第10章 最初で最後の告白





都心のファーストフード店は、若者たちの笑い声で喧騒としていた。
そんな中、しんみりとした様子でポテトをほおばる雅と千奈美と友理奈の3人。
梨沙子と一緒に遊ばなくなって、1ヶ月近くが経った。
今日も、みんなで映画を見に行くつもりだったけど、梨沙子は「行かない」といって断ってきた。
もう、どうしたらいいのか解らない。
梨沙子をどうしてあげればいいのか、検討なんてつかなかった。
だけど・・・

「梨沙子。なんとかしてあげよ?!」

千奈美の言葉。
どうしていいのか解らないけど、どうにかしてあげなきゃいけない。

「梨沙子、最近ヘンだよ・・・。でも、助けてあげたい」

みんな梨沙子が優しくていい子なのを知っている。
甘ったれで泣き虫でワガママで、だけど誰よりも、人の痛みの解る優しい子。大切な友達。

雅も友理奈も、じっと千奈美の事を見つめる。
気持ちは一緒だった。
どうにかできないと解っていても、どうにかしなきゃいけない。

「それにこのままじゃ、きっとももちだってさ、安心して天国から見守れないよ!」

友理奈がそう言って笑う。
千奈美はそんな友理奈の顔を覗きこみながら、嬉しそうに「だよね?!」と頷いている。
そんな2人を見ながら、雅は心の底から思った。
早く梨沙子に解って欲しい。1人で溜め込まないで欲しい。こんな優しい友達がすぐ側にいる事を知って欲しい・・・と。

桃子は大切な幼馴染。

それは解っている。
雅にとっても桃子は特別で、この先なにがあっても、決して忘れることの出来ない大切な人。
だけど、梨沙子のすぐ隣りにも、大切な友達が存在してる事に気づいて欲しい。
生きて梨沙子を支える素敵な友達が、ちゃんと側にいるって事を・・・。


雅はストローに口をつける。
甘いコーヒーの味が、口の中いっぱいに広がった。
ストローを回し、カラカラと氷を揺さぶりながら、雅はイタズラな笑顔で2人に問いかけた。
「ねぇ、今日さ。いきなり梨沙子の家にお邪魔しちゃわない?ビックリするよ、きっと」
すると、正面にいる千奈美がテーブルから身を乗り出し、「それ、チョー名案!!」と答える。
友理奈も無邪気に笑いながら「わぁ!きっと、ビックリするだろうね、梨沙子」と喜んでいた。

そして3人で何時ぐらいに行くか?どんなドッキリを仕込もうか?なんて事を話し合う。
いきなり鍋を持ち込んで、鍋パーティなんていいんじゃないかと千奈美がいい、3人で頷く。
そんな賑やかなやり取りの最中に、不意に雅のケータイが鳴り出した。
「ん?」
雅はポケットからケータイを取り出す。
そして不思議そうにディスプレイを見ると、そこには『えりか』と表示されていた。
「あ。えりかちゃんだ、どーしたんだろ?」
「あれ?今日、舞美と一緒に部活じゃなかったっけ?」千奈美が呟く。
雅は2人と顔を見合わせながら、通話ボタンを押した。
そして、えりかの口から雅の耳に飛び込んで来た言葉は・・・

「え?!梨沙子が学校で倒れた・・・?」

両脇で友理奈と千奈美が愕然と目を見開いたのが解った。
ただ呆然と体を震わせる雅。そして次の瞬間、雅はファーストフード店を飛び出していた。







病院の一室。
ツンとくる薬品の匂い。その独特な空気に刺激され、梨沙子は薄目を開ける。
そこは真っ白な壁。高い天井。ベッドに横たわったまま、ぼんやり虚空を見上げる梨沙子。
すると、不意に手に何か感触を覚えた。
梨沙子がハッとして顔だけ振り向くと、ベッド脇で雅が、ギュッと梨沙子の手を握り締めたまま眠っていた。
無言のまま雅の顔を見つめる梨沙子。
すると――。

