第2章 幽霊を見る少女





入梅前のグズついた天気から一変し、今日は晴れ晴れとした気候だった。
梨沙子は花束を手に、2−Bへ向かった。
あの悲劇の事故から、1週間がすぎた――。


昼休憩に入る直前。
教室でクラスメイトの女の子数人が、「ねぇ、2年の教室に行くなら・・・」と言って、梨沙子に花束を手渡してきた。
色とりどりの綺麗な花束。
梨沙子が不思議そうに花束をじっと見つめていると、クラスメイトの女の子達はクスクスと笑った。
「ほら。りーちゃんに会いに、よく嗣永さん。うちのクラスにも来てたじゃん」
「ね!なんか感じいい人だったよね。うちらにもフツーに話しかけてきたり」
「だから、うちらもお花あげたいなーって思ってさ」
そう言って笑うクラスメイトの女の子達に、梨沙子は心底嬉しそうに笑顔を浮かべて「ありがとう・・・」とお礼を言った。
なんだか心の中が温かくなる。



桃子は本当に、色んな人に愛されていたと思う・・・。



梨沙子と友理奈が大事そうに花束を抱えて2−Bの教室へお花をあげに行くと、2−Bの教室の真ん中では、千奈美が何かの提案していたようだった。
それは2−Bの生徒だけでなく、隣のクラスの舞美やえりか達も、その話し合いに参加をしていた。
千奈美はみんなの顔を見渡しながら、笑顔でこう言った。

「ねぇ!今日から3学期が終わるまで、毎日交代でお花をあげない?」・・・と。

せっかく、みんなこうして色んな人がお花を持って来てくれる。
それがいつか途切れてしまうと、きっと桃子も寂しいだろうから、3学期が終わるまで毎日有志でお花をあげようと提案をしていたのだった。
千奈美の提案を聞き、2年B組の女の子たちが「いいねー!」と笑顔を見せあう。
そんな千奈美の提案に、梨沙子と友理奈が「ね。あたしたちも参加していい?」と問いかけると、千奈美は至極嬉しそうに微笑み、「うん、もちろんだよ!!」と言った。
2年C組の舞美とえりかも笑顔を浮かべながら、「ねぇねぇ!ウチらもー!」と言って参加をする。
心温まるやり取り。

そんなみんなのやり取りを、自分の席に伏したまま、泣きそうな顔で見つめている雅。
「みやも、ね。一緒に参加するでしょ?」
千奈美がそう言って背中を撫でてあげると、雅は涙で目を潤ませながら、頼りなく頷いた。


あの日以降、梨沙子は雅の笑顔を一度も見ていない――。


まるで雅の表情は、心ごと凍り付いてしまったかのよう。
思い出しては泣いて、泣いては思い出して・・・その繰り返しだった。


梨沙子が案ずるように机に伏している雅の細い背中を見つめていると、ガラッと言う音を立て、不意に教室の扉が開いた。
一斉に2年B組の生徒の目線がそちらへ集中する。
するとそこには、背のちっちゃなショートヘアーの女の子が、花束を持っている姿があった。
その少女を見た瞬間、梨沙子は不思議そうに眉根を寄せた。

あれ?この人、どこかで見た気がする・・・。

ショートヘアーの少女は桃子の机に花を供えると、10秒ほど黙祷し、手をあわせる。
その様子をじっと見つめている梨沙子。
やがて少女は顔を上げる。そして、戻ろうと振り返り、梨沙子と不意に目があった瞬間、少女は驚いたようにその両目を見開いた。
しばし愕然とした様子で見つめ合う。
だが、梨沙子がそんな少女の反応に不審な表情で眉間に皺を寄せると、少女はハッと口を真一文字に噤み、そのまま教室を出て行ってしまったのだった。


