第6章 凍りついた時間






「どうしてお花の当番、忘れたりするの!!!」

朝の教室に怒号が響く。
クラス全員の目が、梨沙子に集まっていた。
血相を変えて怒鳴りつける梨沙子。いつもの優しい表情からは考えられないぐらいの剣幕。
その目の前には、凍りつく千奈美の姿があった。

「ご、ごめん・・・」
「ゴメンじゃない!ちぃが言いだしっぺじゃん!!」

2年B組の教室。
このクラスで、有志が桃子の机にお花を供えつづけ、2ヶ月が過ぎた。
桃子が居なくなってから、ずっと欠かさず続けていたお花当番だったけど、最初にそれを忘れたのは千奈美だった。
顔を真っ赤にして怒鳴る梨沙子に、千奈美は何も言い返せない。

「ごめん・・・。うっかり忘れてて」
「うっかりとか、そう言う問題じゃないじゃん!」

怒りで涙目の梨沙子。
どうにも気持ちが治まらず、頭ごなしに怒鳴り続ける。

「なに?2ヶ月もすぎれば、ももなんてどうでもいいの?」
「そ・・・そんなワケないじゃん!!」
「うっかり忘れちゃうような。そんな存在なの?!!」
「違う!!!」

今度は千奈美が涙目になる番。
だが、梨沙子はひるむ事無く、尚もまくし立てる。
いつもの梨沙子からは考えられないほど、きつくて冷たい口調。

「ふーん。ちぃはもう、ももの事なんてどうでもいいんだ。忘れちゃうぐらい、どーでもいいんだ!!」
「そ、そんなつもりじゃない・・・うちは・・・」
「じゃぁ、どういうつもりなの?!!」

ただ一方的に怒鳴りつける梨沙子に、さすがの雅も見るに見かねて梨沙子を止めに入る。
雅は梨沙子と千奈美の間に体を割り込ませ、梨沙子の肩を押えた。

「ちょっと。やめなよ、梨沙子!ちぃだって別に、悪気があるワケじゃないんだし・・・」
「なんで・・・。なんでちぃを庇うの?みや」
「さすがに可哀想だよ。それは言いすぎだもん!」
「みやだって、つい1ヶ月前までは、男子が花瓶を倒しただけでも怒ってたじゃん!!」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「2ヶ月も経てば忘れちゃうの?あんなに悲しんでいたももの事、忘れちゃうんだ?!!」

怒りに任せてまくし立てる梨沙子。
その瞬間、キーンコーンカーンコーンと、教室のチャイムが鳴った。
むっとした表情のまま時計をチラっと見つめ、梨沙子は仏頂ヅラのまま、不機嫌そうに自分達の教室へと戻ってゆく。
「あ、梨沙子・・・!」どっちにも味方できず、困ったように2人の様子を窺っていた友理奈は、慌てて梨沙子の後を追っかけて行った。


2人がいなくなった教室。
クラス中の注目を浴び静まり返っていた教室も、沈黙が溶け、元の喧騒を取り戻す。
だが、そんな中で千奈美は、何も言えないまま尚も呆然と立ち尽くしていた。
その唇が、しきりに震えている。

「ちぃ・・・」雅がそっと千奈美の肩を撫でる。「気にしないでいいよ?ちぃ・・・」

雅が優しく声をかけるが、優しくされると尚更悲しくなるのかもしれない。
次第にその肩も震えを帯びる。そして、潤んだ目で下を向いたまま、千奈美はポツリポツリと呟いた。


「ひどい・・・。あんな言い方ないじゃん・・・酷いよ・・・」


悔し涙で揺れている瞳。
雅は慰めるように千奈美の肩を優しく2、3度撫でた後、梨沙子が出て行った教室のドアを見つめた。
乱暴に開らかれたままのドア。

「梨沙子――」

桃子がいなくなって、すでに2ヶ月の月日が流れた。
少しずつ、自分達は悲しみから立ち直り、元の生活を取り戻していた。
だけど。今も梨沙子の中での時間は、あの時のまま止まっているような・・・雅はそんな気がした。