「さっきまでちぃとくまいちょーも居たんだよ?」
「?!」
「3人もいたら邪魔になっちゃうから、2人は渋々帰ったけど。みんな涙目で心配してた。愛されてるね、梨沙子」

声の方を見ると、桃子がベッド脇に立ち、笑っていた。
梨沙子はホッとした様子で声を漏らす。

「もも・・・」

雅の手を握ったまま、梨沙子は上半身だけ起こした。
点滴台がすぐ側にある。
それが真っ直ぐ、自分の腕のあたりにつながれていて、ここが病院である事に気づく。

「あたし。倒れたんだっけ・・・」
「さっき、お医者さんが梨沙子のママに説明してた。十二指腸潰瘍だって。1人でストレス溜め込みすぎなんだよ」
「・・・・・・・・」
「こんなに、優しい友達が回りに沢山いるのにさぁ〜」

梨沙子はチラッと雅を見る。握られたままの手。静かな寝息が聞こえる。
ベッド脇を見ると時計があって、それは21時を回っていた。
雅の頬には涙の跡がくっきりと伺え、さっきまで泣いていたであろう事が解った。
なんだか悲しくなり、梨沙子は繋がった手をギュッと強める。

「あたし、倒れて。病院に運ばれて・・・」
「みやが、ずーっと梨沙子の側にいた」
「・・・・・・・・」

すると、梨沙子はキュッと唇を噛み締め、雅の手をそっと離した。
不思議そうに眉根を寄せる桃子。
梨沙子は桃子の顔を嬉しそうに見上げると、満面の笑顔で桃子に問いかけたのだった。

「ねぇ?さっきさ・・・あたしを助けてくれたの、ももだよね?」
「・・・・・・・・・・」
「美術室であたしを抱き上げてくれたの、ももだよね?」
「・・・・・・・・・・」
「ありがとう、もも!!」

桃子は何も言わない。
やがて。
ニッコリと微笑んでいる梨沙子に、桃子は真顔のまま、そっとかぶりを振り答えた。

「違う。あれは石川さん。ももじゃない」
「ウソだ。解ったもん!あたしを助けてくれたのは、ももだよ・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「そうでしょ?ももがあたしを助けてく・・・・」
「梨沙子。」

言葉を静止する。
口をキュッと噤み、目を細めて自分を見つめる桃子に、梨沙子は戸惑いを覚えた。
子犬の様に不安げなその眼差し。
すると、桃子はゆっくりと、しかしハッキリとした口調で、その口を開いた。

「梨沙子は何も解ってない・・・」
「え?」
「あたしは・・・ももは・・・もう、死んでるんだよ?」
「・・・・・・・・・・」
「梨沙子は何も解ってない」

ハッキリと桃子の口から告げられる言葉。
梨沙子はただ呆然と唇を振るわせた。
解っている。何を今更言ってるんだ。自分はちゃんと、解っている。最初からちゃんと・・・。

「解ってる。そんなの、解ってる・・・よ。ももは・・・死んだ。でも・・・ももはあたしの側に・・・」
「ウソ。なにも解ってない。梨沙子はなーんにも解ってない」
「・・・・・・・・・・」
「梨沙子の目の前にいるあたしは、この世にいないんだよ?それを理解してない」
「・・・・・・・・・・」
「すぐ側にいるけど。目の前にいるけど。でも、あたしはもう、この世に存在してない。存在してちゃいけない」
「そ・・・そんなの・・・解って・・・」

震える梨沙子の声。
すると、雅がその声に反応し、目を覚ます。
ゆっくりと開かれる雅の目。そして。

「梨沙・・・子・・・?」
「みや・・・」
「梨沙子!!」

梨沙子の顔を見るなり、雅はその体にギュッと抱きつき、泣きじゃくった。
パジャマに涙が染み、冷たく濡れてゆく。
体を震わせ、ただただ、嗚咽を漏らしつづける雅。腕がキツく、梨沙子の背中を締め付ける。

「なんで・・・心配した・・・心配したんだから・・・バカ・・・!!」
「みや・・・」
「ももがあんな・・・。なのに、梨沙子までいなくなったら・・・あたし・・・どうしたら!!」
「・・・・・・・・・」
「良かった。無事で・・・ホントに良かった」