「あの子、だれ?ももの知り合いかな?」

ショートヘアーの少女が出て行った後、千奈美がみんなに疑問を投げかけるが、雅も梨沙子も解らないといった様子で首を傾げるしかなかった。
すると、「あの子、うちのクラスの子だよ」と、舞美が不意に呟いた。
俄かに全員の目線は舞美に移る。しかし、舞美はイマイチ歯切れの良くない感じで、えりかと顔を見合わせていた。
「いちおーね。ウチのクラスの子なんだけど」
「かなり、ヘンな人なんだよね!」
えりかの言葉に、舞美は若干躊躇いながらもコクリと頷いた。

「そうなんだよ。なんか変わってるって言うか・・・」

そう言って舞美は難しそうに顔を顰めている。
クラスメイトの悪口とかは言いたくないけど、どーにもこーにも、こう言う言い方でしか説明が出来ないと言った感じだった。
舞美が言うには、彼女は誰とも口を利かない、と。人と喋ってる所を1度も見たことがない、と。

「だけど時々ね。1人であさっての方向見て、ブツブツ言ってたりするみたいなんだよね・・・」

言葉をオブラートで包むためか、舞美があくまで伝聞口調で他人事の様に説明をする。
すると、その隣りでえりかが「つーか、怖いよね。チョー気持ち悪い!!」と、台無しなぐらいストレートな主観で物申し、舞美に「ちょっとぉ!えり!!」と叱り付けられていた。
そんな2人の説明を聞き、「ふーん。そうなんだぁ」と、イマイチ興味なさそ気に頷いている千奈美。
『あの子誰?』と自分で聞いたくせに、千奈美の興味はすでに別の方向に向いているようだった。
そして案の定。千奈美の話はショートヘアーの女の子話から、すぐにお花当番の順番の話に移行した。

「ね。それより、順番はどーする?ジャンケンで決める?それともクジ引きで決める?」

そう言って、全員に問いかける千奈美。
こうしてあっという間に、女子の話題は、ショートヘアーの少女の話から、元のお花当番の話題へと戻っていったのだった。


だが。梨沙子だけはどこか上の空の様子で、ショートヘアーの少女が桃子の机に供えた花束だけを凝視していた。
白と紫を合わせた、美しい供養花。
葬儀の日も、たしか祭壇にはこんな色の花がいっぱい供えられていた・・・。
あの日――不意に梨沙子は思い出す。あのショートヘアーの子は確か、桃子のお通夜の日にいた、女の子。
桃子が『目があった気がした』と言った、あの女の子だ。
そして、彼女は自分と顔を見合わせた瞬間。ハッとした表情で自分を見た。あれは一体・・・どう言うことなのだろうか?





       ×                ×                 ×





やがて、放課後になる。
梨沙子は帰り掛けに桃子と、いつものお寺で待ち合わせをしていたのだった。
「学食寄って行かない?」と誘う友理奈に「ごめんね」をして、梨沙子はいそいそと廊下を歩いた。
通り行く友達やクラスメイトが「バイバーイ」と声をかけてくるので、「バイバイ」と答える。
そんな帰宅ラッシュの廊下を抜け、梨沙子は校庭へと出た。

外に出ると、日が随分と傾きかけていたようだった。

グラウンド脇のコンクリートで舗装された部分を歩く梨沙子。
ふと校舎に備えられた時計を見ると、HRが長引いてしまったせいか、予定してた時間よりも随分とオーバーしてしまったようだった。

「もも、遅れるとうるさいからなぁ。早く行かなきゃ・・・」

そう呟き、梨沙子がその歩くスピードを速めようとした瞬間だった。
トントン――と、不意に後から、梨沙子は肩を叩かれた。

「え?!」

梨沙子は驚き振り返る。
すると、すぐそこには背の小さなショートヘアーの女の子。
彼女の胸元には2年生の青バッチが付けられていた。・・・・・・さっきの子だ。

「えっと、あなたはさっき。ももにお花上げてた人ですよね?」
「・・・・・・・・」
「あの。もものお知り合いですか?」

相手は上級生なだけに、梨沙子は丁寧に問いかけた。
だが、少女は何も言わない。ただ、何かを訴えかけるように、自分の目を見つめているだけだった。
「あ、あのぉ・・・なにか用ですか?」今一度問うが、やはり返事はなかった。
ふと、梨沙子は昼休憩にえりかたちが言ってた言葉を思い出した。
そう。彼女は誰とも話してるとこを見た事がない・・・不気味な子だって・・・。