放課後。雅たち3人はファミレスに寄り道をして、時を過ごしていた。
3人は、国道沿いの日当たりの良い窓際の席で、ソフトドリンクを飲む。
そこは4人席のボックス。並んで座っている千奈美と友理奈。そして、雅の隣りはポツンと1人分の席が開いていた。
その開いている席を見て、コーヒーを口にしながら友理奈が、サミシそうに呟いた。

「梨沙子は来ないって言って、帰っちゃった・・・」

複雑な表情の3人。
友理奈は氷が解けて薄まり始めたアイスコーヒーをかき混ぜながら、言った。
「最近、付き合い悪いよね、梨沙子」
その隣りでは、相変わらず不機嫌そうに俯いている千奈美。
雅は何も言わず、ジュースを飲みながら目を伏せているだけだった。

「このところさ。学校でも・・・あの人とばっかいるよ。ほら、えりかちゃん達のクラスの・・・」

悲しそうに目を伏せる友理奈。
そんな友理奈の言葉に、千奈美は吐き捨てるように答えた。

「あの喋らない、不気味な人でしょ?」
「・・・うん」

千奈美の言葉に頷いたあと、友理奈はキュッと唇を噛み締めた。
そして、グラスの中で不安定に揺れる氷をぼんやりと見つめながら、独り言の様に呟いた。

「なんか。梨沙子ヘンだよ。何かヘン・・・。クラスでもね、口を開くと、ももの事ばっか」
「・・・・・・・・・・・」
「なんか梨沙子だけ、ももがいなくなったあの時のまま、時が止まってるみたい――」

静まり返るテーブル。
友理奈の言葉に、雅は遣り切れない表情で、小さく息を吐いた。
30秒ほど、3人の間で無音の空間が続く。
近くのテーブルから、女子中学生たちの明るい笑い声だけが響いていた。
すると、友理奈の隣りでだんまりを決め込んでいた千奈美が、俄かにポツリと呟いた。


「酷いよ、梨沙子」


突然の呟き。
雅と友理奈はハッとして千奈美の顔を見た。
俯いたままの千奈美。次第にその唇が震え、目頭が熱くなってくる。

「確かに・・・ちぃが言いだしっぺなのに、お花当番忘れたのは酷いって思う」
「ちぃ・・・」
「でも。ももが死んでから、もう、2ヶ月が経ってるんだよ!!!」

あふれ出る言葉。
そして、あふれ出す涙。これはきっと、悔し泣き。

「そりゃももが死んだばっかの頃は、ももの事しか考えられなかった。みんなだって、ももの事しか考えられなかったでしょ?!!」
「うん。うちも、毎日ももの事考えてた」

友理奈はゆっくりとあいづちを打った。
1ヶ月ぐらいの間、毎日、悲しくて寂しくて・・・気がつくと自分達はいつも、桃子の事を考えていたんだ。
だけど。毎日の時間が、少しづつ悲しみや痛みを風化させてくれた。
千奈美は目線を伏せ、唇を噛み締めるように言葉を続ける

「でも・・・2ヶ月も経てば、次第に他の事だって考えるようになるじゃん・・・。考える事はももの事ばっかじゃないじゃん・・・。」

それは学校の事。友達の事。進路の事。
自分達は生きているんだから、生きる為には色んなこと考えなきゃ勤まらない。
いつまでも同じ場所に立ち止まっているワケにはいかない。

「だから、お花だって・・・。うっかり忘れちゃう事だってあるよ」

涙がポロポロ零れる。
自分にはもちろん非がある事は解っている。だから、尚更悔しいんだと思う。

「でも!だからと言ってさ!ももの事、どうでもいいワケないじゃん!!忘れるわけないじゃん!!ちぃ、ももの事忘れないよ?!ずーっと忘れない!!だって、友達だもん!!」

