第5章 薄れ行く悲しみ
1
雨の遊歩道。
川原では桃子が、ぼんやりと水面を見ながら佇んでいた。
激しい雨が川に波紋を作り、草木を叩き、地面を容赦なく濡らしてゆく。
「今日は来ないかな、ジョン・・・」
桃子は身を乗り出し水面を覗き込んでみるが、水面に自分の姿は映っていなかった。
そう。傘も何も差さなくても、このカラッポの体は濡れる事はない。
だけど、おじいさんとジョンは、この雨ではきっと散歩どころではないのだろう。
「もう、帰ろっ・・・」
誰も居ない川原。雑音のない空間。
雨音だけがいつまでも一定のリズムを奏で続けていた・・・。
× × ×
1年A組の教室。
窓の外では、雨音が絶える事無くザーザーと音を奏でる。
3時限目は退屈な世界史の授業。
梨沙子はぼんやりと、雨に濡れるグラウンドを教室の窓から見下ろしていた。
雨で誰もいないグラウンド。
だが、いつもならこの時間は、グラウンドでは2年B組の生徒達が校庭で体育の授業をしていた。
ホンの1ヶ月前もそうだった。
マラソンの苦手な桃子がグラウンドをビリッケツで走っていて。雅が「がんばれー」って笑いながら桃子にあわせたスピードで併走していて。
そんな2人を、こうして教室の窓から見下ろしていたっけな・・・。
今日は雨――。
2年B組の授業は体育館で行われているのだろう。
そして、たとえこの雨が止んだとしても・・・あの日の風景は、もう二度と戻って来ない。
桃子と雅が幸せそうに笑い合う姿は、もう見れない。
そんな事を思いながら、梨沙子が一定のリズムでグラウンドを叩く雨の音に耳を傾けていると。
隣の席の友理奈がチョンチョンと梨沙子の腕をたたいた。
不思議そうに振り返ると、友理奈が不意に梨沙子へと小声で問いかけてきた。
「ねぇ、梨沙子。週末さ・・・4人で久しぶりに遊ばない?」
「え?4人?」
「うん。梨沙子とうちとちーちゃんとみやの4人」
そう言って頷いた後、友理奈はふとその表情を曇らせた。
目線はぼんやりと窓の外のグラウンドを見つめる。
「さっきね。ちーちゃんと話してたんだ。どうしたらみやに元気出して貰えるかって・・・」
そう言って寂しそうに俯く友理奈。
桃子が死んで1ヶ月がたった。だけど、雅は変わらない。今も悲しみの中・・・。
今も雅の心の中には、激しい雨が降り続けていた。笑顔なんて今だ殆ど見せる事がなかった。
そしてそんな雅を、梨沙子だけでなく、友理奈も千奈美も、みんな心配し案じていた。
「うちらもずっと遊びになんて行く気にならなかったけど・・・丁度いい機会かなぁって。ちーちゃんと言ってたんだ」
「うん、そうだね。いい考えだと思う」
梨沙子はその言葉に同調し、そっと頷いた。
すると友理奈は嬉しそうに微笑み、「でしょ?」と言った。
確かに・・・。
この1ヶ月間、みんなは悲しみのあまり、楽しもうという気にすらなれなかった。
だけど。このままじゃみんなきっと、参ってしまう。
前向きに楽しむ事も、そろそろ自分達には必要なのかもしれない。
「じゃぁ週末は、4人で遊園地行こうよ!!」
そう言って笑顔を見せる友理奈。
梨沙子は柔らかな笑顔を見せ、コクリと頷いた。
グラウンドは相変わらず激しさを増す雨。
ぼんやりと窓の外を覗きながら、週末はいい天気になってくれるといい・・・と梨沙子は思った。
2
「週末ね。遊園地行く事になった」
「へぇ。いいじゃん!」
梨沙子の部屋。
TVの前に座り込み、TVに釘付けになりながらも、桃子はそう言って声をあげた。
桃子は連ドラが好きらしく、梨沙子の家に居候するようになってから、しょっちゅうTVを見ていた。
そもそも、幽霊が夕方から再放送の連ドラを見て感動しているんだから笑ってしまう。
「でも。ちぃもみやも熊井ちゃんも、絶叫マシーンが好きだから、ちょっと不安」
「あはは。梨沙子はももと一緒で、ジェットコースター苦手だもんね」