何も言わない彼女に困り果てる梨沙子。
どうする事も出来ず、梨沙子は「あ、あの。それじゃぁ・・・」と言ってペコリと頭を下げ、首を傾げながら通り過ぎようとする。
だけど、その瞬間だった。
その子の口から出た言葉は、あまりに予想外の言葉だった。

「取り残されちゃったんだね」
「え?」
「嗣永さん。この世界に・・・」

凍りつき、その足を止める梨沙子。
青ざめた表情で振り返ると、少女は僅かに口角を上げ、微笑んでいた。
辺りからは、帰宅につく生徒達の「バイバイ」「じゃぁねー」と言う声が、校庭にこだます。
そんな周囲の音を掻き消すかのように、梨沙子の心臓の音が、凍りついた時を刻むよう、激しく鳴り響いた。







夕暮れ前の緩やかな日の光。
いつものお寺。その桃の木の下で、桃子は梨沙子が来るまでの時間をボンヤリと佇んでいた。
風がお寺の庭を吹き抜け、木々がサラサラと柔らかな音を奏でる。

「今日はいい天気だな〜」

桃子は空を見上げた。最近はずっと雨が続いていたから、太陽が心地よく感じた。
もっとも、幽霊のカラッポの体は風や温かさなんて感じないけど、それでも心地よいと思えてしまうのが不思議に思えた。
雨の日はジトジトと気が滅入る。こう言う天気の日はカラッと心地よい。それが生前の記憶としてあるからなのだろうか・・・。


桃子は境内にのぼり、ゆっくりと木造のお寺の周りを周回する。
すると、お寺の柱の下の方に、小さな落書きが見つかった。
お星様とかウサギとか桃とか、なんか色々な落書きがしてあって、その下に『ももこ、みやび、りさこ』と名前が書かれていた。
桃子はそれを見て、なんだか懐かしくなって目を細めた。
小学生・・・幼稚園の頃からかな?桃子は雅と梨沙子と3人で、いつもここで遊んでいた。
それは、高校生になった、つい今しがたまでも――。



「うち、ももの事が好きだよ?」



高校に上がってすぐの事。
梨沙子は中学の学校行事かなんかがあって、その時はいなくって。桃子と雅は2人きりで、いつものお寺にいた。
春先の・・・まだ、そこの桃の木に桃の花が微かに咲いていた頃。
境内に座る桃子と、桃の木に寄りかかっている雅。
雅はニコッと微笑むと、頬っぺたをホンの少しだけ赤く染め、桃子へと言った。

「うち。ももの事が好き」
「みや・・・」
「梨沙子よりも、ももの方が、ホンのちょっと・・・大きな好き」

それは、過ぎ去りし想い出――。



風がピューっと音を立て、境内の中を吹き抜けた。
木の葉が一斉に舞い上がり、桃子のカラッポの体を通り抜ける。
風も光も熱も、全て通り抜ける。思い出も・・・。



「もも・・・」

不意に聞こえた声。
ハッとする桃子。にわかに境内の上から階段の下を見下ろすと、そこには制服姿のままの梨沙子の姿があった。

そして――。

その後ろには、じっと自分の目を見つめる佐紀の眼差し・・・。
桃子は思わず目を丸く見開いた。
そう、あの時も。お通夜の時もそうだった。こうやって、彼女は桃子の事を寸分違わぬ目線で見つめていた・・・あの時の子。
そして今も、その目はしっかりと、桃子の両の目を捕らえていた。