自分の体にしがみ付き、大泣きの雅。
梨沙子はその背中に腕を回そうとするが、やはり回す気にはなれない。
手は雅に触れる事無く、頼りなくシーツを握り締める。
ベッド脇に立ち、じっと梨沙子を見つめている桃子。そして、呟く。

「抱きしめてあげなよ、梨沙子」
「・・・・・・・・・」
「みや。ずっと梨沙子の手を握り締めて、ず〜っと泣いてたんだよ?」
「・・・・・・・・・」
「抱きしめてあげなよ。背中さすってあげなよ。心配かけてごめんね?って言ってあげなよ」
「・・・・・・・・・」

何も出来ない梨沙子。
雅は抱きついたまま、嗚咽を漏らし続ける。その頼りない背中。
梨沙子は震える手で、そっと雅の長い髪の毛に触れるが、指先が触れ、すぐにビクッと手を離した。

「でも・・・みやは・・・」
「・・・・・・・・」
「みやが好きなのは・・・」

ボソボソと呟く梨沙子。
その声に驚き、雅が泣きはらした顔でゆっくりと梨沙子を見上げた。

「梨沙子・・・?」

涙に濡れた雅の顔。縋るような目。切なくなる。でも・・・抱きしめる事がどうしても出来ない。
すると。
桃子はゆっくりとした口調で答えた。

「確かに。みやが好きなのは・・・ももだったよ?」
「?!」
「ももはみやに告白された。みやはももの事、好きだって言ってくれた」
「・・・・・・・」
「でも――。ももはもう、この世にいない」

桃子はゆっくりと手を伸ばす。
その手は真っ直ぐ雅の髪の毛に向かい、優しく触れるが・・・手は空気を掴むようにすり抜けるだけ。
そして雅も。桃子の存在には気づかない。

決して触れる事のない2人。

雅の目は桃子を捕らえる事無く、ただ、梨沙子の顔だけをじっと見つめていた。
その手も、強く梨沙子の背中に回されたまま。

「抱きしめようにも抱きしめる事は出来ない。髪の毛に触れようにも、触れる事は出来ない」
「・・・・・・・・」
「解ってる?梨沙子。ももはもう、死んでるんだよ?」
「・・・・・・・・」
「ももは魂だけこの世に取り残されちゃったけど・・・。梨沙子も同じ。梨沙子は現実から取り残されてる」
「・・・・・・・・」
「みやもちぃもくまいちょーも、みんな『ももが死んだ現実』を受け入れてるのに、梨沙子だけがいつまでも現実から取り残されてる」
「・・・・・・・・」
「忘れないで?ももは死んだけど、梨沙子は生きてるんだよ?目を覚まして・・・」

優しい眼差し。
桃子はフッと微笑むと、手を伸ばし、梨沙子の頬をなぞるようにその輪郭を辿った。
触れる事のない手から、不思議と温かさが伝わり、梨沙子はポロポロと涙を零す。

「もも・・・」

梨沙子の呟きに、雅は不安そうに梨沙子の顔を見上げた。
それに答えるように、梨沙子はゆっくりと雅を見つめる。
それは数センチの距離。今にも鼻と鼻がくっつきそうな僅かな間。
じっと不安げに自分を見つめる雅に、梨沙子は優しく笑いかけた。
「ごめんね」
そして。梨沙子は両腕を背中に回すと、雅の体をギュッと抱きしめた。
その瞬間、雅の顔が驚き、それは次第に驚きの微笑みへと変わる。

「梨沙子・・・」
「みや、ごめんね、みや・・・。心配かけて」
「ううん・・・」
「ありがとう。ずっと手を握っててくれて、ありがとう、みや・・・」
「うん・・・」
「大好きだよ?みや」

ギュッと抱きしめる。
触れた部分から雅の体の温かさが伝わってくる。これは命の温もり。生きている自分を、強く感じる。
梨沙子は雅の髪の毛を優しく撫で、その髪の毛に顔を埋める。自然と涙が溢れてくる。
静かな病室。2人だけの空間。動き出した、2人の時間・・・。
桃子は2人の様子を見つめフッと微笑むと、人知れず、病室からその姿を消した。







