第3章 枯れないフリージア





あの、土砂降りの日から2週間が過ぎた――。



梨沙子は部屋のカーテンを大きく開く。
朝6時。早朝の爽やかな空気が、梨沙子の部屋の中を満たした。
いつもより早い朝食。そして7時ちょっと過ぎに、いつもより30分ほど早い登校。
梨沙子が玄関でいそいそと靴を履いていると、ふと、桃子が後ろから不思議そうに問いかけてきた。

「今日。早いね?」
「うん、ちょっと用があって」
「そっか・・・。ねぇ、ももも途中まで一緒に行っていい?」
「ん?なんで?」

梨沙子が驚いた様子で振り返ると、桃子は「最近、もも。川原を散歩しているんだよね」と言って肩をすくめた。
ずっと家にいると、気持ちが滅入ってくる。
だからなるべく外に出るようにしてて、特に最近は川原をよく散歩していると桃子は答えた。

確かに・・・。
梨沙子が学校に行っている間は1人でヒマだろうし、散歩ぐらいは積極的にした方がいいと思う。
そんな事を考えながら梨沙子は「じゃぁ、学校にも来ればいいじゃん」と問いかけた。
「どーせみんなに見えないから、来ても平気だよ?」
だが、桃子は難しい顔でうーんと唸ると、梨沙子の顔を見て小さくかぶりを振った。

「いいや。みんなから見えないのが逆に辛い」
「・・・・・・・・・・」
「みんなと話したくなっちゃうもん」

桃子の回答。
それを聞き、なんだか悪い事を聞いてしまったような気がして、梨沙子が申しわけなさそうな表情を浮かべる。
すると、そんな梨沙子をフォローするように桃子は笑いかけた。

「でも。梨沙子や佐紀ちゃんと話せるから、ももは寂しくないよ?」

実際。申しわけなさそうな梨沙子をフォローする言葉でもあったが、同時にそれは本心でもある。
梨沙子は勿論、最近は佐紀も交えて3人で一緒にお話をする事が多くなった。
もしも世界に1人ぼっちだった事を考えると、自分を見えてくれる人間が2人もいるって事は、凄く幸せでラッキーな事なんだと思う。
もし誰からも見てもらえず、ひとりぼっちでこの世界に取り残されていたら、今頃気が狂ってたかもしれない。





早朝の街並み。
肩を並べて2人で学校への道を歩いた。
家が近所の2人は、いつも学校までの道のりを一緒に登校していた。
今日は2週間ぶりの一緒の通学路。桃子はなんだか懐かしく感じ、嬉しそうに鼻歌を歌った。

だが・・・。

いつも学校へと向かう、裏路地。
しかし、梨沙子はどう言うわけか、いつもの通学路から少しルートを外れた。
裏路地へと向かわず国道を通って行く梨沙子。
「あれ?どこ行くの?」と、不思議そうな桃子を横目に、梨沙子がまっすぐ向かったのは、国道沿いの花屋だった。
花屋に入っていく梨沙子をポカンと見ている桃子に、梨沙子はクスッと笑いかけた。

「知ってる?もも?毎日学校の友達と交代で、ももの机にお花あげてるの」
「え?」
「まだ一度も欠かしたことないんだよ?だからももの机は、毎日お花が咲いてるの」
「・・・・・・・」
「みんなももの事好きなんだね〜」

梨沙子の言葉に暫し言葉を失う桃子。
そして、次第にポカンとしたその表情に、柔らかさが満ちてくる。


「そっか・・・なんか、嬉しいな」


梨沙子は桃子に好きな花を聞く。
フリージアが一番好きと言うので、梨沙子は花束の中にピンクのフリージアを選んだ。
ニコニコと嬉しそうに、その花束を見つめている桃子。
そんな嬉しそうな桃子を見て、やっぱり3学期が終わるまで、お花当番は続けてあげなきゃな〜と梨沙子は思った。