暫しの間。桃子は佐紀と見つめ合ったまま、硬直する。動く事が出来ない。
自分の目をしっかりと捕らえる、その眼差し。
すると。やがて佐紀は、桃子の目をしっかりと見つめながら・・・まるで独り言の様に、こう呟いたのだった。

「神様はイジワルだよね」
「え?」
「あなたならきっと。最上の天国へ召されると思ってたのに・・・」

空っぽの心臓がドクンと音を立てる。
しっかりと自分の目を捕らえる眼差しも・・・。そして、全てを理解しているかの様な、その言葉も・・・。

「み、見えてるの?」
「・・・・・・・・」
「本当にあなたにも、ももの姿が見えてるの?声が聞こえてるの?」

すると、佐紀はゆっくりと桃子へと近づいた。
まっすぐに、その手を伸ばす。
一瞬、頬に触れるかと思った手は、自分の頬の1センチ程、外側を掠めた。
そして、その手は桃子の頬から、首。首から肩、腕・・・綺麗に桃子の体の輪郭の外をなぞっていった。

桃子はピクリとも動く事が出来なかった。
自分の輪郭を寸分違わずなぞっていく手。ハッキリと。この子の目には自分の姿が見えているんだ・・・。

ただただ。
愕然と目を見開き、佐紀の顔を見つめるしかない桃子。そして、梨沙子。
佐紀はクスッと微笑むと、2人の顔を交互に見て、答えた。

「昔からね。どう言うわけか、見えるんだ。うち・・・」
「え?」
「幽霊が――」

何も言えず、立ち尽くすだけの2人。
柔らかな風が、境内の木の葉を揺らし、2人の間を通り抜けていった。








少女の名は佐紀といった。
このお寺の住職の娘で・・・ここでいつも待ち合わせをしていた桃子たち3人を、昔から知っていたと言う。
佐紀は境内の階段に腰をかけると、楽しそうに、立ち尽くす2人を見つめた。

「よくさ、うちのお寺で。3人で鬼ごっことかしてたでしょ?」

佐紀はクスリと笑う。
確かに、桃子と梨沙子と雅の3人で、小学生の頃は鬼ごっこなんてしょっちゅうだった。
3人で日暮れまで鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり。それは落日の思い出。

「嗣永さんとはね、一度だけココでお話したことあるんだよ?」

そう言って佐紀は懐かしそうに桃子の顔を見つめる。
だが、桃子は思い当たる節がなく、「え?」と戸惑いを露わにするしかなかった。
記憶を辿ってみるが、どうにも佐紀の顔がピンと来ない。
そんな困惑気味の桃子を見ると、佐紀はホンの少しだけ、寂しそうに顔を翳らせた。

「すっごい昔だから。やっぱ覚えてないよね・・・」
「ごめん」

申しわけなさそうに俯く桃子。
佐紀は「仕方ないよ。昔だもん・・・」と微笑んだ。そんな佐紀の返答に、桃子はもう一度「ごめん」と呟く。
当たり前の様に言葉を交わす2人。
幽霊と人間。
そんなやりとりを交わす2人を、ボンヤリとした表情で見つめる梨沙子。そして・・・



「ホントに。ももが見えるんだね・・・」



俄かに、梨沙子が泣きそうな顔で、そう呟いた。
2人の顔は一斉に梨沙子の方を振り返る。

「やっぱり・・・ももはいるんだね」
「梨沙子?」

桃子が振り向くと、梨沙子は唇を震わせていた。
その虚ろな目が、ぼんやりと地面にさす入り日の影をみつめている。
地面には自分と佐紀の影だけがクッキリと映り、桃子の足元には影なんてなかった。

「あたし、不安だったんだ。みやもちぃも熊井ちゃんも・・・みんなももが見えてないのに、あたしだけ」
「・・・・・・・・」
「ひょっとしたら、ホントはももはいないんじゃないかって不安だった」
「梨沙子・・・」
「ひょっとしたら、あたしが頭オカシクなって、幻覚見てるだけなんじゃないかって・・・」

