第1章 取り残されて




翌日も雨は、止む事はなかった・・・。
もしかしたら。みんなの涙が、雨になって街に降り注いでいるんじゃないかと、梨沙子は思った。
梨沙子が花束を持って訪れると、2−Bの教室は、まるで火が消えたみたいに静まり返っている。
教室の窓から2つ目の席に、1人泣きじゃくっている雅がいた。


「みや・・・おはよう」


朝礼前の2−Bの教室。
梨沙子と友理奈がそう言って、窓寄りの雅の席へと向かう。
すると、雅は机に伏していた顔をゆっくりと上げ、2人の顔を見つめた。

「おはよう・・・」

鼻にかかった声。
それは、いつも元気に『おはよー!』と叫んで、梨沙子たちの教室に遊びに来る雅からは、想像もつかない姿だった。


今だ泣きはらした真っ赤な目。いつもの笑顔なんて、どこにもない。
雅はゴシゴシと右手で目尻を拭うと、「なに・・・?」と、冷めた口調で梨沙子と友理奈を見た。
両の目が涙で揺れていて、今にも零れ落ちそうなぐらいに見えた。
梨沙子は抱えていた花束を差し出すと、やんわりと雅の問いに答えた。

「うちのクラスの友達がね。ももの・・・嗣永先輩の机にお花を添えてくれって」

そう言って、梨沙子の手に掲げられた花束。
それはカスミソウとユリとホワイトローズ。真っ白な雪の様な花束だった。

「図書委員会でいつも優しくして貰ってたんだって」
「・・・・・・・・」
「もも、優しかったから」

桃子は優しかった。明るくて優しくて・・・。
いわゆるカッコイイ先輩じゃなかったけど、「可愛くて優しい先輩」として、後輩からも慕われていた。

「だから。事故で死んだなんて信じられないって・・・クラスのみんな言ってた」
「そんなの、うちだって・・・」

そう言うと、雅は涙に揺れる目を細めた。
きっと、また堪えられなくなったのだろう。雅はギュッと瞳を閉じると、再び机の上に顔を伏したのだった。
そんな雅を心配そうに見つめながら、梨沙子はゆっくりと歩み、雅の机の斜め前・・・教室の窓側の一番前の机に向かった。
そこにはすでに、たくさんの花が添えられていた。
梨沙子はそのお花畑の様な机に、そっと花束を置く。
ここは窓際で一番日当たりのいい席だから、お花もきっと嬉しいだろうなと思った。



花束を置いた瞬間。斜め後ろの自分の席からその光景を見ていた雅が、泣き声を漏らしたのが解った。
机に伏したまま、嗚咽を漏らす雅。
梨沙子は何も言わず、そっと雅の髪の毛を撫でた。サラサラと流れるような茶色い髪の毛。
やがて、始業5分前のチャイムが鳴る。
「梨沙子。そろそろ、戻らないと・・・」そう言って友理奈が、梨沙子の肩を叩いた。
梨沙子はコクリと頷くと、自分達の教室に戻るべく、友理奈と一緒に2−Bの教室を離れようとした。
すると。梨沙子が雅の席の横を通りすぎる瞬間、雅が机に伏したままに、ポツリと呟いたのだった。

「なんで・・・。梨沙子はそんなに平気でいられるの?」
「え?」
「ももが死んだんだよ?!ずっと一緒にいたももが・・・」

立ち止まり、雅をじっと見つめる梨沙子。
おもむろに顔を起こすと、雅の頬は、涙でグシャグシャに濡れていた。
真っ赤に腫れ上がった目。頼りない表情で、雅は梨沙子の顔を見て言った。

「梨沙子は強いんだね」
「・・・・・」
「あたしはムリ。なんか、頭がおかしくなりそう・・・」

そう言って、また机に伏して声に出して泣く雅。
近くにいたクラスメイトの千奈美が「大丈夫?みや・・・」と言って、雅の背中を撫で、なぐさめていた。



やがて教室を出て行く梨沙子と友理奈。
心がチクリと痛む。梨沙子がフゥとため息をつき、ぼんやりと廊下の虚空を見上げていると、
「みや、辛そうだったね・・・」友理奈が寂しそうに呟いた。

