エピローグ




近所の公園では、夏祭りが行われていた。
提灯が一斉に、新緑を赤く染めた。
千奈美と友理奈は浴衣姿で手を繋ぎながら、人ごみの中を駆け抜けて行った。
「熊井ちゃん!あっちに射的あるよ!!」
「おー!凄い!!やろっやろっ!!」
そんなテンションでそそくさと先を行ってしまう2人に、浴衣姿の雅は後ろを歩きながら思わず呆れ笑いを零した。

「もー。混んでるんだから、走ると危ないじゃん!!」
「ねっ」

隣りで浴衣姿の梨沙子がクスクスと笑顔を零す。
雅と梨沙子の手も、人ごみで離れないように固く握られていた。
今日は、地元で夏祭りが行われていた。




あの色々な出来事があった夏から、1年の月日が流れていた――。




梨沙子と雅の2人は、やがて公園の一番人が集まっている場所に辿り着く。
人ごみを縫って覗き込むと、公園を流れる川面には、一面、灯篭が流されていた。

「あ、見て!みや。凄い!!」
「ホントだ。超キレー」
「すごいね、なんだろ?これ?」

灯篭が水面に反射し、キラキラと幾重もの輝きを放つ。
梨沙子と雅の2人が手を繋いだまま、幻想的な光景に見入っていると、ふと後から・・・
「これは、灯籠流し。お盆に帰ってきた死者の魂を現世からふたたびあの世へと送り出すための儀式」
と言う声が聞こえた。
え?と思い、2人が振り返ると、そこには石川と佐紀の姿があった。
「あ!!石川さん。佐紀ちゃん」
梨沙子が嬉しそうに振り返ると、
「久しぶりね〜」
と答え、石川は2人の強く握られた手を見て、いたずらっぽく笑った。

「なに?デート?」
「ち、違いますよぉ!!」

思わず顔を真っ赤にして否定してしまう梨沙子。
すると雅が隣りで不機嫌そうに「え?違うの?」と問いかける。
そんな雅の反応を見て「あ、違くない!違くない!」とアワアワとしてしまう梨沙子に、石川と佐紀は楽しそうに笑っていた。



ゆらゆらと水面を揺れる灯篭。
橋の手すりにあごを乗せ、ボンヤリとその光景を見つめる梨沙子と雅。
ため息を漏らしたくなるほど、幽玄的な光景に雅は目をギュッと細めた。
「この灯篭に乗って、死者の魂は天国に帰るんですか?」
雅が問うと、後で石川がコクリと頷き、「そうよ」と答えた。
すると、それを聞いた梨沙子は、至極柔らかな表情でそっと、独り言の様に呟いた。

「じゃぁ、ももも・・・かな?」
「かもね」

ただじっと、梨沙子と雅はゆらめく水面を眺めた。
灯篭の影を何重にも映す水面。光を乱反射させ、ゆらゆらと揺れるソレは、確かに死者の魂の様に見え、不思議な幻想を覚える。
梨沙子と雅の隣りでは、同じように、流れていく灯篭を無言で見つめている、佐紀と石川。

すると。

そんな佐紀の後から不意に、聞き覚えのある、愛らしい声が聞こえてきたのだった。

「へー!これに乗って帰るんだ?あたしたち」
「マジで?どーやって乗るんだろう?もも」
「さぁ〜?」

それは懐かしい、聞き覚えのある、友達の声。
ハッとして、佐紀が後ろを振りかえると、そこには楽しそうに川面を見つめる桃子と茉麻の姿があった。

「あ・・・」

佐紀が驚きの声をあげると、桃子と茉麻も佐紀の姿に気づいたらしく、小さく手を上げた。
そんな2人を見て、佐紀が嬉しそうに手を振ろうとすると・・・。

「どーしたの?佐紀ちゃん」

不意に声をかけられる。
後ろを振り返る佐紀を見て、梨沙子が不思議そうに眉根を寄せていた。

「どしたの?そっちに何かあるの?」
「あ・・・」

梨沙子は首を傾げながら、佐紀が見ている方を顧みた。
だが、そちらには何もない。梨沙子の目には何も見えない。ただ、人々が往来をしているだけ。

「ん?なにかある?」
「り、りーちゃん・・・」

すぐそこに桃子がいるのに・・・。梨沙子の目には、桃子は見えていないのか?
佐紀は思わず声を震わせた。
すると。佐紀の目線の向こうに佇んでいる桃子が不意に、右手の人差し指を立て、自分の口元に添えた。
シー。小さくそう言って、柔らかな微笑みを浮かべる。





「・・・・・・・・・・・」

目を丸くする佐紀。
すると石川が隣りから、笑いながら佐紀の袖を引っ張った。
「・・・・・・・」
キュッと口を噤む佐紀。
そして佐紀は梨沙子に「ううん、なんでもない」と言って笑うと、石川の浴衣の袖を引っ張り、答えた。

「ねぇ、それよりさ、お姉ちゃん。お好み焼き買わない?お腹すいちゃった!」
「いいね。買おうか?梨沙子ちゃん達も食べるでしょ?私、おごってあげる」

そう言って石川が笑うと、梨沙子と雅は嬉しそうに声をあげた。
「え?ホント?やったぁ!」
「ありがとーございます!」
「せっかくだから、他の友達も呼んでくれば?」
「いいんですか?」嬉しそうに笑う梨沙子。
そして、手をつなぎながら梨沙子と雅は駆けて行く。
雅が射的場にいる千奈美と友理奈に「ちぃ!お好み焼き奢ってもらえるって!」と叫ぶと、「まじでー!!すぐ行く!!」と、
祭りのお囃子に負けない賑やかな声が聞こえてきた。
そんな様子を見ながら、クスクスと笑っている石川と佐紀の2人。
そして。佐紀はわずかに振り返ると、後ろに佇む2人にそっと微笑みかけた。
すると、桃子の口元がゆっくりと動く。