熱心にドラマを見ながらも、桃子はちゃんと梨沙子の話は聞いてるらしく、楽しそうに笑い声をあげていた。
やがて、TVがCMに入る。
CMに入るとTVの音が若干うるさく感じたのか・・・「ねぇ、梨沙子。音量下げて〜」と言って、桃子は梨沙子の方を振り向く。
「はいはい」
梨沙子は笑いながらリモコンで音量を下げてあげた。
TVの中では綺麗な女優さんが、清潔な笑顔を振りまきながらお茶のCMをしている。
「もも、この女優さん好きー!」と言って、嬉しそうに嬉しそうにTVに釘付けになる桃子。
だが、音が小さくなり、なんとなくさっきよりも話がしやすくなった感じはする。
梨沙子はTVの中で笑う女優さんをぼんやりと見つめながら、先ほどの言葉を続けた。
「でも、あたしはジェットコースター苦手だけど、みやはジェットコースター好きだからさ」
「・・・・・・・・・・」
「遊園地行って、少しでもみやに元気出して貰おうって、熊井ちゃんと話したの」
「そっか・・・」
「1カ月経った今も、みやは引きずってる・・・」
梨沙子がそう言うと、桃子は複雑な表情でその場に俯いた。
そんな桃子に、梨沙子はニコッと笑いかける。
「愛されてたんだね、もも」
「うん・・・」
梨沙子の言葉に、桃子は柔らかい表情で何も言わず、相づちだけを交わした。
そう。桃子はいつも・・・生きていた頃からそうだった。
雅の話になると、こーしてすぐにはぐらかした。
梨沙子が雅を好きな事を知っていて、雅が桃子を好きな事を知っていたから。
いつもこうして桃子は、雅の話になると気を使ったり、はぐらかしたりした。
「・・・・・・・・」
TVを見続けている桃子。
梨沙子はその背中をじっと見つめた。
雅の言葉を思い出す。あの夕暮れのいつものお寺で、雅は言っていた。
「一度だけ、ももに好きって言ったことがある」・・・って。
桃子がこうして話をはぐらかすたび、いつも思う。
じゃぁ、桃子の気持ちはどうだったんだろう?
いつも話をはぐらかす桃子だけど、桃子は雅の事を、ホントはどう思っていたのだろうか?と。
連ドラが終わる。
6時のニュース。週末の天気予報のコーナーを見ながら、桃子が嬉しそうに声をあげた。
「あ。週末はチョー晴れるって!!良かったね〜!!!」
TV画面に映る、週末の予報。
太陽の晴れマーク。
だけど、梨沙子の心の中は晴れないまま。
桃子は一体、雅の事をどう思っていたのだろうか?
「ねえ、もも」
「ん?」
「みやの事・・・好き?」
ストレートすぎる質問。
自分でもなんで、こんなにストレートに聞いてしまったんだろうと、聞いた直後に後悔した。
だけど。そんな梨沙子に対して返ってきた答えは、質問以上にストレートな、桃子の返答でもあった。
「好きだよ」
一言。物凄くハッキリとした口調で・・・。
そんな桃子の返答に、梨沙子は何も言えず目を見開くしかなかった。
だが・・・。
桃子は梨沙子の方を振り返りクスっと笑うと、いつものくしゃっとした笑顔で微笑みながら、言葉を続けた。
「好きだよ。みやも、梨沙子も、ちぃも、くまいちょーも・・・みんな大好き!!」
それは、いつもの桃子と同じ。
いつもと変わらない無邪気な言葉と、いつもと変わらない無邪気な笑顔。
桃子の雅に対する気持ちの真意。
それは、きっと。この先も梨沙子には語られる事はないんだろうと、思った。
3
週末は、予報どおりよく晴れた。
適度に風のある気候は暑すぎず寒すぎず。まさに絶好の、行楽日和であった。
梨沙子たち4人は電車に乗り、海沿いにある大きな遊園地へとやってきた。
休日らしいごちゃごちゃした人ごみ。そんな人ごみを縫って、4人はちょうど遊園地のセンターに位置する巨大ジェットコースターに向かっていた。
「あれあれ!次!アレにのろうよ!!」
それは4人が遊園地に来て、2つ目のアトラクション。