「みやってさ・・・凄く繊細だから」
「・・・うん」
「強い梨沙子が、繊細なみやを支えてあげなきゃね・・・」

そう言って梨沙子の肩をポンポンと叩く友理奈。だが、梨沙子はその言葉に頷く事が出来なかった。
だって、自分は別に雅や友理奈が言うように、強いワケじゃないから・・・。
平気でいられるのは、ただ、実感が沸かないだけ。
良くわからない。ももは本当に、死んだんだろうか?



実感なんて・・・沸くハズもなかった――。



桃子は今も梨沙子の部屋にいる。
行き場を失った桃子の幽霊は、梨沙子の部屋に居候している。




2人が1−Aの教室に戻ると、丁度始業の会が始まった。
担任の飯田が神妙な面持ちで入ってきて、「みんなも聞いたと思うけど、2年の嗣永さんが・・・」と、話を切り出した。
目線を伏せ、寂しそうに飯田の話を聞いているクラスメイトたち。
最後に飯田が、「明日はお通夜だから、みんな行ってあげてね」と言って、優しく微笑んだ。









「ねぇ、あたし・・・どーなっちゃうのかな?」

梨沙子の隣りで桃子がぼんやりと呟いた。
ポツポツと小降りの雨。
いつものお寺では、お通夜が行われていた。
桃子の家はアパートだから、桃子のお通夜はいつものお寺に会場を借りる事になっていたのだった。


いつものお寺のいつもの待ち合わせの桃の木の下。
雨の中、傘をさして佇む梨沙子と、傘もなく佇む桃子。
ホンの僅かだけ空間に透けている桃子の体。
雨は桃子の体を濡らす事無く、桃子の足元の地面だけを滲みさせてゆく。
そんな桃子を横目に見ながら、梨沙子は漠然とした面持ちでそっとかぶりを振った。
目の前にいる桃子は、まるで生きているみたいに、当たり前の様に存在している。
実感なんて、沸くハズもなかった。

「ねぇ、梨沙子・・・。この先・・・どーなっちゃうんだろーね?」

不安げに呟く桃子。
この先どうなるかなんて、きっと誰にもわからないんだと思った。



梨沙子はそっと、桃の木に手を触れる。
つい先日も、梨沙子は桃子と一緒にここにいた・・・。
思い出す。
土砂降りの雨の中、桃子が見える自分と、桃子を見ることが出来ない雅。


すぐ近くで鳴り響く、救急車のサイレン。


あの時。俄かに背筋に寒気がして、梨沙子はすぐに神社を駆け出し、サイレンの鳴る方へ飛んでいったんだ。
「どうしたの?梨沙子!!!」
雅はそんな梨沙子の後を追って来た。
そして、2人が音のしてる方へ辿り着いてみると ・・・・・・事故の現場は騒然としていた。


たどり着くと、まさに今、誰かが救急車に運び込まれるところだった。
真っ青な顔で警察の事情聴取を受けている、大型トラックの運転手。
近くにいたおばさんが、「可哀想だけど助かりそうもないわね」「若い子なのにね・・・」と会話をしてた。

地面にはおびただしい血の痕。
毛布に包まれてて、運び込まれる被害者の姿は見えなかった。
でも・・・・。

「ブルーの傘・・・」

雅が梨沙子の隣りでボソッと呟いた。
振り返ると雅の目はまったく焦点があってなかった。
そんな焦点が合わぬ雅の目線の先には、地面に転がるブルーの傘が一定のリズムで揺れている。

「ねぇ、あの傘、もものじゃ・・・ない?」
「・・・・・・・・・・・」
「ウソ・・・ウソだよ・・・ね?」

もう一度血の残った現場を見る。すると。そこに、いつの間にか桃子が立っていた。
だが、誰一人気づいていない。血の海の中に立つ、女の子の姿に。自分以外、誰一人として気づかない。
梨沙子が呆然と目を見開き、桃子を見ていると、桃子が梨沙子の目をじっと見つめながら問うた。