いつものお寺。
夜中も蝉の声が絶える事無く聞こえる。
境内の社の側。桃子はそっと月を見上げ、ため息を1つついた。

「まぁは元気かな・・・」

空には星。
今日は随分と空気が澄んでいるのだろう。東京とは思えないぐらいの星空。
「きっと、もうすぐ。もうすぐ行けるからね・・・まぁ」
そっと呟く桃子。
すると――。

「りーちゃんは目、覚ましたの?」

不意に聞こえた声。振り返ると、そこにいるのは佐紀だった。
桃子は笑顔を零し、うんと頷く。

「目ぇ覚ましたよ。・・・色んな意味で」

そう言ってクスクスと笑うと、佐紀も嬉しそうに笑った。
佐紀も病院までついて来てくれて、しばらくずーっと梨沙子の様子を見ながら不安そうにしていた。
梨沙子が無事だった事を聞いて、ホッと胸を撫で下ろしている。

「良かった。りーちゃん、無事で」
「5日間ぐらい入院するらしいけど、そんなに症状は重くないから大丈夫だって」
「そっか・・・」

2人で空を見上げる。
今日は1日で、なんだか色んな事があった。
きっと、みんな。これから先も、今日と言う日を忘れないんじゃないかと思う。

「佐紀ちゃん。助け呼びにいってくれてありがとうね。お陰でりーちゃん、無事だった」
「ううん、そんな事ないよ。助けたのはももじゃん」
「でも。佐紀ちゃんが呼びに行ってくれなかったら、あぁは行かなかったと思うから。ほんと、ありがとう」
「違うよ。お礼を言うのはこっちだよ、もも・・・」

そう言って、佐紀は俯いた。
桃子がいなかったら、自分は梨沙子の助けを呼びに行く勇気は沸かなかった気がする。
全てに怯えたまま、梨沙子を見捨てて逃げ出していたかもしれない。
佐紀は桃子を見つめると、力強く頷き、答えた。

「あ・・・そうだ!ももにね、お礼をしたいって人がいるんだ・・・」
「え?ももにお礼??」
「うん。お礼!」

そう言って後ろを振り返る佐紀。それを見て、同じように振り返る桃子。
するとそこには・・・

「石川・・・さん?」

ジーパンにTシャツ。
ラフな格好で佇んでいる石川がいて、桃子は目を丸くした。

「お礼をしたい人って・・・」
「うん。お姉ちゃん」

佐紀はゆっくりと石川の側に歩み寄る。
そして石川の右腕を掴むと、「ね。お礼したいんでしょ?お姉ちゃん」と笑いかけた。

それは、封じられていた姉妹の会話。

当たり前の様な光景だが、3年間、封印されていた姉妹の言葉。
桃子が口を真一文字に閉じ、2人の様子を見つめていると、石川はふと桃子に微笑みかけた。
そして、佐紀の肩をそっと抱き寄せ、優しい口調で答えたのだった。

「ありがとう。佐紀がこうして話してくれるようになったのは、あなたのお陰・・・」
「・・・・・・・・」
「本当に、ありがとう」
「そんな・・・。あたし、無理矢理、石川さんの体借りちゃったから。お礼を言いたいのはこっちです」

あの時、なんとか梨沙子を救いたい一心で、桃子は佐紀の後を追った。
そして会議室につくと、石川の姿が見えた。
幽霊の直感的な感覚――。
石川の姿を見た瞬間、なんとなくだけど、『この体には入り込める』ような気がしたんだ。

「元々あたしは、霊媒師で降霊とかもやってたからね」
「・・・・・・・・・」
「ふふ。体を貸すぐらいで佐紀との関係が戻るなら、安いものよ」

そう言って笑う石川。
つられて桃子と佐紀もクスクスと笑った。

だが、その瞬間――。

桃子は不意に肝心な事を思い出し、ハッとした表情を浮かべた。
そして桃子は疑問符を頭に漂わせながら佐紀を垣間見たあと、再び石川を見る。石川の目は、じっと桃子の姿を捉えているようだった。
そう。そうだ。何がおかしいって、それなんだ!
なんで、石川は自分と会話が出来るんだ?自分の姿を、こんなにハッキリと捉えているのだろうか?