千奈美はニコニコと笑いながら、遠くに見えるジェットコースターを指差していた。
レールがグルグルと4回転ぐらいしているジェットコースター。
乗り物が4回転ゾーンに差し掛かるたび、これだけの距離が開いているにも関わらず、悲鳴の様なモノが梨沙子たちの元まで聞こえて来ていた。
「うわぁ!!ちょー楽しそう!絶対楽しいよ、あのジェットコースター」
ハイテンションな口調の千奈美。
ピョンピョンと小さくその場に飛び跳ねながら、嬉しそうに雅の腕を揺さぶっている。
梨沙子は、そんな千奈美を後ろから見ながら、気を使っていつも以上にはしゃいでくれているんだなぁと思った。
そして、それは友理奈も同じで・・・。
「いこーよ、みや!!」
そう言って楽しそうに雅の手を引っ張る。
そんな賑やかな2人の間に挟まれ、当の雅も、相変わらず晴れない様子ではあったけど、それでもいつもよりはずっと楽しそうな感じがした。
両サイドの賑やかコンビに腕を組まれ、雅は笑いながら「うん。行こう!」と答えた。
人ごみをくぐり、途中のクレープ屋さんに目を奪われつつも、4人は巨大ジャットコースター乗り場に着く。
やはり、カンカン照りの休日は混み合っていて、40分ほど並んで、ようやく自分達の番だった。
待ってる間も、千奈美と友理奈はずっと賑やかにおしゃべりをしていた。それは、いざ順番が来たあとも――。
「ちょっと!熊井ちゃん!一番前だよ、一番前!どーする!?」
「うわぁ。怖そう!!やばい、マジ、やばいって!!」
もちろん、気を使って務めて明るく振舞っているのもあるのだろうけど。
単純に遊園地が楽しくて仕方ないって言うのもあるらしい。
千奈美と友理奈は楽しそうにジェットコースターの最前に座って、賑やかに笑っていた。
この1ヶ月間、みんな楽しむと言う事をしなかったから、久しぶりに心が解放されたのかもしれない。
ただ自分は、正直なトコ、ケラケラと笑えるような状況ではなかったのだが・・・。
「ジェットコースター苦手なんだよね・・・」
そう言って梨沙子がなんの気なしに呟くと、雅がジェットコースターの隣りの席から手を握ってきてくれた。
梨沙子が振り向くと、雅は心配そうに梨沙子の顔を覗き込んでいた。
「平気?梨沙子??」
「うん・・・」
「うち、ジェットコースター平気だから。手、握っててあげるね」
「ありがとう」
温かい手。優しく指を絡め、キュッと握ってくれる。ドキドキと心臓が高ぶってきた。
この胸の高鳴りは、ジェットコースターが怖いからか、それとも他の理由なのか。よく解らなかった。
ジェットコースターがガタゴトと動き出す。思わず目をきつく瞑る梨沙子。
(そう言えばももも、ジェットコースターが苦手だったな・・・)
発車直前、なんとなくそんな事を思った。
すると、不意に雅の握る手が強まった気がした。もしかしたら雅も、梨沙子と同じ事を考えたのかもしれない。
きっと雅は、自分ではなく、桃子と。こうしてジェットコースターに乗りたかったんだろうな・・・。
あれから立て続けに2つ、絶叫マシーンに乗せられた。
3人は得意だからいいだろうけど・・・。
正直。苦手なジェットコースターを何個も乗せられ、フラフラな状態の梨沙子。
そんな梨沙子を憐れに思ってくれたのか、ベンチに座り込みグッタリしている梨沙子の背中をさすりながら、千奈美がすぐ側にあったお化け屋敷を指差していた。
「ね。次はさ、お化け屋敷行こうよ!!」
どうやらお化け屋敷はイマイチ不人気らしく、全く並ぶ事無く入れるような状態だった。
「うん・・・いいよ」
梨沙子は顔を上げ、コクリと頷く。
お化け屋敷もあんまり得意じゃないけど・・・。
これ以上、絶叫系に乗せられては体が持ちそうにないと思った。
そして・・・。
お化け屋敷の中に入っても、相変わらず千奈美は物凄い賑やかぶりを発揮していた。
千奈美と友理奈。梨沙子と雅。2人づつで入る事になったお化け屋敷。