「梨沙子には、見えるんだね?あたしが・・・」
「・・・・・・・」
「あたしの声も、聞こえる?」

コクリと頷く。
ほんの僅かに透けてはいる。だけど、奇妙なぐらいハッキリと桃子の姿が見える。
桃子は、血に濡れた現場を振り返ると、独り言の様にボソッと呟いた。

「死んだのかな?・・・あたし」


救急車が慌しく現場を離れていく。
桃子の体を運んでいく救急車。それを見送る、梨沙子と桃子。

そう・・・。桃子は梨沙子の目の前にいる。

なれば、きっとあちらは空っぽの体。
桃子の魂はここにいる。主の魂を失った体は、きっと助からないだろう・・・。



急ぎ去ってゆく救急車。
それを呆然と見送りながら・・・

「だ、大丈夫だよね?ももじゃないよね?同じ傘なだけだよね?」

隣りで雅が梨沙子の腕を掴み、うわ言の様に呟いた。
その瞬間。目の前で桃子が目を伏せたのが解った。

うん、あれはももじゃないよ?・・・と言ってあげたかった。


でも・・・。
2人の距離は1メートルにも満たないのに、雅の目は桃子を捉えられない。
その事実が、「あの空っぽの体がもも」であった事を、皮肉にも証明していた。



「これからどうすればいいんだろ・・・あたし」

桃子がポツリと呟いた。隣りでは雅がうろたえ、泣き続けていた。
どうしていいのかなんて、自分達には解らない。

「ともかく・・・いったん家に戻ろう?みや・・・」

梨沙子が雅の肩を抱くと、雅が涙に濡れた目で、頼りなく頷いた。
そして、梨沙子はゆっくりと桃子に振り返る。か・え・ろ・う・・・声には出さずに口を動かすと、桃子はコクリと頷いた。



やがて。雅を家まで送ったあと、梨沙子と桃子は梨沙子の自宅まで戻った。
そして、その3時間後・・・桃子の訃報が電話で届いた。
梨沙子の部屋で、2人は途方に暮れるしかなった。

「やっぱり・・・もも・・・死んだのかぁ〜」
「みたいだね」

まるで他人事の様に桃子が呟き、梨沙子もまるで他人事の様に頷いた。
2人とも、不思議なぐらい、実感など沸かなかった。
桃子は死んだ。でも、桃子は目の前にいる。じゃぁ・・・ここにいるももは幽霊?
2人で見詰め合う。きっと、桃子も梨沙子と同じ事を考えているのだろう。その疑問を先に口に出したのは、桃子だった。

「ねぇ?どうして・・・梨沙子にだけは見えるんだろ?」
「解らない」
「霊感強いの?」
「そんな事ない。今まで幽霊なんて見えたことない」


幽霊なんて今までTVでしか見た事がない。
そう言ったホラー映画やお化け屋敷の中で、幽霊は怖いモノだとインプットされていたけど・・・

「こんなに怖くない幽霊、中々ないよね」
「なにそれ、ひっどーい!」

思わず2人で笑いあう。
ふざけて桃子をおちょくって、桃子がプンスカするのはいつもの事。
こーして2人で会話して笑いあうのもいつもの事。



――本当にももは死んだのかな?



梨沙子が手を伸ばして桃子に触れようとすると、手は桃子の体をすり抜けて行った
そんな梨沙子に、怪訝そうに眉を顰める桃子。

「・・・なに?」
「いや。本当に、幽霊なのかなって・・・」

手を左右に動かす。
決して触れる事の出来ない、スカスカな桃子の体。

「・・・・・・・・・・実感した?」
「・・・・良く解らない」

確かに触れる事は出来ない。
でも、実感はやっぱり沸かない。まるで3Dで透写でもされているのかと思ってしまう。
だけど。実感なんて沸かないけど、桃子が死んだらしき現実は、梨沙子に突きつけられていた。