もう涙は止めようがなかった。
隣りから友理奈が、優しく千奈美の背中をさすってあげていた。

「それなのに、あんな言い方、酷いよ。毎日、ももの事を考えてるワケじゃない。・・・でも、ももの事は忘れないもん、ちぃ!」
「・・・・・・・・・・」
「梨沙子。ヘンだよ――」

グズグズと鼻をすすり、唇を噛み締める千奈美。そんな背中をさすったまま、友理奈は何も言えず俯いた。
正面には、黙ったまま千奈美の言葉を聞いていた雅。
すると。千奈美がひと通り話し終えたのを見て、黙り続けていた雅は、ボソッと呟くように答えたのだった。

「うちね・・・梨沙子のお母さんに、こないだ電話で相談されたんだ」
「え?」

突然の言葉に思わず顔を上げる千奈美。
すると、雅は唇を震わせながら、ゆっくりと言葉を続けた。


「梨沙子がね。部屋で1人でしゃべってるって・・・」


思わず眉根を寄せて凍りつく、千奈美と友理奈。
雅は俯いたまま、ポツリポツリと答える。
その顔は不安に揺れていて、どうしていいか解らないという表情だった。

「最初は電話かと思ったけど、廊下から覗いてみると電話じゃない。1人でずっと、楽しそうに喋ってるんだって、梨沙子・・・」
「・・・・・・・・・・」
「まるで、ももとお話をしているみたいに――」

沈黙。
千奈美も友理奈も、何も言えずただただ凍りつくしかなかった。

「梨沙子のお母さんに、『あの子、学校ではどう?』って聞かれた。学校ではヘンじゃないかって・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「梨沙子のお母さん、言ってた。もしかして梨沙子、ももが死んだ事、解かってないんじゃないかって」
「・・・・・・・・・・・」
「ももが死んだ事、解かってなくて、受け入れられなくて、おかしくなっちゃったんじゃないかって・・・泣いてた」

雅の目も、次第に涙で揺れ始める。
桃子が死んだばかりの頃は、自分ばかりがただ悲しくて、気づいてあげる事が出来なかった。
辛くて悲しくて切なくて、自分が梨沙子に泣いて縋るばかりで。梨沙子の異変に、気づいてあげられなかったんだ。
そんな自分が不甲斐なくて悔しくて、悲しみを打ち払うように、雅は何度も何度もかぶりを振った。

「もう、うち。どうしていいかわからない・・・。梨沙子に何してあげればいいのか。うちには解からない!!」

雅の話を聞き、呆然とするしかない千奈美と友理奈。
かける言葉が見つからず、ただ、静まり返るだけのテーブル。


そんな3人の席のすぐ近くでは、ファミレスのウェイトレスがお皿を下げていた。
ウェイトレスはお皿を下げながらも、どこか神妙な面持ちでこちらを窺っているが、3人はその目線に気づかない。
すると、遠くから俄かに別のウェイトレスの呼ぶ声が届いた。

「ねぇ。石川さーん。こっちのお皿も下げてくれる〜?」
「はい・・・」

食器を手にし、石川はゆっくりと席を離れていく。
じっと、3人の様子を垣間見る。
国道沿いの日当たりの良い席では、どうしたらいいのか見当のつかぬままに、3人の沈黙だけが広がっていた。

あの事故から2ヶ月が経ち――。
幽霊を見ることの出来る梨沙子と、見ることの出来ないみんなの間で・・・何かが少しずつ狂い初めていたのを、石川は感じていた。







いつものお寺では、桃子と梨沙子と佐紀の3人が、お話をしながら笑いあっていた。
ゲームしたりクイズしたり、なんて事のないくだらない話をしたりと、楽しい時間。
だが。桃子は思う。ここんとこ、梨沙子は自分や佐紀とばっかりいる。平気なのだろうか?と・・・。
桃子は梨沙子の顔を見ると、なんの気なく問いかけてみた。