先に入ったのは千奈美と友理奈のペアなのだが、お化け屋敷の奥の方から、さっきから千奈美の悲鳴がギャーギャー響き渡っていた。
そしてソレと一緒に、友理奈の笑い声がこだましている。
「もう!ちーちゃんの悲鳴の方が怖いよ!!」
なんだか凄く、自由に楽しんでいる2人。
そして、そんな2人とは裏腹に、手を繋ぎながらモノ静かに歩いている梨沙子と雅。
特に怖がるでもなく、黙りこくるでもなく、梨沙子が平然とした様子で周りのセットやお化けをキョロキョロと物珍しそうに見ながら歩いていると、不意に隣で雅が笑った。
「なんか、意外・・・」
「え?」
「梨沙子ってお化け屋敷平気なんだ?」
なんか梨沙子ってお化けが苦手なイメージがあったと、雅は言う。
実際。前まではちょっとしたお化けの作り物でも、怖がって大泣きしてたじゃん、と。
ソレを聞き、思わず梨沙子は笑う。
「あぁ。それは・・・」
お化けと暮らしているから慣れちゃった――。
なんて。言えるワケもない・・・か。
口から出掛かった言葉を飲み込み、梨沙子が誤魔化すよう
「んー。最近お化け、平気になったんだ」と笑う。
すると、「お化けか・・・」雅が虚空を見上げ、独り言の様にポツリと呟いた。
その言葉にきっと深いイミなんてなかったんだろうけど――それは凄く、梨沙子をドキリとさせる言葉だった。
「お化けでも幽霊でもいいから、もう一回ももに会いたいな・・・」
雅の言葉に、心臓が止まりそうになる。
梨沙子は目を見開いて雅を見るが、雅は虚空を見上げたまま虚ろな目をしているだけだった。
やがて。握られた手に、ギュッと力が入る。
揺れる眼差し。また雅が泣き出してしまうんじゃないかと思ったけど、泣く事はなかった。
じっと天井を見上げたまま、キツく手を握り締めているだけだった・・・。
× × ×
そして。4人は日が暮れるまで、いくつものアトラクションに乗った。
最初のうちは、雅も時々、色んなことを思い出していたようだったけど、元々雅は遊園地が好きだったから、その楽しさに次第に笑顔を取り戻していった。
色んなアトラクションに乗るうちに、声に出してケラケラと笑うようになっていた。
それには勿論。千奈美と友理奈が勤めて明るく振舞った努力もあったんだと思う。
「ちょっと疲れたよね〜」
そう言って千奈美は、大広場のベンチに腰掛けた。
歩きづくめで足がパンパン。今まで何度か遊園地には行ったけど、朝から夕方までここまで遊びつくした事は珍しい。
「もうフラフラだよーーー!!!」
「だって、絶叫系ばっか選ぶんだもん、ちーちゃん」
近くのクレープ屋からチョコバナナクレープを購入してきた友理奈が、千奈美の隣りに座り飽きれた様に笑った。
「そんなの疲れるに決まってるじゃん!」友理奈のもっともすぎる意見。
そんな友理奈の言葉につられて梨沙子と雅も「そうだよー」と笑った。
雅の手は、梨沙子の手につながれたままだった。
沈んでゆく夕日。
遠くで鐘のようなものが鳴る。6時のチャイム。
ベンチに座ってクレープを食べている千奈美と友理奈。
そして、しっかりと手を繋いだまま立ち尽くす、梨沙子と雅。
なんだか不思議な沈黙。
上空で雲が流れてゆく。空が夕焼けに染まる。
4人はただただ、ぼんやりと美しい空を見上げた。
「夕日・・・綺麗だね」
梨沙子が呟くと、雅がその隣りで「そうだね。すごく綺麗」と、頷いた。
キュッと強く握られる、雅の手。
そして雅は、眩しそうに両の目を細めると、まるで独り言の様に言ったのだった――。
「あの綺麗な夕日の向こうに天国があるなら。きっと天国はステキな所だね」
「・・・・・・・」
「きっと、最上の天国」
梨沙子は黙りこくる。
胸の中がキュッと締め付けられる。
夕陽の赤と、夕焼けのオレンジと、空の青。
3つが混じりあった、この美しい境界線の向こうに天国はあるのかな?