声が震えた。
上空で雲が流れ、地面に映る影はまるで幽霊の様にスゥっと消える。

影は幽霊の様にその姿を消し、幽霊はまるで影の様に誰の目にも止まらない。
誰の目にも止まらない桃子。
本当に桃子はこの世界に存在しているのか、ずっと不安だった。
でも、そんな事は誰にも・・・桃子にも・・・相談出来ない。確かめる術のないまま、ずっと不安だけを抱いていた。

じっと地面を見つめたままの梨沙子。
そんな梨沙子を安心させるように、桃子は柔らかな笑顔を浮かべると、その顔を覗きこんだ。

「そんなことない。ももはいる。幻覚じゃない。ちゃんとここにいるよ?見て・・・」

優しく声をかけると、梨沙子はしっかりと桃子の顔を見つめコクリと頷いた。
そして、そんな2人のやりとりを、じっと見つめている佐紀。
入り日が眩しいほどに照らしつけ、佐紀はその目をギュッと細めた。




「でも・・・。どうしてももは取り残されたんだろう?」

不意に桃子が、独り言の様に呟いた。
その声に反応し、佐紀は桃子を見る。眩しいほどの入り日は、桃子の体を素通りし、地面だけを照らし上げていた。
桃子は顔を上げると、縋るような目で佐紀を見つめる。
そして、今度は一人言のようではなく、はっきりとした問いかけで桃子は佐紀に問うた。

「ねぇ。あなたは色んな幽霊を見て来たんでしょ?何かわからない?」
「大抵の幽霊は・・・この世に未練を残して取り残される」
「未練・・・?」

桃子は思わず顔を顰める。
そりゃ沢山ある。こんなに若くして死んで、未練がないワケない。
そもそも、自殺とか老衰ならともかく、事件事故で唐突に死んだ人間の中に、未練のない人なんているのだろうか?
そして、未練を残した人間がみんな幽霊になるのなら、この世は幽霊だらけになってしまう気もする。

「・・・ウチのお姉ちゃんに会ってみる?」
「え?」

不意に佐紀が言った。
桃子と梨沙子は予想外の言葉に目を丸くする。
何故唐突にお姉ちゃんが出てきたのだろうかと思ったが、その理由はハッキリとしたものだった。

「有名な霊媒師だったんだ・・・お姉ちゃん」
「霊媒・・・師?」

桃子と梨沙子で思わず顔を見合わせる。
霊媒師と言う言葉はよく聞く。TVや雑誌で夏になるとよく見かけた。あの霊媒師?
そう考えると、不意に期待が満ち溢れてくる。
桃子と梨沙子の2人だけではどうしていいのか解らず途方に暮れるしかなかった現状が、
いわば霊のプロフェッショナルが介入してくれる事で、初めて道が開けて来る様な気がした。

「う、うん!お願い!!是非、お姉さんに会わせて!!」

桃子は縋るように身を乗り出した。
だが、佐紀はあまり歯切れの良さそうな感じではなかった。
あからさまにトーンが上がっている桃子たちに比べ、佐紀は不安の入り混じった低い口調でポツリと答えた。

「うん、解った。お姉ちゃんトコ、行こ」
「ホントに?!ありがとう!!」
「でも正直。今は廃業しているから・・・協力なんてしてくれないかもしれないけど」

佐紀は言う。
だけど、廃業してようが何してようが、関係ない。
何をどうすればいいのか解らない自分達は、霊を生業としていた佐紀の姉に会わないワケには、いかなかった。








お寺の敷地内に、佐紀の自宅はある。
2階建ての一軒家。
その自宅の中にある客間に、噂の佐紀の姉はいた。

開け放たれたふすまからは、ロックの洋楽が激しい音を奏でて廊下まで鳴り響く。
ミニスカートと少し派手目の化粧。
壁に凭れて畳の上に座りながら、退屈そうにメールを打っている姿。
とても、『かつて霊媒師だった』とは思えない若い女性がそこにいた・・・。