「ねぇ、梨沙子。みやたちは元気?」
「うん・・・」

だが、質問に対して明らかに歯切れの悪い感じ。
ますます不安になる。
雅たち3人と一緒にいなくて平気なのだろうか?あんなに仲良しだったのに・・・。



ついこのあいだのことだった。
梨沙子が学校に行っている間ヒマだったから、桃子はこっそりとリビングに行った。
もっとも、このあいだが初めてってワケではなく、菅谷家にお邪魔するようになってから頻繁にやっていた事だが・・・。
昼は梨沙子のママがリビングで昼ドラを見ているから、どうせ気づかれないんだし、こっそりお邪魔して、便乗してTVを見ていたんだ。
そしてそのとき、突然、電話があった。

電話はどうやら、担任の先生からのようだった。
梨沙子のママはすぐにTVの音量を下げた。だから、電話の声はよく桃子の耳にまで通ってきた。
勿論、先生の方が何を喋っているのかまでは解らないけど、梨沙子のママの会話から、大まかな内容は掴めたんだ。

「梨沙子はどうでしょうか?」
「梨沙子は学校では普通なんでしょうか?」
「もしかして梨沙子は、桃子ちゃんが亡くなったこと、解かってないんじゃないでしょうか?」

そんな会話が、聞こえてきたのだった――。



その瞬間。桃子のカラッポの心がキリキリと痛んだ。
周りの人間は少しづつ、気づき始めている・・・。
そして、それは自分も。桃子自身も、梨沙子の側にいて感じていた。
梨沙子は少しづつおかしくなってきている。――いや。梨沙子がおかしくなってるんじゃない。




自分のせいで、梨沙子の世界は少しずつ、狂ってきているんだ。




「・・・ねぇ、もも?」

桃子がそんな事を考えていると、ふいに声をかけられた。
ふとかえりみると、梨沙子は嬉しそうに桃子を見て、笑っていた。
当たり前の様に幽霊を見るその純粋な目に、また心がキュッと締め付けられた。

「ねぇ、もも。今度一緒にさ、映画見に行かない?」
「え?」
「ほら!ももの好きな女優さん、映画やるじゃん。遊園地とかはムリだけど、映画館だったら一緒に見れるでしょ?ね。一緒にいこーよ」
「・・・・・・・・・・・」

思わず桃子は黙りこくる。どうすればいいのかわからない。
こう言うとき、どうする事が正しい答えなんだろうか・・・?
桃子は2、3秒のあいだ凍りつくが、俄かに笑顔を取り繕い答える。

「うん・・・一緒に行こ」
「ね!!映画楽しみだね。ねぇ、佐紀ちゃんも一緒に行くでしょ?」
「うん!!」

楽しそうに笑っている梨沙子と佐紀。
桃子は不安げな眼差しで2人を見つめるしかなかった。


この子達は果たして解っているんだろうか?


目の前に居る桃子は、もう、この世に存在していないと言う事を。
もう、死んでいるんだと言う事を。
自分達の世界が、確実に狂っていると言う事を――。



こうして3人で楽しくお話していると、時間は湯水の様に流れた。
やがて、陽も暮れだす。そろそろ家へと帰る時間だ。
佐紀とはお寺でバイバイして、桃子と梨沙子は一緒に夕暮れの路地を歩いた。

梨沙子は家までの岐路も、相変わらず当たり前の様に、桃子にいっぱい話しかけていた。
通りすがる人たちが、時折、1人で喋っている(ように見える)梨沙子を訝しげに振り返るが、梨沙子は気にしていなかった。
なんだか切なくなる・・・。
自分が一緒にいることで、梨沙子が周りから取り残されて行くのが手に取るように解り、悲しくなる。

確実に何かが狂い始めている梨沙子。
果たして、学校ではどうなんだろう?雅たちと一緒にいる時はどうなんだろう?
雅たちは梨沙子の異変に気づいているのだろうか?
梨沙子は。一体、どうなっちゃうんだろう・・・。
そして。自分は一体。どうすればいいんだろう・・・。