「い、石川さん?まさか、ももの姿・・・声・・・・見えて・・・」
「見えているわよ。しっかりと」
「まさか・・・最初から?」

桃子が問うと石川はそっとかぶりを振った。
確かに。初めて石川に会ったとき、石川は桃子が見えている気配は全く感じなかった。
だったら何故。
最初は見えていなかったはずの石川が、今、ハッキリと。桃子の姿、声を、捕らえる事が出来るのだろうか・・・?

「どうして・・・ももの姿が・・・」
「あなたがあたしの体の中に入り込む瞬間。初めてあたしは、あなたの姿を見た」
「え?」

桃子がキョトンとした表情を浮かべると、石川はクスッと微笑み、その肩をすくめた。
そして、石川はゆっくりと桃子へと問いかけたのだった。

「ねぇ、桃子ちゃん。この世には、なんで幽霊を見れる人間と見れない人間がいるか・・・知ってる?」
「え・・・・」
「勿論、霊感の強い弱いも重要だけど・・・。幽霊を見る事の出来る人間は、霊を拒絶しない人間。霊と心を通わせられる人間」
「・・・・・・・・・」
「幽霊って言うのは精神的な存在だから。心が霊を受け入れる事が出来ないと、例え霊感が強くても、見る事なんて出来るワケがない。そうでしょ?」

石川の問いかけに、桃子は無言のままうつむいた。
確かに。石川の言うとおりなのかもしれない。
実際。佐紀は霊感が生まれつき強いのもあるのだろうが・・・誰よりも霊を受け入れる心を持っている。
だから、これだけハッキリと、自分や茉麻の姿を捉えることが出来たのかもしれない。

「あたしの霊力が弱まったのも、あたしが幽霊を憎むようになってから。どんどん霊力を失っていった」

霊感の強さは、人が生まれつき備わるもの。
あとは、霊を受け入れる心の強さ次第。

「でも。霊力が弱まり、幽霊なんて見る事が出来なくなっていたあたしだけど。あなたがあたしの中に入り込んできた瞬間、あなたの姿を見る事が出来た」
「どうして・・・」
「だってそうでしょ?あたしの体に乗り移るって事は、あたしの心の中にあなたが入り込むって事。これ以上に、幽霊と人間が『心を通わせる』すべはないと思わない?」

石川は笑う。
そう。桃子の霊が乗り移ってきた瞬間。
石川の心の中に、桃子の様々な想いが一緒に流れ込んできた。

助けたい――。

梨沙子を助けたい。佐紀を勇気づけたい。みんなに幸せになって欲しい。
死んでいるハズの幽霊が、誰よりも人を救う事を強く望んでいるのが解った。
そんな様々な想いを感じた瞬間。石川の中で、幽霊に対する憎しみが、不思議なぐらい崩れ落ちた。

「幽霊なんかに関わったせいで、佐紀は周りから取り残されていった。だからあたしは、幽霊を恨めしく思っていたけど・・・」

そう言って石川は、ふと佐紀を見ると、ニコッと微笑んだ。
そして佐紀の肩を、そっと自分の方に抱き寄せる。佐紀は素直に、石川の肩に頭をくっつけていた。
佐紀が人と言葉を交わさなくなったのは幽霊のせい。だけど、人と言葉を交わすきっかけを与えてくれたのも幽霊のお陰。

「でも。今回ばかりは、幽霊に感謝しなくちゃね・・・・ありがとう」

不思議な因縁だなと思う。
死神だと思っていた存在は、その暖かな優しさで、自分の妹を人間の世界へと戻してくれた。
だから、優しい死神さんに、せめてものお礼をしたいと、石川は言った。