廊下から石川の姿を確認した梨沙子が不安そうに、「ねぇ。本当にあの人が霊媒師なの?」と佐紀に問うが、何故か佐紀は何も喋らなくなっていた。
まるで貝がその殻を閉ざしてしまうみたいに、キュッと口を噤んで言葉を閉ざしてしまう佐紀。
不思議そうな面持ちを浮かべながら「佐紀ちゃん?」と、もう一度佐紀に呼びかけてみるが、返事はない。
すると、佐紀が口を開くより先に、客間に居た石川が廊下にいる梨沙子達の存在に気づいた様だった。

「どうしたの佐紀?」

パチンと携帯を閉じ、石川は不意に立ち上がる。
そして廊下へ出ると、怪訝そうに眉を顰め、真っ直ぐに梨沙子の顔を凝視した。

「なに?この子は誰?」

だが、佐紀は全く口を開こうとしない。
口を真一文字に閉ざしたまま、その場に目線を伏せるだけだった。




「ね、ねぇ?佐紀ちゃん・・・?」

梨沙子が戸惑うように佐紀の腕を掴むが、押し黙ったまま。
桃子も隣りから不思議そうに佐紀の顔を覗きこむしかなかった。
そして、当の石川も佐紀から返答を聞くのを諦めたらしく、その目線は俄かに梨沙子に向けられる。

「何か用かな?佐紀の友達なの?」
「あ、あの・・・」

どうしようと戸惑うが、佐紀はもはや言葉を発する素振りを伺わせてくれない。
そして、桃子は桃子で、その姿は石川の目には全く映っていないようだった。
この状況下では、石川に事の説明を出来るのは、もはや梨沙子しかいないのは一目瞭然だった。
仕方なく、梨沙子は自ら事情を話す。
佐紀がどう言うわけか一言も話してくれないせいで、かなり説明に戸惑った。
なにより。いきなり知らない人間がズカズカと自宅に現われて「友達が幽霊になった」なんて言った所で、信じて貰えるのか不安ではあった。
だからこそ、佐紀の口から説明して欲しかったのだが・・・。


だけど。石川は特に怪訝な様子を窺わせる事はなかった。
思ってた以上に冷静に、うんうんと相槌を交わしながら梨沙子の言葉を聞いてくれた。
そして梨沙子がひと通りの説明を終えると、石川は納得したように頷き、ポツリと呟いた。


「そう。友達の霊が、取り残されたのね・・・?」


正直なトコ――。
石川に頭がヘンな人と思われるかと思ってたけど、元々霊に関わる仕事をしていたからか、石川はアッサリなぐらい素直に説明を受け入れてくれた。
それが凄く意外に感じた。
だけど、その反面。梨沙子の話を信じてくれる一方で、その態度にはハッキリと協力する気のない様子が見て取れた。
石川は肩まである髪の毛を邪魔臭そうにかきあげながらケータイの時刻表示を見つめると、「あ。もう、こんな時間だ・・・」と呟いた。

「悪いんだけど。あたし今からバイトだから、ごめんね」
「え?あ・・・そ、それじゃぁ・・・」

バイトが終わった後に――と言おうとしたが、
その先を察知したのか、石川は「申し訳ないけど」と前置き、言葉を続けた。

「幽霊とかそー言うの、あたしはもう、かかわりたくないの」
「え・・・」
「今は、ファミレスでバイトしてる」

確かに、霊媒師にはとても見えないスタイル。
彼女を霊媒師と言われても梨沙子はイマイチ信憑性を感じなかったけど、ファミレスでバイトと言われれば納得な気がした。
何も言えないまま、ただ石川をじっと見つめる梨沙子。すると、石川はハッキリとした口調で答えた。
友達がこの世に取り残されたのは残念だとは思うけど・・・霊媒師を辞めた今となっては、あなた達に協力する理由なんて何もないと。