桃子は不安げに目線を伏せる。
夕暮れに照らされ、地面には梨沙子の影だけが大きく映し出されていた。


幽霊は影を持たない。
幽霊自身が、まるで影の様な存在だから。
命ある人間の隣りに寂しく依存する、憐れな影法師。


歩きながら、大きく地面に伸びる梨沙子の影を、じっと見つめている桃子。
すると。その動いていた影が、不意に動きを変え、立ち止まった。
ハッとして桃子が影の持ち主の方を振り向くと、隣りで梨沙子は苦しそうにお腹の辺りを押え、立ち尽くしていた。
眉間に皺の寄る、辛そうな表情。
「へ、平気?梨沙子!?」
桃子はビックリして梨沙子に手を伸ばすが、触れた手は、むなしく梨沙子の腕をすり抜けるだけだった。

「うん、平気・・・」

梨沙子は小さく頷き、笑顔を取り繕った。
痛みは一瞬だったらしく、梨沙子は「ごめんね。だいじょうぶだよ」と言って、再び夕暮れの街を歩き始めた。
桃子はキュッと唇を噛みしめると、梨沙子の隣りを歩幅をあわせ寄り添うように歩いた。
ホントは、すぐにでも肩を貸してあげたかったんだけど、ムリなのは解かっていた。肩を貸すなんて出来ない。触れる事など出来ない。
ただ梨沙子の隣りを、影の様に寄り添い、歩くだけ。
悲しいぐらい、無価値な存在。

自分は梨沙子に、結局、何もしてあげられない――。









日が沈む。
佐紀が梨沙子たちと別れ自宅に戻ると、居間では石川が雑誌を読んでいた。
今日のバイトはもう終わったのだろう。
ファッション雑誌を読みながら、ヒマそうにメールを打っている姿が見えた。
佐紀は何も言わない。何も言わず石川の横を素通りして自分の部屋へ戻ろうとするが、不意に石川から背中越しに声を掛けられた。

「佐紀。ウチのファミレスに、あんたの学校の子が来てたよ」
「・・・・・・・・・・・」
「梨沙子ちゃんの事、話してた」

梨沙子の名前に反応し、一瞬立ち止まる。
だが、佐紀は何も答えぬまま、その言葉を無視して部屋に戻ろうとした。
すると――。

「また。そうやって逃げる・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「佐紀はそうやってずっと、人間から逃げ続ける気?」

佐紀の足が止まる。
振り返る事無く、階段の2段目で立ち止まったままの佐紀。
石川は、その背中に答えた。

「女の子たち言ってた。梨沙子ちゃんがヘンだって。どうしていいかわからないって・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「解かる?あの子も同じ運命を辿っている。佐紀と一緒。少しづつ周りの人間から避けられている。気味悪がられている」

今はまだいい――。
友人は必死になって梨沙子を救おうとするだろう。
だけど、2、3ヶ月も経てば、きっとみんな諦める。関わるのを辞める。そして、確実に彼女は1人ぼっちになる。
佐紀がそうなった時の様に・・・。
じっと立ち止まったままの佐紀に、石川はまくし立てるように声を荒げた。


「嗣永桃子だっけ?あの子は死神ね!梨沙子ちゃんを生きながらに殺していく、死神!!」
「?!!!」


石川の讒言にカッとして振り返る佐紀。――ももは死神なんかじゃない!!――血相を変えて振り返り、叫ぼうとするが、言葉は声にならない。
何も言えないまま、佐紀は石川を睨んだ。
心の中で『ももは死神なんかじゃない』と何度も呟くが、思いは声に、言葉に、出来ぬまま・・・。
悔しそうに唇を噛むと、佐紀は踵を返し階段を駆け上って行った。
そんな佐紀の背中を見送り、石川は両目を閉じると、テーブルに頭をもたれた。
そして、深いため息と共に、そっと呟いたのだった。

「やっぱり。声には出してくれないんだね・・・佐紀」


すると、その瞬間。
ピンポーンと不意に、玄関のチャイムが鳴り響いた。

「はい?」

こんな夕暮れに誰が来たのだろうか?宅配便か何かだろうか?
ゆっくりと立ち上がり、玄関へと向かう石川。
そして「どなたですか〜?」と言いながら扉を開けた瞬間だった。石川は目を見開き、言葉を失った。