桃子が恨めしそうに天を仰いでいた、あの横顔を思い出す。
最上の天国は、きっとそこにある。
でも、桃子は最上の天国へ行く手立てを知らない。
そして。天国へ行く術を知らない桃子は、悲しい顔で空を見上げるしか出来ないんだ。
じっと空を見上げたままの4人。
そうしているうちに、雅は空を見上げながら俄かにフッと笑顔を零した。
それは不思議なぐらいに柔らかい表情で、梨沙子は思わず雅の横顔を凝視した。
やがて、雅は一歩二歩とその足を進める。そして・・・クルッと身を翻すと、雅は3人の方へ笑顔で振り返った。
「みんな、ありがとね!ちぃも、熊井ちゃんも・・・梨沙子も」
「みや?」
「今日は、すごく楽しかった・・・」
空を見上げる。雅の横顔に夕陽が逆光となり、影を落とす。
その顔は寂しげだけれども。でも、それは今までにはない、どこか晴れ晴れとした表情でもあった。
夕陽のシャドーの中、雅は優しく笑っていた。
「そうだよね。こんな綺麗な空の上にいるんだもん。ももはきっと・・・幸せだよね?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「いつまでも悲しんでばかりじゃ・・・ももだって、安心して夕日の向こうから、うち達の事。見ていられないよね?」
「・・・・・・・・・・・・・」
「急に忘れるなんて、出来るワケない。でも。なんかね。うち。少しずつだけど、忘れられそうな気がするんだ。ホンの、少しずつだけど・・・」
この悲しみも痛みも苦しみも、そう簡単になくすことは出来ない。
だけど、自分の周りには、沢山の友達がいる。
悲しみを忘れさせてくれる、大切な、生きている友達たち。
そんな友達たちと一緒に、時間をかければ少しずつ・・・少しずつだけど。切り裂かれるような痛みから、前に進めるような、そんな気が雅はしていた。
そして。
そんな雅から告げられた、この1ヶ月間聞くことの出来なかった前向きな言葉に、千奈美と友理奈は嬉しそうに互いの顔を見合わせた。
思わず2人の顔に、笑顔が零れ落ちる。
「そ、そうだよ!みや!!この綺麗な空の上にももはいるんだよ!?きっと、天国はステキな世界だと、ちぃも思うよ?!!」
「ね!もものことだもん。きっと能天気に天国でバカンスしてるよね!!?」
そう言って友理奈も笑う。
2人の言葉を聞きながら、雅は頷き、「だよね?」と楽しそうに微笑んだ。
そう。費える事のない痛みも悲しみも苦しみも。
消える事のない心の傷も。
友達たちとの、毎日の笑顔と会話と、過ぎ行く時間と共に・・・。
少しずつ、ホンの少しずつ・・・・心の隅へと追いやる事が出来るだろう。
雅は、そんな気がした――。
やがて。千奈美はクレープを一気に口に含むと、
どこか嬉しそうな面持ちでベンチから立ち上がり、夕日に向かって叫んだ。
「よーし!じゃぁ、最後に元気にフリーフォール乗るかぁ!熊井ちゃん!!!」
「えーーー!?まだ乗るの?ちぃちゃん!!?」
張り切っている千奈美と呆れ顔の友理奈。
その隣りで、アハハと笑っている雅。
久々に穏やかな笑顔が零れる、親友たちの時間がそこにあった・・・。
――しかし。
そんな3人の空間から、梨沙子はポツンと取り残された。
唇が震える。
目の前には、楽しそうに顔を見合わせ笑っている3人。
だが、梨沙子は3人の横顔を見ながら、心の中でしきりに呟いた。
違う――。違うよ、みや。
ももはあの空の向こうにはいない。
今もこの地上に取り残されているんだ。
そう。ももは側にいる。みんなの側で、みんなを優しく、寂しく、見守っている。
なのに、みんなは少しづつももを忘れていくと言うの――?
心臓が痛む。 喉の奥が乾いて、ゴクッと生唾を飲み込む。
確かに。最初は梨沙子も、雅に忘れて欲しかった。雅に何もかも忘れて、笑顔を取り戻して欲しかった。
だけど、だけど・・・。
天国にも行けず、誰の目にも止まらず、少しずつみんなに忘れられていく桃子。
そうしたら桃子は。この世に寂しく取り残された桃子は、一体どうなってしまうのだろうか?