「でも・・・人間が幽霊に出来るお礼なんて、あるんですか?」

そう。その気持ちは凄く嬉しかった・・・。
だけど、同時に疑問にも思う。実体を持たない幽霊にお礼なんて出来るのだろうか?
桃子が不思議に思っていると、石川は自分の両腕を左右に、大きく広げた。
何かを受け止めるように、大きく。
そんな石川を見て、不思議そうに目を丸くしている桃子に、石川は笑った。
それは優しい、姉の様な笑顔だった。

「解る?これがお礼。最後に思い出作りぐらいはしたいでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「また無理矢理。あたしの体に乗り移られてもたまらないからね・・・」
「石川さん・・・」
「この体。いつでも貸してあげる。梨沙子ちゃんが退院したら、思い出作りしてきな?」

桃子はキュッと口を結んだ。
石川の隣りでは、佐紀はニコニコと笑っていた。
カラッポの心が温かくなる。
死んでから初めて解る優しさもある。
この世界は優しくて、だけど幽霊にだけは何も優しくしてくれないと思ってたけど、やっぱり、世界は暖かくて優しい。
「ありがとう」
心の底から、桃子はそう感じた。







雅の家のリビング。
賑やかなTVの音が聞こえ、雅の母親が食器を洗っている音が聞こえる。

「ただいま・・・」

23時すぎ。雅はようやく家路につき、リビングの床にカバンを置き、ソファに凭れた。
そして雅はソファにもたれたまま、キツく両の目を閉じた。
梨沙子が無事で本当に良かったと思う。
梨沙子が目を覚ますまでは帰る気になれなかったし、梨沙子が無事なのを確認して安心して家に戻ることが出来た。
なんとも言えない脱力感に襲われる。

すると、グッタリする雅に、雅の母親が笑いかけた。
「梨沙子ちゃん、無事だったんでしょ?良かったわね」
「うん!!」
嬉しそうに笑う雅。
疲れてはいるが、これ以上嬉しい事はない。
「お風呂入れといてあげるから、部屋でちょっとだけ休めば?」
母親の問いに雅は小さく頷くと、ソファから重い体を起こした。
「うん・・・。夏休みの宿題あるから、ちょっとだけやってる。お風呂沸いたら呼んで」


部屋に戻る。
机の上にノートと教科書を広げる雅。
すると、雅はふと、机の上に置かれたフォトスタンドが目に止まり、覗き込んだ。
3つのフォトスタンド。
1つ目は雅と梨沙子と友理奈と千奈美で行った、遊園地の写真。
2つ目は、梨沙子と雅で腕を組んでピースしている写真。


そして、3つ目。


桃子と2人で、いつものお寺の桃の木の下で撮った写真。

「・・・・・・・・・・・・」
フォトスタンドを手に取り、じっと見つめる雅。
笑っている2人。二度と帰らない時間。
雅は悲しみを堪えるように、キュッと唇を噛んだ。そして思いを振り切るように、教科書を開いた・・・。
その瞬間だった――。

「みや・・・・」

静かな部屋の中に、ポツリと伝わる声。
だが、机に向かったまま黙々と宿題をする雅は、声に気づかない。
雅の耳には、ノートに鉛筆が擦れる音だけが響く。決して気づく事のない声。