「し・・・柴っちゃん?」

そこには、先日。偶然、街で再会した友人がいた。
高校時代のクラスメイトの柴田が、扉の外に佇んでいたのであった。
自分は柴田に、自宅の住所とかを教えた記憶はない。
驚きのあまり、石川は両の目をしばたかせた。そしてゆっくりと、目の前にいる柴田へと問いかけた。

「どうして・・・ここが・・・?」
「なんとかして調べたの。梨華ちゃん、有名な霊媒師なんでしょ?」
「・・・・・・・・・」
「お願い。お祓いをして欲しいの・・・」
「悪いけど。こないだも言ったでしょ?今は廃業してるから、関係ないって・・・」

冷たく突き放す言葉。
そう、先日。国道沿いで柴田と偶然出会った時もそうだった。
一輪のフリージアを手にした彼女は、出会うなり、突然震える声で問いかけてきた。



「梨華ちゃん・・・確か、霊媒師の仕事、してるんだよね?!」

高校時代、柴田と特別仲が良かったワケではなかったが・・・霊媒師の仕事をしているなんて、珍しいからだろう。
昔のクラスメイト達には、かなり仕事の事は知られていたようだった。
だから、柴田の耳にも、人づてにその噂は入っていたんだと思う。
あの日も、柴田は石川にこう言った。「お願いがあるの。お祓いをして欲しい・・・」と。

だが。
石川はすでに霊媒師の仕事は廃業していたし、もう幽霊と関わる気はなかったから、丁重にお断りした。
諦めのつかない柴田に何度かせがまれたけど、頑として聞かなかったら、柴田はなんとか諦めてくれた。
だから、もう、その話は終わったと思っていた・・・。

「お願いだから。除霊をして欲しいの・・・」

玄関の向こう。柴田はすっかりとやつれ青ざめた表情で、そう言った。
あの日出会った時以上に、柴田はやつれている様な気がした。
その顔を見る限り、霊に悩まされているのは本当なのかもしれないと思った。だけど、それでも、柴田の願いを受け入れる気は毛頭ない。

「申し訳ないけど。あたしはもう、霊に関わる気はないの。ごめんなさい」

ハッキリとした口調。
申しわけないが、もはや聞く耳持たない。
石川はハッキリと断りをいれた。そして、柴田の未練を断ち切るように、玄関の扉を閉めようとした・・・その時だった。

その瞬間。
予期せぬ事が石川の目の前で起こった。

目の前で、まるで小さな子供の様に、柴田が突然ボロボロと泣き出したのだ。
思わず目を見開く石川。
すると。柴田は大泣きをしながら「ねぇ!お願いだから!!」と土下座をして、石川の脚にすがった。
そんなあんまりの柴田の行動に、石川は愕然とした表情で柴田の両肩を掴んだ。

「ちょ!ちょっと・・・柴っちゃん!?」
「おねがい・・・お願いだから。あたしを、死神から、解放してよ・・・」
「え――?」

死神?
その言葉に石川は凍りついた。
目の前では地面に膝をつき、泣きながら「お願い・・・」と、繰り返し呟く柴田の姿。

「お願い。お願い。あたしを死神から、助けて」
「・・・・・・・・・・・・」
「お願いだから、あたしを、許してよ・・・茉麻」

石川は呆然とした表情で、惨めに泣き続ける柴田を見つめた。
一体彼女に、何があったのかは知らない。だけど、これだけはハッキリとしていた。

ここにも、霊によって人生を狂わされた人間がいるんだ・・・。

何も言えぬまま、石川は柴田を見つめ、立ち尽くした。
柴田の持つバッグから覗く、一輪の赤いフリージア。
ただすすり泣く、柴田の声。
それ以外は、2人の周りは一切の沈黙につつまれていた。



(第6章 凍りついた時間 FIN)