そうしたら・・・ももは・・・ももは・・・。
夕日が落ちる。
オレンジ色の光が、4人の女の子たちを包み込む。
楽しげに笑顔を零す女の子たち。
だが、その中で梨沙子だけが『取り残されている事』を、まだ、雅たちは気づいていなかった。
4
真っ赤なフリージアが夕陽に染まる。
まるでもう1つの太陽の様に、キラキラと輝く。
いつもの交差点では、桃子と茉麻と佐紀の3人が、いつもどおり談笑をしていた。
「なんかさ。梨沙子、遊園地行ってるんだって」
そんな事を茉麻と佐紀に話している桃子。
きっと今頃は、4人で絶叫マシーンに乗ってワーキャー騒いでるんだろうな。
桃子はぼんやりと空を見上げ、羨ましそうに呟いた。
「いいなぁ〜遊園地。ももも行きたいなぁ〜」
とは言え、この体では絶叫系とか乗り様がないし。
そもそも絶叫系、嫌いだし。
言うほど遊園地が好きなワケではないのだが、ない物ねだり。行けないとなると、なんだか行きたくなるから不思議。
「でも、このスケスケの体じゃ、ジェットコースターとかムリだしね。うちら」
そう言って茉麻が笑うと、佐紀が名案とばかりに、「お化け屋敷とかなら行けるんじゃん?」と言った。
だが、佐紀の言葉に桃子はブンブンと大きくかぶりを振って、断固として拒絶する。
「イヤ!!ぜったいイヤ!!もも、お化け苦手だもん!!」
「あはは。自分もお化けのクセにぃ」
茉麻のツッコミにケラケラと笑う3人。
すると。通行人が不意に怪訝そうな表情を浮かべて佐紀を垣間見ていった。
ハッとして、口を噤む桃子。また、いつものクセで調子に乗って盛り上がってしまった・・・。
だが、当の佐紀は、全く気にしていない様子だった。
周りの人間から気味悪がられるのは、もう慣れていたし、周りの人間から取り残されようと、どうでも良かった。
桃子や茉麻と過ごす時間が、楽しくて仕方ないと言った様子だった。
そして――。
石川は、遠くからそんな佐紀の背中をじっと見つめていた。
お昼過ぎに家を出て行った佐紀を、悪いと思いながらもコッソリとつけて来たのだが・・・。
辿り着くと、交差点で1人きり、佐紀は楽しそうに笑っていた。
それは異様な光景。
だが、きっと。その隣りには我々の眼には見えなくとも、霊が存在しているのであろう。周りの人間には見ることの出来ない、霊魂がきっと。
幽霊にしか心を開かない憐れな妹。
幽霊なんかと関われば、不幸になるだけなのに・・・。
だけど、正直。どうしていいのか石川はわからなかった。
幽霊なんて無意味な存在と一緒に居ても、幸せになんてなれるワケがない。だけど・・・。
あんなに楽しそうな佐紀の笑顔、自分には絶対に見せてくれない。
佐紀はもしかしたら。あれで幸せなのかもしれないと、思った。
周りがたとえ、どう思おうとも・・・。
人間との関係を断絶し、死者と時間を共有する事が、この子にとって、一番幸せな事なのかもしれない。
そして。もしもそんな幸せな時間をムリに奪い取ったとなれば、佐紀はいったいどうなってしまうのだろうか?