あ・り・が・と・う。



やがて、梨沙子たちの後を追って、急いで祭りの中を駆けて行く、佐紀と石川。
桃子と茉麻は目を細め、その様子を遠くから見つめていた。
「見えてないんだね。梨沙子ちゃん・・・。もものこと」
茉麻が呟くと、桃子はあっけらかんとした口調で頷いた。


「そりゃそうだよ」


解っていた。
霊感の強いワケじゃない梨沙子が、自分の姿を見ることが出来たのは、自分が梨沙子の守護霊だったから。
だから、梨沙子の守護霊じゃなくなった今は・・・もう、梨沙子は自分を見ることが出来ない。

「悲しい?」

茉麻の問いに桃子は3秒ほど黙り込んだ後、 「ううん。ヘーキ」と言って、ゆっくりとかぶりを振った。
「だって。見えてないって事はさ、ももがいなくても、守護霊がいなくても、ちゃんと梨沙子が生きて行けてるって証拠じゃん」
「・・・・・・・・・・・」
「だから悲しくはない」
1人で生きてゆけてるのだから、悲しくなんてない。これでいいんだと、心の底から思う。
だけど、そうは解っていても、ホンの少しだけ胸を締め付けられるこの気持ちは・・・。
きっと『悲しい』ではなく、『寂しい』んだと思う。

「そうだね・・・」

茉麻はそれ以上は問いかけなかった。
何も言わず、茉麻はそっと桃子の手を握り締めてくれた。
桃子もその手をギュッと握り返す。寂しいけど1人じゃない。それがどれだけ、心強い事か・・・。




その後。茉麻が話をきかせてくれた。
交差点に行ったら、柴田さんは相変わらずフリージアを供えていたと、茉麻が言っていた。

「だけど、ちゃんと柴田さんは笑えてた」

そう言って、茉麻は満面の笑顔を浮かべる。
きっと柴田は、この先もフリージアを供え続けるのだろう・・・。
交差点のフリージアは枯れない。この事故の痛みは一生忘れない。
だけど、その裂ける様な痛みも少しづつ和らいでゆくのだろう。毎日の時間と笑顔と共に――。
桃子は茉麻の顔を覗きこみ、答えた。

「いい事だよ。まぁの事はちゃんと覚えてて、それでもちゃんと笑えるようになったんだもん」
「うん。ホント良かった・・・」




2人は目を細め、空を仰いだ。
木々が揺れる。風が吹き抜ける。不思議と体に風を感じた気がした。
きっと気のせいだろう・・・。

人々の笑い声。灯篭の美しい景色。吹き抜ける風。木々の囁き。
そして、みんなの優しさ。

死んで初めて解る。
最上の天国は、この世界にあるってこと。
この世界は驚くほど美しくて、切ないほど優しい世界だった。

桃子は茉麻の手を握る。
「じゃぁ、帰ろっか。まぁ」
「うん・・・」
笑いあう2人。
でも、こっちの天国も悪くない。2人一緒なら、寂しくない。



提灯がいくつも連なる。
手を握り駆け抜ける2人。木々の間をすり抜け、人々をすり抜け・・・。
前方に梨沙子たちの姿が見えた。
桃子は全力で走りながら、大きな声で叫んだ。

「佐紀ちゃーん。石川さーん!」

振り返る2人に、桃子は何度も手を振りかざす。

「元気でねーーー!」

佐紀と石川は笑っていた。
笑顔で小さくピースする佐紀と、そっと手を振る石川。
佐紀の目には、桃子の背中にいつか見た羽が見えた。

全力で駆け抜け、佐紀と石川の体をすり抜ける、桃子と茉麻。

そのまま2人は友理奈と千奈美の間をすりぬけ、
そして・・・梨沙子と雅の間を通り抜ける。





「バイバイ、梨沙子。みや」





優しく笑いかける。
その瞬間、体がフワリと浮かび上がるのが解った。
2人は助走をつけたまま、空に駆け上がり、遥か上空へと消えて行った・・・。



「・・・・・・・・・・・・・」

梨沙子はふと立ち止まり、空を見上げる。
雅は隣りで手を握り締めたまま、「どーしたの?梨沙子」と問いかけた。
梨沙子はキョロキョロと辺りを見渡した後、「ん・・・。なんか」と呟き、不思議そうに頬っぺたをかいた。

「なんか、風が通りぬけた」
「風?」
「すっごい暖かい風が、空に向かって」

空を見上げる2人。
暗闇の中、空には星が美しく瞬いているのが見えた。
澄みきった夜空に輝く、幾千の星の欠片たち。



「灯篭も綺麗だけど、やっぱ空も綺麗だね・・・」



梨沙子はぼんやりと呟いた。
そう。あれだけ美しい空だ。きっと空の向こうには最上の天国が広がっているのだろう。
そしてあの空から、桃子はいつも自分を見ていてくれてるんだろう・・・。


雅の手を握りしめる。
すると雅は嬉しそうに微笑み、梨沙子の手を握り返した。


空を見るたび、いつも思う。


好きな人を大切にしよう。一生懸命生きよう。いつも、ももが見てくれている。
恥ずかしい人生は送らない。ももの分まで、強く生きよう。
それがずっと自分を見守ってくれた、これからも見守ってくれているであろう・・・ももへのありがとう。

梨沙子は雅の手を取り、夜風の中を駆け出していった。
提灯の光も、人々の喧騒も、木の葉のさざめきも、全てが1つとなり流れてゆく。
走って心臓がドクドクと高鳴るけど、辛くはなかった。

生きてる自分を、強く感じた。



― GRACE HEAVEN FIN ―