸せになって欲しいと思ってる。ホントだよ?」
「うん。解ってるよ、まぁ」
「柴田さんにわかって貰えなくっても、まぁは・・・」

星空に叫ぶ。
星の海に叫ぶ。
この光の欠片の何処かにいるであろう人に叫ぶ。

「まぁは、柴田さんの事好きだったのに!!!バカーーーーー!!!!」

決して届く事のない声は、何処までも遠く。何処までも遠く。
遥か光の果てへ伝い、消える。



    ×    ×    ×



遠くを見つめる茉麻の目。
何処かスッキリとした、晴れやかな眼差し。
茉麻はその大きな目を桃子に向け、問いかけた。

「ねぇ、どうして解ったの?もも・・・」
「ん?」
「まぁは、ホントは地縛霊じゃないって」
「・・・・・・・・・・・」
「まぁをあの場所に縛り付けていたのは、まぁ自身の気持ちだって」

不思議そうに問う茉麻。
だが、茉麻の言葉を聞き、桃子はイタズラっぽくクスクスと笑った。

「ウフフ。幽霊の気持ちはね、幽霊が良く解るんだよ?まぁ」
「・・・・・・・・」
「だって、もももそうだもん」
「え?」
「梨沙子をダメにしてるって解ってたけど、側を離れられなかった。だって、梨沙子の側を離れたら、ももは何処に行けばいいの?」
「・・・・・・・・・・・・」
「どうしたらいいのか、そんなのわからないよね。あたしたちには・・・」

死んだら何処に行けばいいのかなんて、学校でも塾でも習っていない。
何が正しいのかなんて、自分達は知らない。
だから自分達は、こうするしかなかった。生きてた頃の様に、人の側にいる事を望むしかなかった。
1人は寂しいから。不安だから。怖いから。

「あの交差点にいれば、必ず毎日柴田さんが来てくれた」
「・・・・・・・・・・・・」
「1人ぼっちで居場所なんて何処にもない。だけど、あの交差点にいれば、必ず毎日・・・柴田さんが来てくれる。それが嬉しかったんだ」

茉麻はぼんやりと空を見上げる。
雲が凄い勢いで流れてゆく。
きっとここよりさらに上空は、もっと凄い風が吹き荒れているのだろう。

「まぁの存在が、柴田さんの笑顔を奪っていたのは知ってた。まぁが柴田さんの心を縛り付けていたのも」
「・・・・・・・・・・・・」
「でも、1人ぼっちは寂しかったから。あの交差点を離れる気にはならなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
「まぁは柴田さんに会えるのが嬉しかった。柴田さんには、理解して貰えなかったけど・・・まぁは柴田さん、好きだった」
「幽霊の気持ちは、生きてる人間には解らないよ」

桃子の呟きに、茉麻はキュッと手を握しめ答えた。
人間に幽霊の気持ちなんて解らない。
だけど、幽霊の自分たちは、こうして解り合う事が出来る。
茉麻は柔らかく微笑むと、桃子の顔をじっとみつめた。その目は、今まで見たこともないぐらい、穏やかな眼差し。

「まぁ。ももと出会えてよかった」
「うん・・・」
「ももに出会えなかったら、ず〜っとあの交差点に居続ける事になったと思う」
「・・・・・・・・・・・」
「ずっと、柴田さんの心を縛り付けたまま」

ニコッと微笑む茉麻。
そして、茉麻の手が桃子の背中をギュッと抱き寄せる。
茉麻の体にスッポリと包まれる、桃子の小さな体。

「あ・・・」
「もも、大好きだよ、もも・・・」
「まぁ・・・」
「ありがとう、もも」

その瞬間。
桃子の唇に触れる感触。不思議と、柔らかさと温かさを感じた――。
そして、それはホンの一瞬で。
次の瞬間には、茉麻の体は次第に夜の闇の中へと解けて消えて行った。

「ま・・・まぁ!!」
「本当にありがとう」

自分を抱き包んでいた体が次第に消えてゆく。
桃子は思わず茉麻の手を握り締めると、茉麻はキュッとその手を握り返してくれた。
自分を見つめる柔らかな笑顔も、握り返した手も、徐々に空へと解けてゆく。それは、魂の解放の時――。

「まぁ・・・」
「先に行ってるけど、また後で会えるよね?もも」
「うん。必ず、後から行くよ・・・?まぁ・・・少しだけ、待ってて」
「解った・・・待ってるから。」

消える瞬間、もう一度だけ2人の唇が触れる。
そして、最後に茉麻は呟くように答えた。

「なんとなくだけど。まぁね・・・解った気がするんだ」
「え?」
「ももは何者なのか。ももはさ・・・きっと・・・きっと・・・」
「・・・・・・・・・」

そして、まるで砂のお城が崩れるように、腕の中から完全に消える茉麻の体。
1人取り残される桃子。
風が吹きすさび、東京タワーの鉄塔が激しく揺れる。
だが、寂しさはなかった。
この時、自分の中で何かがハッキリとしたような・・・桃子はそんな気がした。





(第8章 最上の天国 FIN)