「さっきの電話連絡で、明後日お通夜があるって言ってた」
「誰の?」
「誰のって・・・ももの・・・かなぁ?」
「あたしはココにいるのに?」

梨沙子は困ったように首を傾げるしかなかった。
ホントに桃子は死んでるのだろうか?何かのドッキリなんじゃないかとか、そんな事まで考えてしまう。
だとすればタチの悪い、大掛かりすぎるドッキリだ。冗談じゃない。
そんな事を梨沙子が考えていると、不意に桃子が低い声で問いかけてきた。

「ねぇ。どこでお通夜やるの・・・」
「いつものお寺みたい」
「あ・・・そっか。あそこ、お寺だもんね」

いつも梨沙子と桃子と雅、3人で待ち合わせをしていたお寺。
そこでお通夜をやられるなんて、なんだか皮肉な感じもする。
3人で毎日笑いあったりはしゃいだりしていた思い出の場所が、弔いの場所になってしまうなんて・・・。

「さっき。みやにはあたしは見えてなかった・・・」

不意に桃子が言った。
梨沙子は何も言えないまま、桃子の顔を凝視する。
確かに。先ほどいつものお寺で待ち合わせをしていた時も、そして事故の現場でも、雅の目は桃子の事を捕らえてはいなかった。

「じゃぁ・・・ちぃやくまいちょーにも、あたしの姿は見えないのかな?」
「どう。なんだろ?」

桃子は『それを確認したい』と言っていた。
そして、「お通夜に参加すれば、それの確認が取れるよね?」と、呟いた。
だが。なんとなくだけど・・・きっと他の子達の目に、桃子の姿が捕らえられることはないような・・・そんな気がしていた。








いつものお寺に雨が降る。
小振りながらシトシトと、ずっと雨が降り続いている。きっと涙雨なんだと思った。
式場の中は人々のすすり泣く声が聞こえる。
祭壇に飾られた遺影。それを見ながら、自分のお通夜に参加するのが凄くヘンな気分だと桃子はいった。
そして梨沙子自身も、桃子の遺体を見たとて、なにか作り物の人形のような感覚に陥る。
隣りにいる幽霊の桃子の方が、自分にとってはよっぽどリアリティな気がした。


でも・・・。


お通夜の最中でも、やっぱり誰一人、自分の隣りにいる桃子の姿に気づかない様子だった。桃子の霊体は誰の目にも止まらない。
急に不安になる。
みんなは見えないのに、なんで自分だけ見えるのか?本当に桃子は自分の隣りにいるのだろうか?

「もも・・・」
「ん?」
「そこにいるよね?」
「え?」
「いるよね・・・」

いつものクセで隣の桃子の手を握ろうとするが、当然握る事は出来ずに空気を掴む。
桃子はじっと梨沙子の顔を見つめたあと、
「・・・・・・・うん。いるよ」と言って、梨沙子を宥める様な優しい表情を浮かべた。


やがて。
桃子はゆっくりと自分のお棺に近寄ると、そっと手を伸ばした。だが、幽霊の手は持ち主の抜け殻にすら、触れることを許されない。空気を掴むように、すり抜ける桃子の手。
代わりに梨沙子が、その亡骸に触れる。

「冷たい・・・」
「このあと焼かれちゃうのかな?そしたらホントにあたし、帰る場所なくなるね」
「・・・・・・・」

何も言えぬまま、梨沙子はじっと、抜け殻の方の桃子の顔を見つめた。
真っ白な顔。元々色白の桃子だけど、まるで雪の様に白い――。
こんなに雪の様に白いんだから、冷たいハズだよなと梨沙子は思った。


暫しの間。
梨沙子は棺に眠る桃子を見た後、ゆっくりとおもてを上げ、「ねぇ、もも・・・」と、隣にいる霊体の方の桃子を顧みた。
だが、その瞬間。隣りでは・・・桃子が何を見たのだろう?明らかに何かに驚き、愕然とした面持ちで、目を大きく見開く姿が見えた。
梨沙子は思わず「どうしたの、もも?!」と問う。
すると桃子は、「いや・・・」と言葉を濁し、戸惑いを露わにしていた。
愕然と目を見開く桃子の目線の先には、梨沙子たちの学校の制服を着た女の子。ショートヘアーで背のちっちゃな女の子の姿があった。
梨沙子がそちらの方を不思議そうに見ていると、隣りで桃子が震える声で呟いた。

