プロローグ




悲劇なんて突然起こるもの。
別れはきっと、いつでも隣り合わせ。
なのに、どうして・・・?
あたしはこの世に、『取り残されて』しまったんだろう?



血に濡れたアスファルトに、ブルーの傘が緩やかに転がっている。
目の前には、息1つしない抜け殻の自分――。








――GRACE HEAVEN――









遥か遠くで、サイレンの音が鳴り響いていた。



土砂降りの雨が、雄大に聳え立つ桃の木を揺らした。
いつものお寺。
そして、いつもの待ち合わせの桃の木の下で、梨沙子は傘をさしながらボーっと雨空を見上げていた。
激しい雨の音に混じり、遠くにサイレンの音が聞こえた。

「ももも、みやも、遅いなぁ〜」

そう言って梨沙子はケータイ電話を開き、ディスプレイに表示される時間を確認した。
時刻は17:33。待ち合わせは17:30。待ち合わせ時間を過ぎていると言うに、2人が来る気配は一向になかった。
「ま。みやの遅刻はいつもの事だけどさ・・・」
そんな事を1人、呟く梨沙子。

放課後。
梨沙子はいつもの様に、幼馴染の桃子と雅と待ち合わせをしていたのだった。
学校が終わってから、3人でいつものお寺で待ち合わせをして、いつもの様に時を過ごす事。
それが幼馴染3人の・・・幼少の頃から変わらぬ日課であった。



17:34。
退屈な待ち時間。ましてや雨の日の待ち合わせは、1分1秒が長く感じる。
「遅いなぁ〜。早くしてよ〜」1人、愚痴る梨沙子。
ハァと小さくため息をつき、梨沙子は退屈そうに貧乏揺すりを始めた。
見上げる空。激しさを増す雨脚。
それに相乗するかのように、聞こえてくるサイレンの音も、徐々に激しさを増していった。

「・・・消防。あれ?救急車の音かな??」

そんな事を呟きながら、なんの気なしにサイレンの音が聞こえる方を振り返る。
その瞬間、梨沙子は心臓が止まるかのような思いをした。
振り返った瞬間、2mほど向こうにいつの間にか桃子の姿があり、梨沙子はビクッとその肩を震わせた。

「うわっ!も、もも!!!」
「え・・・」
「いつの間に来てたの!?気づかなかった・・・。ってゆーか・・・」

刹那、梨沙子は両の眉根に皺を寄せた。
目の前にいつの間にか桃子の姿。だが、それ以上に驚いた事に、桃子はこの土砂降りであるにも関わらず、傘を持っていなかった。

「ちょ!なんで・・・傘持ってないの!?」

激しさを増す一方の雨脚。
そんな中で傘をささないなんて、無謀にも程がある。



「もも。こっちおいでよ。傘、入りな」
梨沙子が手招きをする。
だが、桃子は愕然とした表情で「なんで・・・」と呟き、目を大きく見開いているだけだった。
なんでも何も、それはむしろコチラのセリフだ。この雨でなんで傘をさしてないのか、こちらが問いただしたいぐらい。

「いいから入りなよ、もも」

動こうとしない桃子に苛立ち、梨沙子は自ら桃子へと近づきその手を伸ばした。
だが、その瞬間、奇妙な出来事が起きた。
差し出される右手。梨沙子の右手が確実に桃子の左腕を求め、捕らえた瞬間・・・右手はまるで煙を掴むかのように、桃子の左手をすり抜けた。

「え?」
「・・・・・・・・・」

梨沙子はギョッとして思わずその顔を上げた。
目の前では桃子が、この世の終わりの様な顔をして唇を震わせている姿。
――遠くから、徐々に近づいてくるサイレン――。
しばし桃子を凝視したまま、梨沙子は立ち尽くした。そうしているうちに、梨沙子は桃子の中に、ある違和感があることに気づいた。
目の前にはこの土砂降りの中、傘をささずに佇む桃子。


なのに何故、桃子の髪の毛は濡れていないんだ?