そして、2人は花屋を離れる。
花屋から、2人がバイバイする交差点まで、色々な事を話した。
桃子のクラスの子はもちろん、他のクラスの子や、友理奈たちの様な年下の子まで、有志で毎日花をあげてくれてると梨沙子は言った。
そう言う話を聞くと、やっぱり幽霊だって嬉しくて嬉しくてしょうがないのが本音。
嬉しくてなんだか桃子は、顔がニヤケてしまう。

「なんだー。みんなこっそり、あたしの事、愛してくれてたんだね〜」
「キモいとか言われてたのにねぇ」

2人で一斉に笑いあう。
すると、すぐ側を通っていたサラリーマンが不思議そうに梨沙子を顧みて、おもわず2人で口を噤んだ。
誤魔化すようにその場に俯く梨沙子に、桃子はクスリと笑いかける。

「ちょっと〜。梨沙子、怪しい人に思われてるよ」
「そっか。みんなももの姿が見えてないんだよね・・・」

桃子と2人で肩を並べて歩くのが、余りに当たり前だったから。こうして話していると、そんな事も忘れてしまう。
梨沙子は歩きながら、ぼんやりと佐紀の言葉を思い出していた。
『生きてる人間は、うちの事を気味悪がったりする』と、佐紀は言っていた。
なんとなく解る気がする。
こうして佐紀は、少しずつ周りの人間から敬遠されていったんだろう・・・。



やがて、2人がバイバイする交差点に辿り着く。
交差点を右に行くと学校の方面。左に行くと川原の遊歩道へ出る。
桃子は梨沙子の方を顧みると、その手をあげた。

「それじゃ。ももは、川原の方に行って散歩してくるね」
「うん、じゃぁ、ここでバイバイだね」
「いってらっしゃい」

そう言って桃子は梨沙子を見送るように手を振った。
梨沙子もそれに返すように、右手をゆるやかに振り、歩き出す。
だが、その瞬間だった。
不意に梨沙子が立ち止まり、「あれ?」と呟いた。

「え?なに?」

思わず桃子は振り返る。
そこには、立ち止まっている梨沙子。そんな梨沙子の目線の先には、交差点のガードレールの下に供えられた、一輪のフリージアがあった。
小さな花瓶に供えられ、小さく揺れている赤いフリージア。

「あれ?フリージアだね・・・」

桃子が不思議そうに呟いた。
梨沙子がさっき買ったのと、同じようなフリージア。
花瓶の中で、頼りなく風に吹かれて、揺れていた。

「なんでこんなトコにあるんだろ?もも」
「さぁ?」

そう言って、桃子は難しい表情で首を傾げた。
その瞬間だった・・・。
桃子はなんだか奇妙な気配を感じ、不意に顔を上げた。すると――。

交差点。
そこで、桃子の目に不思議な光景が飛び込んでくる。
交差点では、デニム地のスカートと赤いTシャツを着た女の子が、ガードレール脇に佇んでいる姿が見えた。
そして、その少女は何を思ったのか・・・まっすぐに、赤信号の交差点を渡って行ったのだった。


「な!!」


桃子の中のカラッポの心臓が、激しく警報を鳴らす。

「ちょ!ちょっと!」

思わず声をあげる桃子に、梨沙子はビックリした様子で「ど、どうしたの?もも?」と問いかけた。
だが、赤い服の少女はこちらの様子など気づく事無く、当たり前の様に赤信号の交差点をまっすぐに渡ろうとする。
すると。信号の向こうからは、ブレーキ1つ踏まずに交差点に飛び込んでくる、4tトラックの姿が見えた。
トラックは躊躇わない。少女も躊躇わない。
時速60キロぐらいのスピードで飛び込んでくるトラックは、そのまま交差点を渡ろうとする少女に、ブレーキ1つ踏む事無くつっ込んできたのだった。