「今、あの子・・・」
「ん?」
「目が合った気がした」
「え??」

思わず梨沙子はショートヘアーの少女の方を見ながら目を見開くが、今はもう、彼女は全くこちらを見ている様子などなかった。
何事もなかったように、お焼香を終え、お通夜の会場を離れてゆく少女。
梨沙子は眉根を寄せると、桃子に怪訝な面持ちで問いかけた。

「ホントに・・・ももの事、見てたの?今の人」
「わかんない。よく、わかんない」
「偶然、目があっただけなんじゃない?」

きっと偶然、目線の方向があっただけなんだと、梨沙子は思った。
現に少女は、幽霊の桃子の存在に驚いている様子も戸惑っている様子もなかったし。見えているワケがない。
そして。桃子もそれを聞き「だよね・・・」と、頷いた。



やがて、お焼香も終え。梨沙子と桃子の2人は、ボンヤリと式場の隅で立ち尽くしていた。
段々空気も冷えてきた。夜風が冷たく通り抜けてゆく。
すると。ふと、2人の目線の向こうの方に、桃子のクラスメイト達の姿が見えた。


「みやだ・・・」


桃子がポツリと呟いた。
その隣りに、千奈美と友理奈。そして、舞美やえりか。仲良しだった友達たち。
みんなグシャグシャに泣いていた。
特に雅は、もうメチャクチャに泣いていて、まともに歩く事も出来ないようだった。雅のお母さんに支えられて、ようやく歩けてるぐらいだった。
その様相を見て、桃子は戸惑っていた。
いつも明るくて笑顔ばっかりの雅と、今、目の前にいる雅は、まるで別人のようだった。
桃子はしごく狼狽した様子で梨沙子の顔を見ると、そっと頼りなく呟いた。

「ねぇ。みやのとこ、行ってあげて。梨沙子・・・」
「う、うん・・・」

桃子に即され、梨沙子は小走りで雅の元へと向かう。
そんな駆けて来る梨沙子の姿を確認してか、千奈美はホッとした様子で「ほら、みや。梨沙子来たよ」と言って、その肩を撫でた。
その言葉に、雅はゆっくりと顔を上げる。

「梨沙子・・・」

雅は梨沙子の顔を見て少しだけ安心したのか、梨沙子に縋るように抱きついて来て、そのまま胸の中で泣き崩れた。
零れ落ちる涙で胸元が濡れて冷たい。でも、それ以上に、胸の中が凍えるように冷たかった。

「どうして・・・なんで!!」

胸の中の雅は怒りと悲しみが同居してワケ解らなくなっていた。
梨沙子の制服の襟元をキュッと右手で掴み、雅は途切れ途切れの言葉を吐いた。

「やだよ、もも・・・寂しいよ・・・帰って来てよ・・・ねぇ・・・」

頼りない声が胸元から聞こえる。梨沙子は慰めるように雅の髪をそっと撫でた。



そう。みんな確かに、知ってはいた。雅が桃子の事を好きだったこと・・・。
だけど自分達は、本当は知らなかった。
ここまでグチャグチャに泣いて叫んで、心が折れてしまうぐらい。雅は桃子の事が好きだったんだ――。



雅の背中をさすりながら、梨沙子はゆっくり後ろを振り返った。
すると、桃子は雅を見ているのが辛くなったのか、いつの間にか梨沙子の近くからいなくなっていた。
梨沙子の視界には、雨に揺れ続ける桃の木だけが見えている。
いつも3人で待ち合わせていた、桃の木だけが・・・。