いつも桃子は言っていた。雨に濡れるとクセっ毛出ちゃうから、雨は大嫌い・・・と。
だが桃子の髪の毛は、この雨の中であるにも関わらず、クセっ毛が出るどころか、僅かに濡れている気配すら感じない。

「もも?」
「・・・・・・・・・」
「なんで、もも――」

梨沙子は桃子の名前を呼ぶ。
桃子はバツの悪そうな表情で、唇を噛み締め、俯いているだけだった。
思えば・・・桃子を見ていると、異常なのは、その髪の毛だけではない気がした。
桃子は学校の制服を着ていた。紺のチェックのフレアスカートに白いベスト。だが、制服も全く濡れている気配がない。
この雨の中、なのにまるで桃子の周りには雨など存在しないかのように・・・。

梨沙子は何も言えないまま、ただじっと桃子を見つめた。桃子も何も言わず、ただ困ったように梨沙子の顔を凝視するだけだった。
お互いどうする事も出来ず、顔を見合わせたままの状態。
やがて・・・。俄かに梨沙子の耳に、砂利道を歩く足音の様なモノが聞こえ、振り返った。
するとそこには、ビニール傘をさし、梨沙子の方へと近づいてくる雅の姿が見えた。

「遅れてゴメンネ〜。梨沙子」

そう言って右手を挙げる雅。
いつもと変わらぬ雅の様子に、梨沙子はホッとした様子で息を吐いた。

「みや・・・」

目の前にいる、どこか異常な桃子。
そして・・・歩み寄ってくる、いつも通りの雅。
梨沙子は縋るような目で近寄ってくる雅をみつめた。
そして、梨沙子が雅に「なんか、ももがヘンなんだけど・・・」と問いかけようとした。
その瞬間だった――。


「あれ?なんだ・・・。まだ、もも来てないんだね」
「え・・・」

梨沙子は開きかけた口を噤んだ。
確実に近づいてくるサイレン。激しさを増す雨音。
全ての音が、梨沙子の心臓の音とクロスし、重なった。

梨沙子は今一度、桃子を見る。
桃子は愕然と雅の顔を見つめたまま、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
その一方で雅は、桃子の存在など始めからいないかの様に、梨沙子の方だけをニコニコと見つめている。

激しさを増す雨。
傘を持たぬ桃子。

雨は何も障害物がないかのように、桃子の体をすり抜けて地面だけを濡らしていった・・・。




どうなっているんだ?一体コレは、どうなっているんだろう――?
何がなんだか、もはや梨沙子には解らなかった。
理解できぬまま、梨沙子がただ凍りついた表情で桃子を見ていると・・・「どうしたの?梨沙子。あさっての方向見て・・・」と言って雅は笑っていた。
その言葉を聞き、梨沙子は青ざめた表情で雅を見返した。


あさっての方向も何も、目の前には桃子がいるじゃないか。何を言ってるの?


だが、震える唇はその言葉を口に出来ない。
ただただ真っ青な表情で雅を見るしかない梨沙子に、雅は怪訝な面持ちを浮かべ、心配そうに顔を覗きこんだ。

「大丈夫?梨沙子・・・?」

そして雅はフッと表情を緩めると、
梨沙子の顔を覗きこみながら、おちゃらけた口調で、こう答えた



「なんか、さっきから幽霊でも見たような表情してるよ?梨沙子」



救急車のサイレンの波はすぐ側まで押し寄せ、近くの公道で停車したようだった。
激しい雨音と、切り裂くようなサイレンの音。公道から聞こえてくる、人々の喧騒。
「なに?近くで事故でもあったのかな?」雅が怪訝な様子で、眉間に皺を寄せた。
そんな雅の隣りで、梨沙子はなにか嫌な予感の様なモノを感じ、激しい鼓動を抑えながら、桃子の顔を凝視する。
すると、桃子がポツリと「そっか。梨沙子には見えるんだね・・・」と、抑揚のない口調で呟いたのが解った。


激しい雨の音。サイレン。人々の喧騒。


それら全てから取り残されたように、
梨沙子と桃子の2人はお互いに見つめあい、立ち尽くすしかなかった。




(プロローグ FIN)