「きゃ・・・キャーーー!!」


完全に轢かれた・・・。
思わず悲鳴を挙げ、手で顔を覆い隠し、その場に目を伏せる桃子。
シーンと静まり返る交差点。だが・・・。

「ど、どうしたの?もも?」
「・・・・ふぇ?」

梨沙子の不思議そうな声に、桃子は伏せていた顔をあげた。
そして、桃子は目線を上げ恐る恐るに交差点を見る。
だが、そこには何もなかった・・・。
あったのは、当たり前の様に交差点を通り抜けていく4tトラックと、何事もなかったかのように交差点を渡りきる少女の姿。

「え・・・?」

桃子は凍りついた。
確かにあの瞬間、トラックと少女はぶつかるタイミングだったのに。どうして・・・。

一体、この交差点で何が起きたのか??

桃子は興奮した様子で「梨沙子。い、今!!あの子・・・」と言って少女を指差し、梨沙子の顔を見た。
だが梨沙子の返答は、至極キョトンとした面持ちで「え?あの子って誰よ?」と、訝しげに眉根を寄せるだけだった。

「へ?」

梨沙子の返答に、桃子は指を差したまま言葉を失う。
その指の先には赤い服の女の子。彼女は交差点の向こう側に付くと、ボーっと空を見上げていた。
目が大きくて、自分より遥かに背の高い女の子。
桃子は遠くからその少女をじっと見つめた。
そうしていくうちに、不意に何か違和感を感じた気がした。


そして桃子はふと、その違和感に気づく。


交差点にはギンギンに降り注ぐ朝の日差し。
だが。少女の足元には、影がなかった。そして、微かだが後の景色を透過させている体。

「・・・・・・・・・・・・・・」

桃子のカラッポの心臓が、ドクドクと激しい音をあげた気がした。
足元に供えられた真っ赤なフリージアだけが、交差点の風に揺れ続ける。







今日で何日が過ぎたろう?
月は300以上は昇った。くわしい数はよくわからない。

交差点に風が吹く。
スポーツカーが激しいエンジン音を吹かし、交差点を通り抜けて行った。
メタリックシルバーのスポーツカー。
そう、あの時の車もそうだった。メタリックシルバーの車体が赤く染まった姿を思い出す。

茉麻はじっと、通り抜けてゆく車を見つめていた。
すると、車に気をとられ油断していた茉麻の背後から、突然に声が聞こえた。


「いつから・・・ここにいるの?」
「?!!!」


茉麻の大きな目が丸く見開かれる。
振り返ると、見開かれた茉麻の目の前には小柄な少女。彼女は人懐っこい笑顔で笑っていた。
そして、ただただ言葉を失い愕然としている茉麻に、少女は楽しそうに問いかけたのだった。


「大丈夫?まるで幽霊でも見たような顔だよ?」


いたずらな顔でクスクスと笑う女の子。
その彼女の一言で、全てを悟った気がした。
茉麻は震える声で問いかけた。

「まさか、あなたも・・・?」
「あたしは桃子。嗣永桃子・・・」

桃子は手を差し出す。
僅かに躊躇ったあと、茉麻はギュッと桃子の手を握った。

「私は。須藤茉麻・・・」

手からは暖かな体温を感じたような気がしたが、きっと気のせいだろう・・・。





    ×           ×             ×





日の光は低く交差点を照らす。
赤いフリージアは、日に照らされて、太陽の様にきらめいていた。

「ココに取り残されて1年かな?」
「1年・・・」

交差点で茉麻が空を見上げながら、ボソッと呟いた。
長い年月。桃子は思わず顔を顰めた。

「正確にはわかんないけど、毎日ヒマだったから・・・月が昇る回数ばっか数えてた。300回以上は昇ったから、きっと1年弱」

1年・・・想像をしてみる気にもなれない。
桃子は遣る瀬無い表情で俯き、かぶりを振った。
自分はわずか2週間程度で気が滅入ってるのに、1年間も。気が遠くなりそうだ・・・。