梨沙子の胸の中では、何度も肩を上下させて嗚咽を漏らす雅。
そっと、その髪の毛を撫で続ける自分。
幽霊と化し、この世に取り残された桃子。

引き裂かれた幼馴染の3人。

もう2度と。
この3人が、あの桃の木の下で共に笑いあえる日は、来ない・・・。







降り続いていた雨も上がった――。

通夜が終わった後のお寺。
ショートヘアーの背のちっちゃな女の子が、お寺の敷地内にある自宅の方へと向かう。
思いつめたような厳しい表情。
ただいまも何も言わず少女が玄関の扉を開け自宅へ戻ると、「おかえり、佐紀」と言う声が聞こえた。
無言のまま振り返る佐紀と言う名の少女。
目の前には、細身のGパンにTシャツ。ラフな格好をした20代前半ぐらいの女性がいた。佐紀の姉、石川梨華。
石川は佐紀に問いかけた。

「ねぇ、さっきウチで葬儀した子、あんたの学校の子なんでしょ?」
「・・・・・・・・」
「可哀想にね。若いのに・・・」

だが、佐紀は何も答えない。
返事1つせずに階段を駆け上ってしまう佐紀に、石川はため息を1つついた。



パタパタと階段を駆け上ってゆく佐紀。
そして部屋に戻り、扉を閉めた瞬間。佐紀は扉に背中から凭れると、恨みがましい声で、ポツリと呟いた。

「神様はイジワルだ・・・」

佐紀は心の底から思った。
もし神様がこの世にいるのなら、神様に何度だって問いただしたい。



どうしてあの子を天に召した?そして、どうしてあの子をこの世に取り残した?――と。



あれはいつだったろう?
小学生の頃。7年ぐらい前だったか?
佐紀がいじめられて転んで膝を擦りむいて、泣きながらお寺に帰ってきたとき。偶然、お寺の桃の木の前に立つ彼女と目があった。
彼女は友達と待ち合わせをしているようだった。
目が合うと、まだ幼かった彼女は、まるで天使の様な愛らしい笑顔で佐紀に笑いかけ、その手を差しのべてくれたんだ。

「だいじょうぶ?膝・・・血が出てるよ・・・」
「・・・・・・・・」
「こっちおいで」

彼女は優しく手を引いてくれた。
そして、膝が擦りむけていた佐紀に、境内にある手水舎の柄杓の水で膝を流してくれた。
ハンカチで膝を拭いてくれた。

「転んだの?誰かにやられたの?」
「・・・・・・・・・」
「あたしは平気だよ。怖がらなくても。あなたの味方だからね!」

そう言って笑う桃子。
それは、たった一度きりの会話。
だけど、この時の記憶は一生忘れない。天使のような女の子だった。
だから。彼女は死んでも、すぐに天国に召されると思っていた。
他の亡者達とは違い、すぐにでも神様が天使の様な彼女を、天国にお召しになると信じていた。

なのにどうして・・・。

彼女をこの世に取り残した?誰よりも先に、天国に招かれる人だと思っていたのに。
神様はイジワルだ。
あの日以来、彼女と再び話す事はなかったけど、同じ学校なのは知っていた。
だから、せめてお焼香だけでもしてあげたいと思って、自分もお通夜の会場に向かったんだ。
そしてその時・・・佐紀はハッキリとこの目で見た。


成仏も出来ず、この世に取り残されてしまった、桃子の幽霊を――。



だが、佐紀が驚いた事はそれだけではなかった。
それ以上に、佐紀にとって引っかかる事が1つあったんだ・・・。
成仏出来ずに、この世に取り残された桃子。

そしてその隣りに、まるで『桃子が見えているかの様に会話をする』女の子がいた。

一緒に居た少女。
見覚えがある。何度かお寺の境内で桃子と一緒にいる姿を見かけた。桃子の幼馴染らしき女の子。
彼女は霊体の桃子と話してたみたいだった。あれは一体、どう言うことなのだろうか・・・?

きっと。考えられる答えはただ1つなのだろう。
あの少女も、幽霊を見ることが出来ると・・・言う事か――?




(第1章 取り残されて・・・)