無理やり、佐紀を連れ帰るのは簡単だ。だけど、そうする事で佐紀は、唯一の心の拠り所を失ってしまうのかもしれない。
そうなった時に、自分が代わりに、佐紀の心の拠り所になれるのだろうか?3年も言葉を交わしてもらえてない自分が・・・。
それを考えると、どうしても石川は、佐紀を無理やり幽霊から突き放し、連れて帰る気にはなれなかった。
深くため息をつく。
声を掛けられぬまま、石川は結局、その場を諦めて離れようとした。
その時だった・・・。
「もしかして・・・梨華・・・ちゃん?」
「?!!」
不意に石川にかけられる声。
ハッとして振り向くと、正面には一輪のフリージアを手にした女性が立っていた。
やつれ青ざめた表情。
だけど、ひと目見てすぐに、石川はその女性を誰だか思い出せた。
「柴・・・っちゃん?」
目の前に居る柴田は、その問いかけに肩を震わせたまま、コクリと頷いた。
やつれ果て、顔色も随分と悪く感じるけど・・・正面にいる女性は紛れもなく、高校時代、同じクラスに籍を置いていたクラスメイトの柴田あゆみだった。
石川はそんな柴田に、懐かしそうにニコッと笑顔を零した。
「わぁ〜。久しぶり。高校以来だね!」
「梨華ちゃん・・・あ、あたし・・・」
「ん?柴っちゃん?」
「梨華ちゃん。あたし・・・あたし・・・・」
夕日が交差点に沈む。
繰り返し石川の名を呼ぶ柴田。その何処か切羽詰った様相に、何か異様なモノを感じた。
そして、辺りはそんな柴田の声を掻き消すように、夕暮れのチャイムと、車のクラクションの音だけが響いていた。
5
辺りはいつの間にか、夜の闇に沈んでいた。
今日1日、本当によく遊びつくしたと思い、梨沙子はハァ〜と大きく息をついた。
千奈美と友理奈とは駅でお別れをして、梨沙子と雅はそれぞれの自宅までの道のり、一緒に夜の商店街を歩いていた。
夜になると、街に肌寒い風が吹き抜ける。
そんな夜の寒さをカバーするように、ギュッと握られた2人の手。温かい手。
まるで何かに縋るかのように、雅の手はずーっと、梨沙子の手につながれたままだった。
やがて、互いの家への岐路に辿り着く。
雅は名残惜しそうに梨沙子の手を離し、優しい目でほほえんだ。
離された手が、なんだか急に冷たさを感じる・・・。
「今日は、ありがとうね。梨沙子。すっごい、楽しかった」
「・・・・・・・・」
「梨沙子が側にいてくれて、あたし、本当に良かった・・・」
雅の言葉に、何も言えない梨沙子。
すると、雅がコツンと梨沙子の肩に額を寄せ、そっと呟いた。
「ありがとう・・・」
だが、梨沙子は俯いたまま、どうする事も出来なかった。
頬に微かに触れる雅の髪の毛から、シャンプーの匂いがフワッと漂い、鼻をくすぐる。
それは、大好きな雅の香り。
だが、梨沙子はギュッと目を閉じると、雅の両肩に手を沿え、その体をぐっと押し戻した。
「梨沙・・・子・・・?」
自分を突き放す、梨沙子の手。
驚きと不安が入り混じった表情で雅は梨沙子を見上げるが、梨沙子は作り笑いを浮かべると、何事もなかったように右手を挙げ、答えた。
「じゃぁ。またね・・・みや」
「う、うん――」
それ以上何も言えず、雅も「じゃぁね・・・」と言って右手を挙げる。
そして。梨沙子は雅と別れると、路地裏を駆け出して、急いで家路へと戻った。
夜道を駆け抜ける。ドクドクと音を奏でる心臓。胃がキリキリと激しい痛みを伴う。
あったかい手。シャンプーの香り。優しい目。大好きな人。
だけど・・・雅が好きなのは桃子。自分じゃない。解かっている――。
だから、どうしてあげることも出来なかった。
あぁ言うとき。抱きとめてあげる事なんて・・・自分には出来るワケもない。
なんだか吐きそうなぐらいに苦しかった。
ポタリと涙が零れ落ちる。
こう言うとき、どうしていいのかわからない。
一体、自分は。どうする事が、正しいのだろう・・・?