「まぁはずっと、ここにいるんだ」
「え?ずっとこの場所に?」
「ももは色んな場所にいけるんだね。いいな」

そう言って茉麻は薄い表情で微笑んだ。
そんな茉麻を、桃子はキョトンとした顔で見つめる。
色んな場所に行けるんだね・・・その意味がつかめなかった。

「どう言う事?まぁは色んな場所に行けないの?」
「まぁはきっと・・・地縛霊なんだと思う。この交差点を離れることが出来ない」
「・・・・・・・・」

フリージアが揺れる。
桃子は何も言えず、じっと茉麻の横顔をだけを見つめた。


地縛霊――。


一体なにが起きて彼女はこうなってしまったんだろうと、桃子は瞬時に思った。
足元に揺れるフリージアも、そう。
地縛霊になって1年も、この世に取り残されてしまった茉麻。
一体この交差点でなにが、彼女の身に起きたのだろうか?
このフリージアは、一体どう言う事なのだろうか?


桃子がそんな事を思いながら、交差点で揺れるフリージアに目線を向けると、
茉麻は桃子の思惑を察したのか、「そのフリージアは、ある人が供えてくれてるんだ」と答えた。
ふと、茉麻を見あげる桃子。
茉麻はぼんやりとフリージアを見つめながら、呟いた。

「まぁは、自動車に跳ねられた。でも、信号無視で飛び出したんだから、ホントはまぁが悪いんだ」

だけど・・・。
誰が悪いのかなんて、きっと誰にも解らない。
誰が悪いのかなんて、そんな事、問題じゃない。

「意識が沈んでいく瞬間。車から飛び出して駆けつけて来た柴田さんの表情が、今でも忘れられない」

柴田さん?
話の流れからして、茉麻の事を轢いた人物なのだろうか?
桃子は困惑の表情で、交差点に供えられた一輪のフリージアを見た。
すると・・・

「これはね。絶対に、枯れないフリージアなんだ」

フリージアを見つめる桃子の耳にそんな言葉が聞こえてきて、桃子はキュッと目を細めた。
一輪の枯れないフリージアは、ただ風に吹かれ、揺れていた。
この世界に1人取り残された、憐れな霊魂の様に。ただ寂しく・・・風に吹かれて――。








2−Bの教室。
窓際の一番前の席で、日光にキラキラと照らされ、花瓶の中で輝くフリージアの花束。
机に伏したまま、じっとそれを見つめている雅。
また涙が溢れ出し、千奈美がそっとその背中を撫でた。

「綺麗だね。フリージア」

千奈美の言葉に、雅が伏したままコクリと頷いた。
早朝の少し騒がしい教室内。
そんな雑音がまるで別世界の様に、窓際の席では静まりかえった空間が広がっている。

すると、しんみりとしたムードを打ち破るように友理奈が、雅の背中をポンポンと叩き、
「明日はうちの番だね。なんのお花選ぼうかな〜!」と、明るく笑った。
そしてそれに同調するように、今度は舞美が「で、その次はあたしだよね」と言って、嬉しそうにガッツポーズをしている。

「ももが喜んでくれそうなお花、選んでくるね!!」

友達たちの暖かなやり取り・・・。
だが、雅は机に伏したままピクリとも動かない。伏せられたままの顔。
梨沙子が様子を伺うように、雅の机にそっと手を置くと、不意にその手をギュッと握られた。
握られた雅の手は震えている。

悲しみは未だに消えない・・・。

梨沙子は雅の手の震えを押えるように、ギュッと手を握り返した。
暖かな手の温もりが伝わって来て、切なくなる。
そんな2人の隣りで、千奈美が嬉しそうにお花を見つめながら、笑って言った。

「これからも、毎日交代でお花あげて・・・ぜったいに枯らさないようにしようね!!!」




    ×          ×           × 




「1年間。柴田さんは1日だって花を供えることを忘れなかった。だから絶対。この花は枯れないんだ」


やがて、日も高くなる。
交差点で2人きりで会話を続ける桃子と茉麻。

そうしているうちに、桃子は不意に人の気配を感じ、後ろを振り返った。
すると。すぐそこには、肩ぐらいまでの髪の毛の、綺麗な女性。
彼女には、自分達の姿は映っていない。その目は、桃子たちの姿を捕らえてはいなかった・・・。
彼女は何もないかの様に桃子と茉麻の前を素通りすると、ガードレール下に供えられた、フリージアの前にしゃがみ込む。
そんな彼女の手には、新しい一輪の赤いフリージアが大切そうに抱えられていた。


(この人が・・・柴田さん?)