「それにあたしにはその桃子って子は見えないから、何も解からない。最近は霊感も弱まってるの。残念だけど・・・」


そう言って梨沙子を見つめる石川。
その目が梨沙子に「諦めなさい」と語っていた。

確かに。桃子が梨沙子の隣りで石川の顔をじっと見つめているが、石川は桃子に気づいてる様子は微塵も感じられない。
桃子を見えている人間なら、何が何でも縋る意義もあるのかもしれないが、見えていない以上は、霊媒師を辞めたと言う人間にこれ以上縋るのも、迷惑な気もした。
おとなしくその場を離れようとする梨沙子。
だが。最後に梨沙子は振り返り、 「でも、1つだけ聞いていいですか?」と、問いかけた。
それは、どうしても気になっていた違和感でもあった。

「あの。石川さんはなんで初対面のあたしの・・・こんな突拍子もない話、アッサリ信じてくれるんですか?」

いくら元々が霊媒師だったからと言って、そんな簡単に『友達が幽霊になって取り残された』『自分はその友達の幽霊を見ることが出来る』なんて絵空事、信じてくれるものだろうか?
桃子の姿が見えているならともかく、石川に桃子が見えている様子は全くない。
それなのに、石川は断りこそすれ、疑い1つ持たずに梨沙子の話を受け入れてくれた。それはなんだか逆に、奇妙な感じがしたんだ・・・。

すると。
石川はクスクスと笑うと、その細身の肩をすぼめた。

「フフ。別に、あなたの事を信じてるワケじゃないわよ」
「え?」
「そうでなきゃ。佐紀が『生きてる人間』と一緒になんて、いるわけないってだけの事・・・」
「・・・・・・・」
「佐紀が『生きてる人間』と一緒にいるって事が、あなたの言ってることが真実である、何よりの証拠」

そう言って石川は笑うが、いまいち石川の言う意味が梨沙子には解らなかった。
不思議そうに隣の佐紀を見つめるが、佐紀は押し黙ったままで特に何かを言う様子もない。
もう、これ以上何も言う事が出来ず・・・梨沙子たちは渋々、佐紀の自宅を後にした。





 ×              ×                ×





お寺の境内へと戻ると、さっきまで眩しかった入り日は、随分と地平線へと沈んでいた。
辺りは薄暗い空に包まれている。
境内の階段に腰掛ける梨沙子。その目は不満そうに、社の前に立つ佐紀を見つめた。

「ねぇ。なんで・・・お姉さんに何も言ってくれなかったの?」
「ごめん」

小さく呟き、俯くしかない佐紀。
もっとも、こんな状況になって困っているのは梨沙子と桃子であり、本来は佐紀にはなにも関係のないこと。
佐紀を責めるのはお門違いなのかもしれないけど、少しのフォローはしてくれてもいいんじゃないかと梨沙子は思っていた。
だけど、申しわけなさそうに俯いている佐紀からポツリと発せられた言葉は、極めて衝撃的な事実であった。

「ごめんね。うち、もう3年ぐらい。生きてる人間と話してないんだ・・・」
「え?」
「うち。最近はもう、幽霊としか会話してない。お姉ちゃんとも、何年も喋ってない」

予想外の返答に、思わず言葉を失う梨沙子と桃子。
そんな2人を見て佐紀は頼りない表情で薄く笑っていた。
今にも夕陽と一緒に消え入りそうな、寂しい笑顔。

佐紀は言う。
小さい頃から幽霊が見えて、やがてどんどん霊力が強まっていった。
中学に上がるころには。いつしか霊と会話が出来るほどに。

「でも、そんなうちを、みんな気味悪がった。そりゃそうだよね。みんなが見えないものが見えるんだもん」
「・・・・・・・・」
「1人で何も居ないほうを向いてブツブツ喋ってるようにしか見えないもんね。みんなには・・・」