長い家路を駆け抜け。
梨沙子が部屋に戻ると、桃子が退屈そうに窓の外を見ていた。
暇つぶしに星座を探しているらしく、空を見上げながら「アレがオリオン座かなぁ?」とかテキトーな事を言ってて、思わず梨沙子はクスッと微笑んだ。
「違うよ。オリオン座は冬の星座だよ?」
梨沙子が声をかけると、桃子は驚いた様子で振り返り、「あ!梨沙子、帰ってたんだ?お帰り〜」と柔らかい笑顔を浮かべた。
梨沙子は桃子の隣りへ歩み寄り、窓の外を見上げる。
今日は雲ひとつないいい天気だったから、南の空に、真っ赤な星が赤々と輝いて見えていた。
「あれ、アンタレスだよ?オリオン座じゃなくて、さそり座」
「へぇ〜凄い!そうなんだ。そう言えば梨沙子って、空とか見るの好きだよね」
「うん。空見るの好き〜」
そう言って、梨沙子は嬉しそうに空を見上げた。
これだけ空がよく晴れた日は、東京でも結構、星が見えるんだなぁ・・・と思った。
なんとなく。小さい頃から空を見るのが大好きで、小学生の頃、桃子と雅と3人で手を繋いで星を見上げた夜を思い出す。
「ねぇ?ももは、空見るの好きじゃないの?」
「うーん。ももは空よりTV見るほうが好きかなぁ〜?ねぇ、梨沙子。TVつけてくんない?」
ノスタルジックな梨沙子の想いとは裏腹に、ロマンチックの欠片もない桃子の、能天気な発言。
そんな桃子の言葉に、梨沙子は思わず苦笑いを浮かべた。
もー。幽霊のくせにお気楽だなぁ〜なんて思い、梨沙子はなんだかイジワルしたくなり、素っ気無く答える。
「TVが好きなら、自分でつければいいじゃん」
「あのねー。自分でリモコンが触れるなら、とっくにつけてるよー」
そう言って、桃子は膨れっ面を浮かべる。
そう。幽霊は自分でTVをつけることが出来ない。
だからTVを見たいときは、桃子はいつも梨沙子にこうして頼んでくるのだった。
もっとも。桃子がリモコンを触れないお陰で、2人の間ではチャンネル争いは絶対に起きないから、平和と言えば平和なんだけどね。
「もう、仕方ないな〜」
そう言って笑いながら、梨沙子はTVを付けてあげる。
すると、TV画面では桃子お目当てのドラマが丁度始まっていたらしい。
TVが付いた瞬間、桃子は嬉しそうに「あ!始まったぁ〜」と言って、一番TVを見やすい場所を陣取る。
桃子が大好きな女優さんが主役をつとめるTVドラマ。
そんなTVドラマを、桃子は楽しそうに目を輝かせながら見つめていた。
そして。そんな桃子の背中を、じっと見つめている梨沙子。
しばらくの間。
2人は雑談をする事もなく、TVドラマを黙って鑑賞していた。
だが、なんとなく・・・。
梨沙子はTVを見始めてものの10分もすると、つけていたチャンネルをプチッと切ってしまったのだった。
「ちょー!なんで消しちゃうの!!?」
丁度、主人公の女性の愛の告白シーン。
一番いいシーンでTVを消されてしまい納得のいかない様子で、桃子は梨沙子を振り返る。
だが、そんな膨れっツラの桃子に、梨沙子は笑いかけた。
「いーじゃん、ドラマなんて。ビデオ取っとこうよ。あたしが学校行ってる間に見ればいいじゃん」
「えー。でも。続き、気になるんだけど」
「いいじゃん、いいじゃん。それよりさぁ・・・もも」
そう言って、梨沙子は部屋のベッドに腰掛け、クスクスと笑う。
そして桃子の顔を嬉しそうに見つめながら、こう答えたのだった。
「一緒にさ。おしゃべりしよーよ!もも!!」
「・・・へ?」
なんだか、凄く楽しそうな梨沙子。
桃子はそんな梨沙子の様子に不思議そうに首を傾げながらも、フッと表情を和らげるとベッドの側に座り込んだ。
「まぁ、ドラマはあとでいっか・・・」
そして。2人は色々な事をオシャベリする。
梨沙子は今日、遊園地であった話を語り、桃子は楽しそうに話を聞き入った。
いつも以上に楽しそうで、いつも以上にテンションの高い梨沙子は、凄く饒舌に喋っていた。
30分も1時間もつづく、2人のおしゃべり。
笑いが絶えない時間が続く。
そして・・・。
2人が賑やかに会話を始めてから、しばらくして。不意に梨沙子は呟いたのだった。
「ねぇ、もも?」
「ん?なに?」
「そこに・・・いるんだよね?もも・・・」
「え?当たり前じゃん!」
桃子は思わず笑った。
「見れば解るじゃん。ここにいるよ?ももは」そう言って、くしゃっと微笑む。
それは、梨沙子が小さい頃から知っている、優しい桃子の笑顔だった。
梨沙子はソレを聞いて、なんだか安心した様子で「そうだよね・・・」と、笑う。
そう。桃子は側にいる――。
たとえ、みんなに見えなくても。桃子はすぐ側にいるんだ。
楽しそうに話す梨沙子。笑っている桃子。
それは、夜が更けても尽きる事のない、2人の会話。
それだけに。
廊下で。足音がギシッと鳴った事に、2人とも気づく事はなかった。
(第5章 薄れ行く悲しみ FIN)