「みや・・・」

再び、声。
だが雅は気づかない。気づけない。
机に向かう雅。その背中の向こうに・・・優しく微笑む桃子の姿があった。

「ごめんね、みや。勝手に部屋に上がりこんで・・・」

桃子は笑う。
気づく事のない雅。
だが、気づく事がないのを承知で、桃子は雅の背中に言葉を続けた。

「死んでから。みやとはお話する事が出来なかったから・・・最後に、ちょっとだけ話をしたかったんだ」

届く事のない声。
桃子は噛み締めるように、大切に、その言葉を続けた。

「ももの事。好きになってくれてありがとう、みや」
「・・・・・・・・・・」
「結局。生きてる時は言ってあげられなかったけど・・・ももも、みやの事が好きだった。」

静まり返る部屋。
黙々と計算式を解いているだけの雅。
桃子はその細い背中に語り続ける。

「告白してくれた時。凄く嬉しかった・・・。でも、あたしたち3人はずっと仲良しで・・・だから、ももは、みやだけを選んであげる事が出来なかったんだ」

雅に告白された時、桃子は答えた。
自分も雅の事は好きだけど。恋とか愛とか、そう言う感情ではない・・・と。
でも。それはウソ。
桃子は本当は雅の事を『恋人』として好きだったけど、梨沙子も雅を好きな事は知ってたから、頷く事が出来なかった。
そして。その言葉を告げた時の雅の傷ついた表情が、ずっと忘れられなかった。
あんなに傷つけてしまうぐらいなら、「自分も雅が恋人として好きだ」と、素直に言ってあげれば良かったと後悔したときもあった。
だけど、今となっては。こんな事になってしまった今となっては。告白を断った事は、正解だったんだと思う・・・。
もしも恋人になっていたら、桃子が死んだとき、雅はもっと深い心の傷を受けていたのだろう。

「この声はみやには届かない。・・・ううん、届かない方がいいんだと思う」

届けばまた傷つける。
だから、届かなくていい。
この言葉はただ、誰にも気づかれること無く、現実の狭間に取り残されるだけなのであろう・・・。
桃子の存在の様に。

「ももは、みやの事が好きだよ」
「・・・・・・・・・・・」
「悲しませてばかりでゴメン。幸せにしてあげられなくてゴメンね」
「・・・・・・・・・・・」
「ありがとうね、みや。ももの事、好きになってくれて。ももも、みやの事が大好きだよ!!」

声が震える。
決して届くことの無い言葉だけど、これが最初で最後の告白。
結局、伝える事の出来なかった・・・だけど、伝えたかった思い。

「みやの事が好き。だから・・・幸せになって?みや。梨沙子と一緒に幸せになって・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「もう。ももの事は忘れて・・・。あ、でも。時々は思い出してくれたらウレシイかな」

桃子はクスクスと笑う。
黙々と宿題をする雅の背中は、ピクリとも動かないまま。
桃子はゆっくりと雅の背中に近づくと、その背中を包み込むように腕を回し、そっと顔を埋めた。
決して触れる事は出来ないけど、重なる事は出来る。

「ももの事。好きになってくれてありがとう。みや」
「・・・・・・・・・・・」
「大好きだよ。ありがとう。そして・・・さようなら」

全てを伝え微笑む。
そして、桃子はゆっくりと雅の部屋から姿を消す。
薄暗い部屋の中には、机の豆電の下、黙々と勉強をする雅の姿だけ・・・。




    ×           ×             ×




やがて、階段を上る足音。
雅の母親が部屋の扉を開け、中を覗き込んだ。

「みや〜。お風呂沸いたわよ?」

だが、ピクリとも動かない雅の背中。
不穏に想い、母親が部屋の中に足を踏み入れる。
「みやび?」
机に向かったままの雅。
だが、その背中がホンの微かに震えているのに気づき、母親はその肩に触れる。


「みやび?・・・・・・み、みやび!!」


顔を覗きこむと、雅はグシャグシャに泣いていた。
ボロボロと零れ落ちる涙。唇を噛み締め、涙を必死で堪えるが止める事など出来ない。
ノートに涙がいくつもの雫となり、文字を滲ませている。

雅の母親は、真っ青な顔で雅の肩を揺さぶった。
「ど、どうしたの?雅?!!おなかでも、痛いの」
だが、雅は涙を零したまま、強くかぶりを振った。
違う。体はどこも悪くない。悲しい理由なんて何もない。なんで泣いてるのか、自分でも解らない。
だけど――。
雅は机に突っ伏す。
そして、涙で鼻に詰まった声で、搾り出すように母親の問いに答えた。

「わかん・・・ない。なんでだか・・・わかんない・・・けど・・・」

泣きじゃくる雅の腕が、机に立てかけてあったフォトスタンドにぶつかる。
すると、3つのウチの1つが、小さな音を立てて倒れた。
それは、桃子と雅。2人でいつものお寺の桃の木の下で撮った、最後の写真。
雅はギュッと手を握り締め、ポツリと呟いた。

「凄く・・・悲しい――。」





(第10章 最初で最後の告白)