桃子がじっとその様子を見ていると、不意に茉麻が動き出した。
茉麻は、フリージアの前でしゃがみ込んでいる柴田のすぐ後ろに立つと、柴田に呼びかけるように、こう言った。

「もう。まぁの事は忘れていいんだよ?柴田さん」
「・・・・・まぁ」
「飛び出したのはまぁだもん。自業自得。柴田さんは悪くない」

届くはずのない声は、ただ空間に取り残される。
柴田は言葉に気づく事無く、ただじっと、風に揺れるフリージアに手を合わせ続けていた。
赤いフリージアが太陽に照らされ、燦燦と輝く。

「柴田さんの名前を知ったのはずっと後。柴田さんの友達なのかな?たまたま一緒に来て、その時に呼んでるのを聞いて、名前を初めて知った」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「だから、下の名前は知らない。死んでから初めて出会ったような人だもん」

柴田には2人の姿は決して見えない。
やがて祈りを終え、真っ青な顔で供えてあったフリージアを手に取ると、新しいフリージアを花瓶へ供える。
茉麻は柴田の背中越しに、ぼんやりと呟いた。

「でも、柴田さんはこの事故を忘れない。まぁのせいで柴田さんは、笑顔を失ってしまった」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「もういいよ、柴田さん。まぁは、アナタの事を恨んでないから・・・」

だが、声は届かない。
僅か1メートルにも満たない距離。
この距離はきっと、何億光年よりもずっと遠い。

「このフリージアが枯れない限り。まぁは成仏できないような気がする」
「・・・・・・・・・・」
「柴田さんがまぁの事を忘れて笑顔を取り戻さない限り、まぁはきっと・・・」




    ×          ×           × 




日差しが差し込む、明るい教室。2−Bの教室。
握られたままの、梨沙子と雅の手。
やがて、雅が机に顔を伏せたまま、ポツリと 「梨沙子・・・」と、呼びかけてきた。

「なに?」

梨沙子は机に手をつき、しゃがみ込む。
すると、雅は机に伏したまま、搾り出すような弱弱しい声で呟いたのだった。

「梨沙子も、知ってたんだね?ももが、フリージア、好きなの」
「え?」
「もも、言ってた。フリージアが、一番好きって・・・」
「・・・・・・・・」
「だから、選んだんで、しょ?梨沙子・・・」

キュッと心が締め付けられた。
知ってたわけじゃない。さっき初めて、桃子に聞いたんだ。
でも・・・そんな事を言えるはずもない。「うん。前にももに聞いたの」と言って、話をあわせた。
雅は梨沙子の手を握ったまま、ポツリポツリと言葉を続けた。

「フリージア。ももは、やっぱピンクが好きって・・・言ってた」
「・・・・・・・・」
「ももは、ホント、ピンクが好きだったよね・・・」
「うん。そうだね、みや」

笑顔で頷く。
瞬間、梨沙子の心がキリキリと痛んだ。



みやはももが、フリージアを好きなのを知っていたんだ。
みやは、ももが好きだったから。
きっと、自分の知らないももを、みやはいっぱい知っているんだ・・・。



だけど・・・梨沙子は思う。
それでも、雅はもう、桃子の事を新しく知ることは出来ないんだ・・・と。
自分はつい今朝方。桃子に『フリージアが好き』と聞いた。
桃子を見ることが出来る自分は、新しい桃子をたくさん知ることが出来る。