佐紀の言葉を聞き、梨沙子は俄かに、昼間のえりかと舞美の言葉を思い出した。
えりかも舞美も、梨沙子の知る限り、凄く優しくてイイ子達だと思う。
だけど、そんな2人ですら、ハッキリと佐紀を「気味が悪い」と敬遠していた。

「生きてる人間は、うちの事を気味悪がったり陰口叩いたり、時にはイジメたりする」

あのえりかたちですら、佐紀を気味が悪いと拒む。
ましてや、他の子達なんかはどうなんだろう?考えるだけで、寒気がしてくる。

「でもね。幽霊はみんな、うちに優しくしてくれるんだ」
「・・・・・・」
「幽霊の殆どは、この世に1人で取り残されて寂しいから・・・姿を見ることが出来るあたしに、凄く優しくしてくれる」

そう言って佐紀は桃子の顔を見つめた。
そんな佐紀に桃子は、何かを言いあぐね、困ったようにその場に俯くしかなかった。

「うちは生きてる人間より、死んで幽霊になった人間の方がずっと好き」

佐紀はハッキリとした口調で言った。
生きて自分を侮蔑したり悪口言ったり苛めたりする人間よりも・・・霊が見れる自分を縋って慕って頼ってきてくれる、死んだ幽霊の方がずっと好きだと。
人間の友達なんていらない。自分には幽霊の友達がいれば、なにもいらないと。

そんな佐紀の言葉を聞き、梨沙子は初めて、さきほど石川が言っていた言葉を理解した。
「そうでなきゃ、佐紀が『生きてる人間』と一緒になんて、いるわけない」と、石川は言っていた。
生きてる人間と3年も交流を断絶しているハズの佐紀が、梨沙子と一緒にいる。
それは梨沙子の言うとおり、桃子と言う霊が2人の間に存在しているから。その理由に他ならないと石川も解っているのだろう・・・。

だけど、そう考えると同時に、梨沙子はある疑問を胸に抱いた。
そして何気なく。梨沙子はその疑問を投げかけてみた。

「ねぇ・・・じゃぁ。あたしはどうしてなの?」
「ん?」
「確かにももは死んでるけど。あたしは生きてる人間だよ?なのに、なんで話しかけてくれたの?」

すると、佐紀はクスッと笑い肩をすぼめた。
石川とは全く似ていない姉妹だと思ったけど、笑い方はちょっとだけ似てるなと、梨沙子は思った。

「だって。あなたはうちと同類だもん」
「同類・・・?」
「幽霊が見えるあなたは、うちを気味悪がったり嫌ったりなんてしないでしょ?」
「・・・・・・・」

何も言えない梨沙子。
確かに、昔からの幼馴染の雅や、仲良しの友理奈と千奈美。友達のみんな。
自分には親友と呼べる人間は沢山いる。


だけど・・・彼女らは所詮。桃子を見ることが出来ない。


確かに自分は、佐紀を気味悪がったり嫌ったりなんてしないだろう。
それどころか。桃子の幽霊を見ることが出来る自分は、佐紀が「自分も幽霊を見ることが出来る」と言った瞬間、泣いて縋りたい程の気分だった。
誰にも相談なんてすることが出来ず不安で不安で仕方なかったけど、佐紀の一言で何か物凄く救われた気がしたんだ。
多くの霊を見る事が出来る佐紀と、桃子の霊しか見ることの出来ない自分。
違いはあれど、自分達は紛れもなく同類なんだと思う。
そして実際。この件に関してはもう――頼れる人は佐紀しかいないのかもしれないと思った。


日が沈む。
落日は闇に沈んでいく。
お寺の社を照らすオレンジ色の光も、やがて全て、闇へと飲み込まれていった。



(第2章 幽霊を見る少女 FIN)