でも、雅は違う・・・。

もう雅は、桃子と話す事がない。笑いあう事も出来ない。
新しい桃子を知る事が出来ぬまま、花が枯れていくみたいに、
あとは、記憶が枯れていくだけ・・・。


「ねぇ、梨沙子・・・。お花、絶対、枯らさないように、しようね?」


途切れ途切れ。涙声でゆっくりと呟く雅。
梨沙子はそっと雅の髪の毛を撫でながら、「うん・・・」と優しく微笑んだ。


きっと雅は、涙も思い出も枯れ果てるまで。こうして泣き続けるのだろうと思った――。







交差点に真っ赤な夕日が沈む。
どれだけ長い間、2人で喋っていたのだろう?
茉麻はよく喋った。まるで1年分の沈黙を全て取り戻すかのように。
桃子は殆ど喋る事無く、茉麻の話をうんうんと聞いていた。
気づけばあたりは夕焼けに沈んでいた。

「ごめん。1人で喋ってばっかだったね」
「ううん、いいよ」
「1年ぶりに誰かと喋れて、すっごい嬉しかった」
「そうだよね・・・」

桃子は頷いた。
自分には梨沙子がいる。その事がどれだけあり難いことだったのか、身に染みて感じる。
1年間ひとりぼっち。それはどんな気分なんだろう・・・。

「もも、そろそろ帰るね?梨沙子、戻ってきてるかもしれないし」
「例の幼馴染?」
「うん、そう」

殆ど聞き手に回っていた桃子だったけど、梨沙子の事は少しだけ話した。
その間、茉麻はずっと羨ましそうに、梨沙子の話を聞いていた。

「いいな、話し相手がいて」
「・・・・・・・・」

寂しそうに俯く茉麻。
梨沙子には茉麻の姿が見えていないであろう事は、朝の様子でわかった。
紹介してあげたいけど、きっと紹介の仕様もない。

「でも、これからは話し相手にももがいるじゃん」
「そうだね。そうだよね・・・」

桃子の言葉に茉麻は嬉しそうに笑う。
そしてそれは、自分自身にも――。
話し相手が増えることもそうだけど、同じ境遇の人間(もう人間じゃないか・・・)が増えることが嬉しかったし、心強かった。
そんな事を2人で話していると、不意に茉麻は、ある疑問を桃子に投げかけてきた。

「でもさ。なんでその梨沙子ちゃんは・・・ももの姿だけが見えるんだろう?」
「さぁ・・・」
「まぁの事は見えてないんでしょ?」

確かに。疑問ではあったが、梨沙子が自分を見てくれる事に安心して、深くは考えなかった。
どうして梨沙子は、自分の姿が見えるんだろう?
そしてどうして、茉麻の姿は・・・他の幽霊の姿は・・・見ることが出来ないのだろう?
茉麻は寂しそうにため息をつき、呟いた。


「あぁ〜あ。まぁの姿も見えてくれれば良かったのにな・・・」


だが。それを聞いた瞬間、桃子はハッとした表情を浮かべた。
茉麻の姿も見えてくれればよかった・・・その言葉を聞き、脳裏に浮かぶ1人の顔があった。

「あ・・・」
「?」
「あの子なら、ひょっとして、まぁを見ることが出来るかもしれない」
「え?!」

そう。梨沙子以外にもう1人いる。自分を見ることが出来る少女。
昔から、色々な幽霊を見ることが出来ると言っていた女の子。佐紀――。

「今度、その子連れてくるよ、まぁ!!多分、あの子ならきっと・・・!!」
「・・・・・・・・・・・」

交差点に夕日が沈む。
太陽の様に赤く輝くフリージアが、風に揺れる。
交差点を駆け抜けてゆく、何台もの車。国道を通る、人々の喧騒。
全てから取り残され、2人はただ、互いの顔だけを見つめていた。




(第3章 枯れないフリージア FIN)